Not long after the end of World War II, John Collins would sit and eat sandwiches at Ground Zero in Hiroshima, then sift through the rubble left from the city subjected to the world’s first nuclear attack for items he thought could become historically valuable. 戦後間もなく、ジョン・コリンズ氏は、広島市の原爆中心地に座ってサンドウィッチを食べてがれきの中に歴史的に価値のあるものを探し回ったことがあった。 Collins was then a 19-year-old sapper with the Australian troops making up the bulk of the British Commonwealth Occupation Forces (BCOF) stationed in Japan from February 1946 to April 1952. 当時、コリンズ氏は、1946年2月から1952年4月の間で英国連邦進駐軍(BCOF)の約9割で構成したオーストラリア軍の一人だった。19歳だった。
国立国語研究所学者角田太作氏は、日豪関係に対して長年に渡ってとてもユニークな貢献をしてきている。 同氏は、オーストラリア先住民であるウォロンゴ族が使っていたウォロンゴ語が話せる世界中で唯一の人である。幸いに、同氏は言語学者であり、ウォロンゴ語の辞書を作り、ウォロンゴ族の人々にその言葉を必死に教えようとしている。 最近、オーストラリア全国及びアジア・太平洋地域に向けて放送しているラジオ局ラジオ・オーストラリアが角田氏をインタービューし、ウォロンゴ語の例も話し中に出ている。 角田氏に脱帽します。 Japanese linguist helps revive an Aboriginal language (English) 角田氏のインタービュー(英語)
大、大、大好きの編集者である都築響一のフェースブック・ページから得た情報だが、オーストラリア北部ノーザン・テリトリーにあり、世界遺産であるカカドゥ国立公園内クーンガラ地区がが世界遺産指定エリアに入り永遠に守れるようになる。 日本発信旅行ブログOnTimeによるとカカドゥは、ウランが大量にあり、オーストラリア経済に有力ある鉱業がどうしても掘り出したがっているが、先住民のジェフリー・リー氏がずーとクーンガラを守って行こうとした。 詳しくはOnTimeへ(日本語)
メルトダウンが起こったフクシマ第一原発により、フクシマ住民が放射能・放射線の人体への影響の実験素材となっている、とオーストラリアの有名なニュース・時事番組60 Minutesが8月中に報道されている。
オーストラリアでは、数少ないながら日本人・日系人の影響が昔からあった。19世紀からでも、日本人を中心に西オーストラリア州のブルーム市では、多くの日本人が真珠取りに活躍したのがある程度知られているが、そこで生まれた言語の貢献についてはそれほど知られていないかもしれない。
ANZAC Day, April 25, has become an almost holy day on the Australian calendar in the early 21st century as the country celebrates the efforts and sacrifices of its military personnel since it first went to war as a nation at Gallipoli in 1915, but few remember Japan was an ally that played a vital role in creating the ANZAC legend. 21世紀初期現在、ANZAC Day(4月25日)がオーストラリアでは、1915年に国として初めて戦争を体験したガリポリをはじめ復員兵などの努力や犠牲を称える聖なる日のような存在となっているが、そのANZAC伝説づくりに味方としての日本の大きな貢献がほとんど知られていないのだ。
豪政府は、東日本大震災の支援事業をたくさん行っている。 詳細および協力方法などは豪政府が開設したホームページへ。 がんばれニッポン!オーストラリアが応援しているよ! Aussies looking to help out Japan following the Tohoku earthquake, tsunami and nuclear disaster can find ways through a newly established Australian Government website “Australians Helping Japan.” Let’s help this great country and great, long-time friend of the land Down Under to get back on its feet. 参考 Australians Helping Japan
教師でもあり歴史家でもあるジェームス・マードック氏は、その生涯の多くの時間を日本とオーストラリアで過ごした。 ヴェルサイユ条約(パリ講和会議)に於いては、白豪主義真っ只中の豪州国内で、日本が提案した議題、人種的差別撤廃の数少ない支持者であったが、結果的には同条項は採択されなかった。 James Murdoch, a teacher and historian who spent much of his life in Japan and Australia, fought an ultimately losing battle as one of the few supporters in White Australia of Japan’s proposed equality clause in the Treaty of Versailles.
知られざる日豪関係 Australia Owes Booming Industry to ‘Ricing’ Son オーストラリアは、現在世界トップ20圏内に入る米の生産国となっているが、そのルーツは20世紀初期に移民した日本人にあった。 Australia’s rice industry is among the world’s 20 largest and the business Down Under owes its start to a Japanese immigrant early last century.
おなら消臭パンツ、ペットが人間のトイレを使えるようにする道具(上記動画参照)や原材料がミミズの排泄物だという肥料などの一風変わったオーストラリア発の発明品が年間約12億豪ドルの経済効果があるとシドニー・モーニング・ヘラルドが27日に報道された。