Month: April 2012

Japan and the ANZACs

HMIJS Ibuki


Japan is one of the many forgotten contributors to

ANZAC Day, a day that has assumed legendary status in Australia and New Zealand.

ANZAC Day commemorates the landing of Australian and New Zealand troops at Gallipoli on April 25, 1915.

Thousands of young men would be cut down in their prime during the vain campaign that ended in an embarassing defeat at the hands of the Ottomon Empire forces, but Gallipoli has since become a hallowed reminder of people’s willingness to commit their lives for their country. The ANZACs, diggers from the Australia New Zealand Army Corps, are now almost deified in an Australia where nationalism has come into vogue over the past couple of decades.

Yet, the ANZACs may never have arrived at the battlefield were it not for Japan.

Japan was an ally in World War I, courtesy of the Anglo-Japanese Alliance then in operation. Japan was entrusted with providing military power in the Pacific, protecting Australia and other British possessions in the Pacific. Part of those duties included His Japanese Imperial Majesty’s Ship Ibuki escorting the original ANZACs to Egypt, from where they would later head to Gallipoli.

Ibuki was the only protection for the HMAS Sydney when she took on the German ship SMS Emden in the Battle of the Cocos, Australia’s first-ever naval
engagement as a nation.

Ibuki could have taken on the German ship as it was more powerful than the Sydney, but deferred to the Australian craft. Australian naval authorities would later laud the Ibuki for showing the “spirit of the samurai” for the gesture that allowed the Royal Australian Navy to mark its first major success with the sinking of the Emden.

In this regard, Japan’s part in creating the ANZAC legend has largely fallen by the wayside alongside others such as Indigenous Australians, Chinese Australians and woman. Many around Australia will mark ANZAC Day today with the phrase “Lest we Forget.” We hope that includes not forgetting the way many other less well-known contributors helped shape the ANZAC tradition.

HMIJS Ibuki (left) and HMAS Melbourne escorting ANZAC troops to Gallipoli

    Reference

HMIJS Ibuki
Lest We Forget Japan’s Role in Creating the ANZAC Legend

敵国の大将を招いたアンザック・デー

メン・アト・ワークのメンバーが死亡

故Greg Ham氏

1980年代全世界で大成功したバンドであるMen at Workは、一定の年齢のほとんどのオージーにとって特別な存在である。考えRoo自身も例外ではない。
 メン・アト・ワークの現役時代がそれほど長くなかったが、1982年にオーストラリアで発売した「Down Under」が米国をはじめ世界中に大ヒットした。そして、1983年オーストラリアIIがアメリカズ・カップのヨットレースを優勝し、アメリカの132年間同カップの統治にピリオドを打った時に同曲がオーストラリアでまるで国歌のような存在となり、一気にメン・アト・ワークが国民的な英雄のような存在となった。(優勝した当時のオーストラリア雰囲気を説明すると昨年震災直後なでしこジャパンがサッカー女子ワールド・カップを優勝して全国がまるで一つとなって祝った感じが近い。当時豪首相だったボブ・ホーク氏が優勝に対した「今日、ボスが休ませてくれないとくそたれだ」と発言したのは有名な話。当時、高校生だった考えRooはヨットに全く興味ないにもかかわらず学校行く前に優勝した瞬間をラジオで聞き大喜びで祝った覚えがある。)
 しかし、そのメン・アト・ワーク、いやオーストラリア全体にに対して大きなショックが起きたのは今年4月19日のことだった。「Down Under」の最も印象的な所だあろうフルートの部分のフルートを吹いたパーフォーマーであるグレッグ・ハム氏が突然死したとのことだ。現時点、心因が不明だが、アルコール関係だとうわさされている。
 実は、メン・アト・ワークの黄金時代後ハム氏が色々苦労したようだ。1980年代で稼いだがその後それほど大きな実績がなく印税で暮らして時々演奏などをしたハム氏。しかし、「Down Under」がでて25年目いきなり「フルートの部分がオーストラリアの児童歌の盗作だ!」と主張するレコード会社が現れ、メン・アト・ワークを訴えた。客観的に見ればどうも似てないにもかかわらず2010年の判決ではメン・アト・ワークが敗訴し、ハム氏にとって金銭的及び評判にとっても大きな打撃を与えたそうだ。二人の父となったハム氏は、印税を失い弁護費を背負うようになったので「家を売れないと金がない」ということをいい、多くの知り合いが判決後のハム氏が「欝」「苦しいだ」という。
 ちなみに、「Down Under」のおかげでchunderというストライン(オージー英語)が一時期世界中に有名な言葉となった。
 ハム氏は、19日付自宅に訪ねた友人が倒れている姿で見つけたが既に死亡だった。58歳だった。


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豪キャブラリー: Chunder

洗濯物が干せる豪州象徴

オーストラリアの象徴と言えばカンガルー、コアラ、シドニー・オペラ・ハウス、グレート・バリアー・リーフ、洗濯物が干し台のヒルズ・ホイストなどたくさんある。あら、ちょっと待って!カンガルーなどが分かるが、選択物干し台?いったい何なんだろう?まさか国の象徴じゃないだろう?

Hills Hoist

いや。最初の言ったとおりだよ。ヒルズ・ホイストという選択物干し台が間違いなくオーストラリア国内では国が象徴する物の一つである。日本でのヒルズ族と一味違うヒルズなんだけどね、、、
 ヒルズ・ホイストは19世紀末アデレード近くに発明し、も早オーストラリア・ニュージーランド全国に広がり、今も欧米ではよく見られる。何千万台を売れたらしい。特徴はたくさんある。まずは、高さが調整できる。そして、回転式なので、数が吹くとぐるぐる回り洗濯物が早く乾く。最新モデルは解体可能式であり、使う必要な時意外設置しないでスペースも使わないで済む。おまけ、(親が見ていない間だけど)子供たちの遊び道具にもなることが多い。土地の広いオーストラリア郊外の家のバックヤードに必ずと言っていいほどある。そのため、現代オーストラリアの象徴の一つでもある。
 日本でも販売しているようで、販売元のビデオをぜひ一度見てみたらもっと分かりやすいかもしれない。

豪のイースター・ビルビー

The Easter Bilby

 イースター・バニーじゃなくてビルビーだ!
 今日はイースター・サンデーだ。キリスト教の影響が伝統的に強かった諸国では、イースター・サンデーはキリストが再生した日とされて祝う。北半球では春に行い、「再生」のシンボルとしてイースター・エッグを子供中心に配る。伝統的にチョコレート・エッグを配るのはイースター・バニーだ。日本ではバニーがちょっとセクシーな印象があるかもしれないが、うさぎが繁殖に強い動物であり春の「新生」を示すものだ。
 しかし、オーストラリアは違う。イギリスの元植民地としてキリスト教の影響があり、イースターを祝う国であるが、宗教的な感覚よりイースター・エッグの販売などにより商業的な雰囲気の方が強い。当然、昔からオーストラリアではイースター・バニーがイースターの象徴の一つだったが、この約20年ではイースター・バニーの代わりにオーストラリア独特の動物であるビルビーが主流となりつつある。
 子供たちにチョコレートを配るという役割は変わらないがイースター・ビルビーも違う、もっと重要な意味もある。そもそもオーストリアではうさぎがいなかった。しかし1850年代にはイギリス人一人が十数匹を狩りのために環境に導入した。以降、天敵がほとんどないため、外来種であるうさぎの急激な増殖が著しく約50年後大発生となり環境破壊がはかり知らないほど起こした(うさぎ防止のため世界最長人工物であるラビット・プルーフ・フェンスがオーストラリアの大田舎で作られた)。うさぎにより環境破壊の最も被害を受けた生物の一つがそのビルビーである。
 ビルビーはうさぎと少し似ていながらカンガルーなどと同じように有袋類である。ビルビーはもともと数多くなかった動物だが、うさぎの急な増殖などによって絶滅危機となり、今野生ではほとんど存在しなくなり、およそ600匹ぐらいしか残っていないという。
 そこで、イースター・バニーの代わりに1993年ジェニー・ブライトという作家が「イースター・ビルビーのバラ・二ム」 という本を出版し、印税をビルビーの保護に寄付し、ビルビーの絶滅危機に対して助けを呼びかけた。以降、イースター・ビルビーがオーストラリア全国で支持されるようになり、オーストラリアでのイースターの独特な祝い方でありながらかわいいビルビーの保護にも役に立ている。イースター・ビルビー関係の販売の一部がビルビー保護に寄付されることがだんだん広がっている。
 では、ぜひビルビーを考えながらイースター・サンデーを楽しんでください。

Bilby


今日は初めて「ワルツィング・マティルダの日」

「ワルツィング・マチルダ」はオーストラリアの非公式な国歌というほど国内外で知られている歌だ(もしかして本当の国歌より有名かもしれない)。
 そして、オーストラリア、クィーンズランド州の田舎の町であるウィントンは4月6日をワルツィング・マチルダの日」に働きかけている。ABCによると初めて「ワルツィング・マチルダ」が公の場で演奏されたのがウィントンで1895年4月6日だったのだ。同運動支持者が全国の放送局を「ワルツィング・マチルダ」を放送するように呼びかけている。

 同曲は、テンポが良くても歌詞の内容がちょっと暗い。浮浪者が羊を盗み、警察及び農家にばれて捕まえられるより小さな池で自殺して以降幽霊が「ワルツィング・マチルダ」と続くという物語。そもそも「ワルツィング・マチルダ」の意味は、田舎で歩き回り出稼ぎする。
 歌詞には死語を含めて多くのオージー英語が使われている。例えば、jumbuckが羊のこと。そして、billabongが小さな池。Swagmanは浮浪者。それにtucker bagが食べ物を入れる袋を示す。