• Strine - Strine Scribes - Strine Songs

    豪のクリスマス・ソング:Aussie Jingle Bells

     オーストラリア版のジングル・ベルがあったのは知ったか?あるんだよ!  「ジングル・ベル」が雪の中のソリを乗っている話だが、真夏のクリスマスがあるオーストラリアでは雪もソリもない(実は、いずれもあるが、それだと話がうまくまとまらないので、とりあえず、別に置いておこう。)  オージー版のジングル・ベルズは田舎道で走る豪産者ホールデン社のピックアップ・トラックの話。  先日考えRooで掲載されたDeck the Shedの作詞・作曲バッコ&チャンプスことグレグ・チャンピオン氏とコリン・ビュキャノン氏の作品だ。 AUSTRALIAN JINGLE BELLS Dashing through the bush, in a rusty Holden Ute, Kicking up the dust, esky in the boot, Kelpie by my side, singing Christmas songs, It’s Summer time and I am in my singlet, shorts and thongs Oh! Jingle bells, jingle bells, jingle all the way, Christmas in Australia on a scorching summers day, Hey! Jingle bells, jingle bells, Christmas time is beaut! Oh what fun it is to ride in a rusty Holden Ute. Engine’s getting hot; we dodge the kangaroos, The swaggie climbs aboard, he is welcome too. All the…

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    豪のクリスマス・ソング:Six White Boomers

    オーストラリア風のクリスマス・ソングの中では「Six White Boomers」が伝説的な存在となっているかもしれない。  理由が多数ある。  まずは、1960年にリリースされたので恐らく初めて広く知られたオーストラリア風のクリスマス・ソング。  そして、歌ったのはロルフ・ハリス氏という多彩なパフォーマーだった。今でも82歳にもなっている同氏がイギリスでは「典型的なオージー」を思い浮かばせるだろう。  同氏がオーストラリア・イギリスを始め、広く・深く・長く愛されている。歌だけでなく、絵も上等、話術も最高だし、漫画もすぐる手入るし、少年時代では水泳チャンピオンだったハリス氏。  この曲はサンタがオーストラリアにやってきた時にはトナカイの代わりにカンガルーの力でゾリを動かしたという話だ。  曲にでるブーマーは「熟成している雄カンガルー」という意味だ。 SIX WHITE BOOMERS Early on one Christmas Day, a Joey Kanga-roo, Was far from home and lost in a great big zoo. Mummy, where’s my mummy? They’ve taken her a-way. We’ll help you find your mummy, son. Hop up on the sleigh. Up beside the bag of toys little Joey hopped, But they hadn’t gone far when Santa stopped. Unharnessed all the reindeer and Joey wondered why, Then he heard a far off booming in the sky. Six white boomers, snow white boomers, Racing Santa Claus through the blazing sun. Six…

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    豪名作が記録的な額で買収され

     オーストラリアの最も有名なアーティスト一人の最も有名な作品シリーズの1作品が豪州芸術作品として記録的な値段と買収されたことがメルボルンのシドニー・モーニング・ヘラルド紙28日付報道によって分かった。  売られたのは『ケリー追跡大作戦』シリーズの1作品First Class Marksman(1等射撃者)であり、約540万豪ドル(約4億6千円)で買収された。  恐らく故シドニー・ノーラン氏がオーストラリア最大20世紀の画家だった。  長いキャリアに渡って数多く作品を制作したが、その中で最も有名な作品が間違いなくこの『ケリー追跡大作戦』シリーズ。  このシリーズは、1800年代オーストラリアで山賊・盗賊だったブッシュレンジャーの伝説的な一人だったネッド・ケリーの一連の事件を描いたものだ。小学校低学年の子供を含めてほとんどどんなオーストラリア人でもノーラン氏のネッド・ケリー作品を知り、オーストラリア名作を称える記念切手にもなったことがある。  ノーラン氏の『ケリー追跡大作戦』シリーズが1946年に描かれたと言われているが、同紙の報道によると実際にノーラン氏が二つのケリー関係シリーズを制作した。最も有名な1946年の作品の上にあまり知られていない1955年制作のものもあるという。シリーズのほとんどが主にキャンベラにあるオーストラリア国立美術館(NGA)に収納されている。  記録的な値段で買収されたFirst Class Marksmanが1946年シリーズのものだったが、この一連の作品ほとんど公のギャラリーなどで買い取られたりしていいるのでオークションなどに出回ることが極めて稀なことだ。買収されたのは2010年であって、その実態がようやく今となって公表された。  しかし、1955年シリーズの物が数年おきにオークションなどに現れえるという。 『ケリー追跡大作戦』シリーズ  NGAノーラン・コレクションについて Record $5.4m for Nolan 「強盗殺人」なのにBig Thingsを含めて豪がNed Kellyを称える理由は何だ?

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    Gangnam Bogan Style! K-Pop大ヒットの豪ダサイ風パロディ版が注目を浴びている

    今、韓国K-PopアーティストPSYの「江南スタイル」が世界中に大ヒットが、数多くのパロディ版も発表され、その中オージーのダサイ文化を称える「ボーガン」風のMelbourne Styleが注目を浴びている。 K-Pop artist PSY may have scored a massive global hit with his catchy Gangnam Style, but he’s also inspired plenty of parodies, including Gangnam – Melbourne Style!, a version that celebrates Australia’s bogan culture of the unfashionable. ちなみに、元の「江南スタイル」がこうだ。 Incidentally, the original Gangnam Style is here.  ビデオの独特なダンスがヒットの原因一つとしているが、日本のネット社会では日本のカー用品販売「イエローハットCMのパックリだ」という声も上がっている。そのビデオがここにある。どう思う? The dance mimicking a lasso-wielding horse-rider in Gangnam Style is often cited as a source of the hit’s success, but some among Japan’s Net community say PSY has ripped off moves from an ad produced here years ago by Yellow Cab, a car accessories seller. That video is here. What do you…

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    サメ研究、撮影パイオニア豪州人ロン・テイラー氏が死亡

     約60年間に渡ってサメの生活を研究し、撮影したロン・テイラー氏がこの頃白血病によって亡くなられた、とオーストラリア・ジオグラフィック誌が報道した。  テイラー氏の活動がほとんど妻ヴァレリー氏と共に行なった。  夫妻が1953年「シャーク・ハンター」というサメに関するモノクロ映像を豪・米各テレビ局に売り、以降世界中にサメに対しての専門家として尊敬されるようになった。  一定の年齢であれば、どんなオーストラリア人でもロン&ヴァレリー・テイラー夫妻を知っているはずだ。  今でもサメに関する研究が比較的に珍しく、他の海洋生物同様それほど詳しく知識を集まっていない。しかし、サメに関する知識は恐らく世界中に同夫妻ほど蓄積した人がいないだろう。皮肉的にいずれも海洋生物学者ではなかったが、海洋生物学者に相談されるほうど経験によって蓄積してきた。  当然、学習的な世界だけでなく、エンターテインメントの世界にも大活躍したし、「ジョーズ」などサメに関する知識をあらゆる分野に伝わってきた。ちなみに、同夫妻の撮影がほとんどケージ無しで行なっていた。  下記のような迫力がある映像は同夫妻にとって朝飯前の仕事のようだった。 ヴァレリー・テイラー氏による「サメの真相と神話」 *サメを倒せる (真) *サメが泳ぐ犬に引き付けられる (真) *サメが流れている血に引き付けられる (可能だが未確定) *サメが横からしか噛めない (神話) *サメが教訓できる (真) *サメが後ろ向きで泳げる (神話) *サメが夕暮れに近い時間で攻撃する (可能だが未確定) *サメが淡水で生き残れない (神話) *サメが常に動かないと息が出来なくて死ぬ (神話) *サメ群れが縦社会 (真) 10 Myths About Sharks

  • Strange Strine - Strine Biz - Strine Scribes - Unknown Nichigo

    Aussie Anime hits Tokyo with a Blast….of Flatulence!

    Gus, the animated tale of a Neanderthal child with uncontrollable flatulence, is one of two Australian films selected to take part in the Japan Kinder Film Festival drawing to a close in suburban Tokyo this weekend. 豪作品ガスのコントロール出来ないネアンデルタール人子供の話アニメ『GUS おならで大発見!』と短編映画『ジュリアン』という2作品が19日調布市グリーンホールにて20th Anniversary キンダー・フィルム・フェスティバルに上映される。 Accompanying Gus will be Julian, a short film that will feature Japanese voice actors performing live translations of non-Japanese films as they show. 『ジュリアン』の上映は、声優さんがその場でライブで日本語に吹き替える。 Japan Kinder Film Festival, the only international film festival for children in Japan, has one final session to run on Sunday, Aug. 19, from 1:30 p.m. at Green Hall, Chofu. Ticket prices range from 150 yen…

  • Strine Scribes - Strine Songs

    豪に居れば、豪に「詩違え」:どんなオージーでも知っているポエムが作り変えられる

     日本人誰でもが宮沢賢治氏氏の「雨にも負けず」を学ぶように、オーストラリアの子供たちがドロシア・マッケラー氏の「マイ・カントリー」(「我が国」)を学校で必ず勉強する。  マッケラー氏が19歳で1904年にイギリスでホームシックとなった時に作詩し、以降母国のオーストラリアで広く知られるようになる。  今でも一般にハイ・カルチャーが決して浸透していると言い難いオーストラリアでは少なくともこの詩ぐらいなら誰でも知っていると言っていいと思う。  そして、あのウィーン少年合唱団が来月オーストラリアへツアーする予定であり、それを先駆けて「マイ・カントリー」を作曲し歌うことになっている。 「マイ・カントリー」(皆が知っている所。実際に全詩がもっと長い!)と日本語訳が以下の通り。 ウィーン少年合唱団「マイ・カントリー」(「我が国」) Vienna Boys Choir loves a sunburnt country

  • Indigenous Strine (Woiwurrung) - Strine Scribes - Unknown Nichigo

    Chance encounter caused by Melbourne rain makes Indigenous Australian art Big in Japan – and Oz art’s greatest-ever solo success

    Fancy guessing the most successful solo exhibition ever given by an Australian artist? Maybe, Sidney Nolan in New York? Tom Roberts in London, perhaps? What about Brett Whiteley in Paris? Nah. Here’s a hint: the artist was indigenous. Ah, well, in that case, it’d have to be Albert Namatjira, right? Nope. Wrong again. In fact, the late Emily Kame Kngwarreye holds the honor with wildly successful exhibitions in Tokyo and Osaka back in 2008. Over 120,000 visited the exhibtion, which featured over 200 works valued at more than $50 million. Crucial in the success of those exhibitions, as well as…

  • Big Australia - Strange Strine - Strine - Strine Biz - Strine Scribes - Strine Strife

    「強盗殺人」なのにBig Thingsを含めて豪がNed Kellyを称える理由は何だ?

     今日の「Big Things」はオージー文化に深く関わるものと関するが、その背景が分からないと理解しがたいかもしれない。  ビクトリア州グレンロアンにある高さ6メートル幅2メートルのBig Ned Kellyは、オーストラリアで英雄とされているネッド・ケリーを称える。  「英雄だったら、すごい人だろう?」と思うだろう。  が、、、  、、、実は、強盗殺意人だ。  ま、石川五右衛門やロビン・フッドのように、裕福な人や権力を乱用する人に対して盗難をし、得たものを庶民に配ったりするような犯人だったらなんとなく分かるような気がするね。  しかし、、、そのような強盗者でもなかった。盗んだ物を自分・自分のギャングしか使わなかったし、殺した人が警官及びかつて親しいだった友人だった。  じゃ、政治的な理由でそのようになって人々のために戦った人物だったのか?  それも、ない。イギリス植民地時代だったので、抑圧されたアイルランド系の人だったに違いないが生きている間に特に政治的な動きをしたことはそれほどなかった。後になったそのように描こうとした人が時々出てくるが、本当は恐らく違う。  なんだかんだ言ってもネッド・ケリーはただの強盗殺人としか言うようがない。  なので、何でオーストラリアでそんなに尊敬されている?全国で英雄扱い、史上初長編映画の主体となり、以降ミック・ジャガーやヒース・レジャーなどがネッド・ケリー役を演じたり、実物が警官と正念場があったグレンロアンを中心に活動した地域が観光地となったり、研究の主体となったりしてネッド・ケリー神話が壮大となって、どんなオーストラリア人でもよく知っている。  でも、ただの強盗殺人だったら何でそんなに尊敬されているだろう?  不思議でしょうがないよね。 ネッド・ケリーが自作鎧で警察と銃撃戦を行い、その末で捕まえられ死刑となった。鎧が確かに格好良かったので、それだけで人々を魅了したかもしれない? それとも、多分、正解は豪州のヨーロッパ系歴史にあるかな?  そもそもイギリス人がオーストラリアを植民地化した理由は流刑地になるためだった。  ヨーロッパ系住民のほとんどが囚人だったので、反権威主義の人が比較的に多かったかもしれない。犯罪に対しての見方がじゃっかんゆるいところがあったかもしれない?  未だにまだその傾向が豪社会で見える部分がある。  豪史上最多数ノンフィクション本の作家は自称ヒットマンであるマーク・チョッパ・リードが執筆した。そして、今で豪テレビで実際に起きた犯罪や実際に起こした実在する犯人を題材とした圧倒的に支持されて最も人気番組がアンダベリー・シリーズである。  こういう豪社会の潜在的な反権威主義がネッド・ケリー神話の基礎となっているかもしれない。本当の理由は何か分からないが、奥が深いに違いない。  ちなみに、グレンロアンにはもう一つの「Big Things」がある。これはBig Cherryだ。それについてまた後日掲載する。  そして、もう一つのネッド・ケリー「Big Things」もある。それがクィーンズランド州にある。ネッド・ケリー自身が同州へ行くことはなかったのでなぜそこに作られたが、全国的の人気の象徴とも言えるだろう。その「Big Things」が同州のメリーバラという町にある。 ヒース・レジャーが主人公となった「ネッド・ケリー」2003年 ミック・ジャガーが主人公となった「ネッド・ケリー」1970年 The Story of the Kelly Gang 大きな地図で見る

  • Strange Strine - Strine - Strine Scribes

    オージー英語が革命を逃した時代

     1970年代前半オーストラリアは、画期的な時代だった。社会的な変化が多い時代であって今のオーストラリアに大きな影響与えている時期でもあった。その激しく変わる時代の中であまり知られていない変化のひとつはあのストライン、要するにオージー英語だった。  1972年に革新派のゴフ・ホイットラム氏を首相としてオーストラリア労働党が23年ぶり政権となった。独立した1901年以降ほとんど保守派の政権下だったオーストラリアは、ようやく1960年代のカウンターカルチャー運動などによって大きく変化を起こした欧米に比べて時代遅れて数多く進歩的な動きが始まった。ホイットラム氏が首相となって数か月以内に先住民族の権利を認め、1960年代半ばから実質的に実施しなかった白豪主義を正式に廃止し、ベトナム戦争の参戦撤去、18歳に投票権を与え、徴兵制を廃止したなど、豪社会の芯まで変えた。移民政策が白人移民を中心よりアジアをはじめ有色人種を積極的に受け入れるようになったなど、ようやくオーストラリアがイギリスを中心にヨーロッパの前哨基地としてでなく、アジア・太平洋地域の一国である認識を持つようになりつつあった。  しかし、あまり知られていない変革も起こそうとした。それはSR1の導入だった。SR1はSpelling Reform 1(綴り変革1)の省略だ。話す言葉に影響がなかったが英語の綴りが話す言葉に近づけるようにした。英語を勉強したことがある誰でも分かるように身に付けるには最も難しいところのひとつが英語の綴りのことだ。スペルの例外が数えきれないほど多くあり、矛盾さが目立ち特に第二言語として学ぼうとしている人たちにとって苦しませることが多数ある。SR1は総合的に英語のスペルをもっと合理的にしようとした。必要ないEを廃止するやf音をするphをなくすなどしようとした。他のスペル変革の例はこのようだった。 are→ar, were→wer, give→giv, have→hav, large→larg, some→som, because→becaus, gauze→gauz, leave→leav, freeze→freez, valley→vally, achieve→achiev, examine→examin, practise→practis, opposite→opposit, involve→involv, serve→serv, heart→hart.  雄弁で評価されているホイットラム氏は英語の変革にも熱心だったので、SR1の密な支持者でもあった。そこでホイットラム政権が豪政府の正式用語としてSR1を導入した。たとえば、当時の健康省がHealth MinistryからHelth Ministryとなった。  このように英語のスペルがだいぶ分かりやすくなった。同時メートル法の導入をして大成功に終わった。だが、SR1が正式に採決したとは言え、実質的に使うところがほとんどなかった。役員たちが使ったとは言え一般庶民に馴染みがなく従来のスペルと使い続けた。  ホイットラム政権がスキャンダル連発で1975年に連邦総督ジョン・カー氏によってホイットラム首相を罷免した。同時に政府の正式用語としてSR1使用が終了となった。同年豪州全国教職員組合がSR1を公式語として採決したが一般社会同様実質的に従来通りのスペルを使い続くことしかなく徐々にSR1支持者の数が自然不滅するようになって1980年代まで趣味程度で続ける人しかいなかった。  今でもSR1を支持する人々や団体が存在するがあくまでも超少数派である。ちょっと残念かもしれない。どう見ても英語が母国語じゃない人たちにとって文書が極めて分かりやすくなるがhttp://en.wikipedia.org/wiki/SR1SR1のような変革を現時点豪ホイットラム政権のような公的な認可はまずなく、社会的な支持がさらに現れそうもない。 当時革新派だった豪労働党がキャンペーンに使用された曲の波紋が広がったが英語綴り変革が失敗に終わった SR1の詩 Draw a breth for progress, Tred abrest ahed. Fight agenst old spelling, Better “red” than “read”. Spred the words at brekfast, Mesure them in bed, Dream of welth and tresure, Better “ded” than “dead”.