Art World Aoyama

It’s hard to believe that I was deeply disappointed to leave our old workplace near Odaiba because I loved the walk across the Rainbow Bridge but the art-filled district of Aoyama where I work now is really making up for it.

I love wandering the streets at lunchtime to find little nooks and crannies filled with unexpected beauties, and the Aoyama area, one of Tokyo’s trendiest, really puts them on show. I’m only a few minutes’ walk away from the wonderful (and free) Spiral art gallery and cafe, which regularly puts on outstanding displays.

I remember when I shared my disappointment of relocating, my doctor told me that most people would be delighted to head where I was going.

I doubted her then, but can agree wholeheartedly now.

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    感激!同性婚保安可決に豪国会内「合唱団」が豪州人統一感の歌を

    オーストラリアが長年の対立の末、12月7日にようやく同性結婚を合法化し、法案が可決した瞬間国会傍聴席で「皆同じオーストラリア人」という歌を歌い出し、国会議員も一緒に歌ったという感激なハプニングが起こった。  オーストラリアに同棲が多く、同棲の政治力が強いが同性婚反対である保守派が長い間権力を握った。  青年でカトリック神学校の信心深い生徒だった2013年~2015年の間総理大臣だったトニー・アボット氏が同性婚を強く対抗し、認める措置を全面的に却下したが、現首相マルコム・ターンブル氏が同性婚支持者で知られた。  ターンブル氏が与党である(補修派の)自由党内や宗教団体などの反対に対して先月国民投票の実施まで導いた。歴史的に成功率が極めて低かった国民投票では有権者の6割以上の人が同性婚に賛成した。  その結果をもって、ターンブル氏が国会に同性婚認可法案を提出した。国会下院・上院でも圧倒的に指示された。結局、反対したのはわずか4議員。  議席内の同性婚が圧倒的に指示されているにもかかわらず、アボット元総理をはじめ数人の議員が棄権した。豪国会では、法案が圧倒的に支持されている場合、表を数える必要がなく、同性婚についての投票がそのケースだった。  法案が可決し採択されたら、同性婚が合法化された瞬間傍聴席から「我々がオーストラリア人」という曲が一斉歌えるようになった。一緒になった議員もいた。  その曲が元々1960年代日本でもヒットした「ザ・シーカーズ」が作曲し、「非公式な国歌」と見る人が多い。同曲の歌詞は、オーストラリアの歴史の歴史をちなみ、色々な違いがあっても皆が同じオーストラリア人であることを強調し、対等性や平等や統一感を訴える曲であり、オーストラリア人の間に広く愛されている。 Australian parliament breaks into song after passing same-sex marriage law

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    我輩は日豪パイオニアである:日本の心を掴んだオージーぼっちゃん

    教師でもあり歴史家でもあるジェームス・マードック氏は、その生涯の多くの時間を日本とオーストラリアで過ごした。 ヴェルサイユ条約(パリ講和会議)に於いては、白豪主義真っ只中の豪州国内で、日本が提案した議題、人種的差別撤廃の数少ない支持者であったが、結果的には同条項は採択されなかった。 James Murdoch, a teacher and historian who spent much of his life in Japan and Australia, fought an ultimately losing battle as one of the few supporters in White Australia of Japan’s proposed equality clause in the Treaty of Versailles.

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    「強盗殺人」なのにBig Thingsを含めて豪がNed Kellyを称える理由は何だ?

     今日の「Big Things」はオージー文化に深く関わるものと関するが、その背景が分からないと理解しがたいかもしれない。  ビクトリア州グレンロアンにある高さ6メートル幅2メートルのBig Ned Kellyは、オーストラリアで英雄とされているネッド・ケリーを称える。  「英雄だったら、すごい人だろう?」と思うだろう。  が、、、  、、、実は、強盗殺意人だ。  ま、石川五右衛門やロビン・フッドのように、裕福な人や権力を乱用する人に対して盗難をし、得たものを庶民に配ったりするような犯人だったらなんとなく分かるような気がするね。  しかし、、、そのような強盗者でもなかった。盗んだ物を自分・自分のギャングしか使わなかったし、殺した人が警官及びかつて親しいだった友人だった。  じゃ、政治的な理由でそのようになって人々のために戦った人物だったのか?  それも、ない。イギリス植民地時代だったので、抑圧されたアイルランド系の人だったに違いないが生きている間に特に政治的な動きをしたことはそれほどなかった。後になったそのように描こうとした人が時々出てくるが、本当は恐らく違う。  なんだかんだ言ってもネッド・ケリーはただの強盗殺人としか言うようがない。  なので、何でオーストラリアでそんなに尊敬されている?全国で英雄扱い、史上初長編映画の主体となり、以降ミック・ジャガーやヒース・レジャーなどがネッド・ケリー役を演じたり、実物が警官と正念場があったグレンロアンを中心に活動した地域が観光地となったり、研究の主体となったりしてネッド・ケリー神話が壮大となって、どんなオーストラリア人でもよく知っている。  でも、ただの強盗殺人だったら何でそんなに尊敬されているだろう?  不思議でしょうがないよね。 ネッド・ケリーが自作鎧で警察と銃撃戦を行い、その末で捕まえられ死刑となった。鎧が確かに格好良かったので、それだけで人々を魅了したかもしれない? それとも、多分、正解は豪州のヨーロッパ系歴史にあるかな?  そもそもイギリス人がオーストラリアを植民地化した理由は流刑地になるためだった。  ヨーロッパ系住民のほとんどが囚人だったので、反権威主義の人が比較的に多かったかもしれない。犯罪に対しての見方がじゃっかんゆるいところがあったかもしれない?  未だにまだその傾向が豪社会で見える部分がある。  豪史上最多数ノンフィクション本の作家は自称ヒットマンであるマーク・チョッパ・リードが執筆した。そして、今で豪テレビで実際に起きた犯罪や実際に起こした実在する犯人を題材とした圧倒的に支持されて最も人気番組がアンダベリー・シリーズである。  こういう豪社会の潜在的な反権威主義がネッド・ケリー神話の基礎となっているかもしれない。本当の理由は何か分からないが、奥が深いに違いない。  ちなみに、グレンロアンにはもう一つの「Big Things」がある。これはBig Cherryだ。それについてまた後日掲載する。  そして、もう一つのネッド・ケリー「Big Things」もある。それがクィーンズランド州にある。ネッド・ケリー自身が同州へ行くことはなかったのでなぜそこに作られたが、全国的の人気の象徴とも言えるだろう。その「Big Things」が同州のメリーバラという町にある。 ヒース・レジャーが主人公となった「ネッド・ケリー」2003年 ミック・ジャガーが主人公となった「ネッド・ケリー」1970年 The Story of the Kelly Gang 大きな地図で見る

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    Shear Fluke! A Rare Aussie Cultural Hit in Japan

    Australia’s impact on Japanese society is visible in numerous areas, but in the cultural sphere, Australian influence has been negligible at best. オーストラリアは日本社会に対してあらゆる分野で与えた影響が見えるが、文化の面ではオーストラリアのインパクトがほぼないといって良いところだ。 Apart from a literal honeymoon period in the early 1990s when cashed-up newlyweds made Down Under their favored destination, the odd hit movie during the Australian New Wave cinema of the 1970s and 1980s, notably the Mad Max and Crocodile Dundee series, and the even rarer hit song — by artists most Japanese normally regarded as coming from the United States, anyway — Aussie cultural influence has largely been limited to sporadic moments of faddishness. バブル経済効果がまだ残っていた1990年代前半で「ハネームーン・ブーム」によってオーストラリアがハワイを抜いて新婚旅行地1位となり、マッド・マックスやクロコダイル・ダンディなどのオーストラリア・ニュー・ウェーヴ映画やためにアメリカ人と見なされた歌手がヒット曲を出した時に除けば、オーストラリアが日本に対して文化的な影響が一時的な流行以外はない。 It’s fair to say that Australia has hardly been, well, Big…

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    Little Girl’s Story Opens Door to Aussie Animal Boom in Japan

    Back in the early ’80s Australia did not command a great deal of attention in Japan (to be honest, it still doesn’t command that great a presence to this day…) Things changed, however, with the launch of Lucy-May of the Southern Rainbow. Lucy-May of the Southern Rainbow was an anime by Nippon Animation that aired weekly from January 10 to December 26, 1982. The cartoon told the story of Lucy-May Popple and her family, who had emigrated from Yorkshire to live in Adelaide, Australia. The story was based on a book called Southern Rainbow by Australian author Phyllis Piddington. The anime would be translated into numerous languages and aired in…

  • Strine(オージー英語)を生んだ親

    Afferbeck Lauder氏はストライン(オージー英語)の父と言っても過言ではない。  1950年代から1960年代にかけてまでほとんどのオーストラリア人が自国が英国帝国の一部として見て、イギリスと親密感があった。オージー英語の特殊さ及び独特な味を誇りに思うより、恥ずかしがる人が多かった(これは別の話し後日にお話しするが、この現象がcultural cringe< 文化的従属的姿勢>という)。