How Japanese Men Shaped An Australian Language

日本人男性が育てたオーストラリアのある言語

Japanese people living in far northwestern Australia played a crucial role in development and use of an Australian language.

オーストラリア北西部で暮らしていた日本人たちが、あるオーストラリアの言語の発展に大きな役割を果たしていた――そんな事実が改めて注目されている。

Mostly male pearl divers, the Japanese people who lived in and around Broome in the late 19th to early 20 centuries influenced the Broome Pearling Lugger Pidgin.

19世紀末から20世紀初頭にかけて、主に男性の日本人真珠潜り師たちが多く暮らしていたブルーム周辺では、「ブルーム・パーリング・ラッガー・ピジン」と呼ばれる言語が使われていた。

Broome Pearling Lugger Pidgin is named for the lugger boats used in the pearling industry around Broome, which was booming at the start of the 20th century. The pidgin is Malay-based, but had a strong Japanese tinge, as well as incorporated English and various Indigenous Australian languages.

このピジン語はマレー語をベースに、英語や先住民の諸言語が混ざり合い、さらに強い“日本語の風味”が加わっていた。

JAPANESE PEARL DIVERS, WITH VICTOR KEPERT ABOARD A PEARL LUGGER, BROOME, WESTERN AUSTRALIA, CA. 1914 / Photographer: John Flynn (1880-1951)

The industry attracted a diverse number of ethnicities and people groups, including, Malays, Torres Strait Islanders, Koepangers, Hakka Chinese, Filipinos, Sri Lankans, and Koreans. They mixed with local Indigenous Australians, particularly the Bardi people, but also the Nyulnyul, Jabirr Jabirr, Jukun, Yawuru, and Karajarri peoples.

この言語名の「ラッガー」は、当時の真珠産業を支えていた小型帆船のこと。20世紀初頭のブルームは真珠産業が最盛期で、マレー人、トレス海峡諸島民、クパン人、客家系中国人、フィリピン人、スリランカ人、朝鮮人など、実に多様な人々が集まっていた。彼らは地元の先住民、とくにバルディ族をはじめ、ニュルニュル族、ジャビルジャビル族、ジュクン族、ヤウル族、カラジャリ族の人々とも関わりながら働いていた。

Broome Pearling Lugger Pidgin developed as a lingua franca for the bunch of various language families interacting all at once without a common language yet needing communication to keep up the pearling industry and livelihoods.

共通語を持たなかった多様なコミュニティが一斉に交わる中で、日々の仕事と生活を成り立たせるために発達したのが、ブルーム・パーリング・ラッガー・ピジンだった。

Although Broome Pearling Lugger Pidgin was Malay-based, and the English used was mostly Indigenous Australian English, Japanese also played a part.

マレー語を基盤としつつ、使われていた英語は主に先住民英語。そして日本語も重要な役割を果たした。たとえば、日本語の「刺身」から来た「チャチャミ」などの語彙に加え、日本語風の文法助詞が取り入れられていたことが特徴だ。

Japanese contributed something extra, in addition to certain Japanese phrases and cultural terms like chachimi, from Japanese sashimi. These were grammatical particles, added in an almost-Japanese fashion. This includes the copula that some might equate to the verb to-be, ya (originally da in Japanese, or perhaps using the ya of Kansai dialect). Other particles include the particle nga, which comes from the Japanese topic marker, wa.

日本語の「だ」あるいは関西弁の「や」に由来するとされるコピュラ(英語の“be”動詞に相当)「ya」、そして日本語の主題提示「は」に由来するとみられる助詞「nga」などが、その代表例とされている。

Japanese were crucial in the development of Australia’s pearling industry, which remains a lucrative business to this day.

日本人は当時の真珠産業の中心的存在で、産業自体の発展にも欠かせなかった。

By the start of the 20th century, Japanese pearlers had come to dominate the business in Broome.

20世紀初頭には、ブルームの真珠産業従事者の約9割が日本人だった。

So crucial were the Japanese, who made up about 90% of the industry’s workers, they were exempted from the 1901 White Australia Policy, a race-based program that severely restricted non-white immigration in Australia for most of the 20th century.

その重要性から、白豪主義を掲げて非白人移民を厳しく制限した1901年の白豪州主義から、日本人真珠潜り師は特別に除外されていたほどだ。

Japanese once again proved crucial in improving relations soured by World War II by nurturing the cultivated pearl industry.

第二次世界大戦で日豪関係が冷え込んだ後、両国の関係改善の架け橋となったのも日本人の存在だった。

Tokuichi Kuribayashi, who owed the Nippo Pearl Co. and had been involved in the invention of cultivated pearls with Kokichi Mikimoto in the early 1900s, was part of a joint venture with an Australian company called Pearls Pty. Ltd.

初期の養殖真珠開発に携わった栗林徳一(ニッポ真珠社)は、オーストラリア企業「パールズ社」と共同で事業を立ち上げた。

Kuri Bay, named after Kuribayashi, would become home to Australia’s first cultured pearl farm.

オーストラリア北西部の「クリ・ベイ」は栗林の名前に由来し、ここがオーストラリア初の真珠養殖場となった。

Kuribayashi is also honored with a statue and commemorative plaque in Broome, together with Hiroshi Iwaki, who had worked with Pearls Pty. Ltd.

ブルームには、栗林とともに事業を進めた岩城弘を称える像や記念碑も建てられている。

Australia’s pearling industry today includes 20 cultured pearl farms, generates annual exports of A$200 million, and employs approximately 1,000 people.

現在、オーストラリアの真珠産業は20カ所の真珠養殖場を抱え、年間約2億豪ドルの輸出を生み出し、約1,000人を雇用する産業となっている。

Broome Pearling Lugger Pidgin is no longer used with English the common tongue of the industry.

ブルーム・パーリング・ラッガー・ピジンそのものはすでに使われていなく、死語となり英語が使われている。

But the impact of the Japanese presence remains strong and honored.

しかし、真珠の街ブルームには、今もなお日本人が残した足跡と影響がしっかり刻まれている。

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    南豪州政府が「みだらな言葉使用道路標識」が合法性を維持

    「みだらな言葉と二重の意味のある道路標識が一部の市民の感情を害しても社会全体に高く評価されたり、交通安全につながるから合法だ」と南オーストラリア政府がこの頃判断を下した、と豪ニュースサイトnews.com.auが報道した。  同州と隣のビクトリア州をつながるハイウェイに使われている交通安全用道路標識3種類はみだらな言葉と二重の意味の表現を使って同道路に運転しているドライバーに交通安全を訴えている。  しかし、それに対して同州議会無所属議員ボブ・サッチ氏によると「標識が感情を害する」と州政府に陳情した。  が、同州交通安全大臣ジェニファー・ランカイン氏は「苦情に理解できてものの、言葉が主観的なものであり社会風習に違反しないし、例え若干無責任な言葉づかいであっても交通案の効果を考えれば使い続けるしか選択がない」と苦情を却下した。  ランカイン氏によると同標識が使用開始したからシートベルト着用違反が9%減少、飲酒運転が5%ダウン、スピード違反件数も15%下がった。  標識は「cock(雄鶏)かwanker(anchor< いかり>にWをつける)またはknob(ノブ)のように運転するな!」に訳出できる。いずれの言葉が「バカ野郎」と別意味がある。 South Australian Government rejects complaints about ‘offensive’ road safety signs

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    オージー英語が革命を逃した時代

     1970年代前半オーストラリアは、画期的な時代だった。社会的な変化が多い時代であって今のオーストラリアに大きな影響与えている時期でもあった。その激しく変わる時代の中であまり知られていない変化のひとつはあのストライン、要するにオージー英語だった。  1972年に革新派のゴフ・ホイットラム氏を首相としてオーストラリア労働党が23年ぶり政権となった。独立した1901年以降ほとんど保守派の政権下だったオーストラリアは、ようやく1960年代のカウンターカルチャー運動などによって大きく変化を起こした欧米に比べて時代遅れて数多く進歩的な動きが始まった。ホイットラム氏が首相となって数か月以内に先住民族の権利を認め、1960年代半ばから実質的に実施しなかった白豪主義を正式に廃止し、ベトナム戦争の参戦撤去、18歳に投票権を与え、徴兵制を廃止したなど、豪社会の芯まで変えた。移民政策が白人移民を中心よりアジアをはじめ有色人種を積極的に受け入れるようになったなど、ようやくオーストラリアがイギリスを中心にヨーロッパの前哨基地としてでなく、アジア・太平洋地域の一国である認識を持つようになりつつあった。  しかし、あまり知られていない変革も起こそうとした。それはSR1の導入だった。SR1はSpelling Reform 1(綴り変革1)の省略だ。話す言葉に影響がなかったが英語の綴りが話す言葉に近づけるようにした。英語を勉強したことがある誰でも分かるように身に付けるには最も難しいところのひとつが英語の綴りのことだ。スペルの例外が数えきれないほど多くあり、矛盾さが目立ち特に第二言語として学ぼうとしている人たちにとって苦しませることが多数ある。SR1は総合的に英語のスペルをもっと合理的にしようとした。必要ないEを廃止するやf音をするphをなくすなどしようとした。他のスペル変革の例はこのようだった。 are→ar, were→wer, give→giv, have→hav, large→larg, some→som, because→becaus, gauze→gauz, leave→leav, freeze→freez, valley→vally, achieve→achiev, examine→examin, practise→practis, opposite→opposit, involve→involv, serve→serv, heart→hart.  雄弁で評価されているホイットラム氏は英語の変革にも熱心だったので、SR1の密な支持者でもあった。そこでホイットラム政権が豪政府の正式用語としてSR1を導入した。たとえば、当時の健康省がHealth MinistryからHelth Ministryとなった。  このように英語のスペルがだいぶ分かりやすくなった。同時メートル法の導入をして大成功に終わった。だが、SR1が正式に採決したとは言え、実質的に使うところがほとんどなかった。役員たちが使ったとは言え一般庶民に馴染みがなく従来のスペルと使い続けた。  ホイットラム政権がスキャンダル連発で1975年に連邦総督ジョン・カー氏によってホイットラム首相を罷免した。同時に政府の正式用語としてSR1使用が終了となった。同年豪州全国教職員組合がSR1を公式語として採決したが一般社会同様実質的に従来通りのスペルを使い続くことしかなく徐々にSR1支持者の数が自然不滅するようになって1980年代まで趣味程度で続ける人しかいなかった。  今でもSR1を支持する人々や団体が存在するがあくまでも超少数派である。ちょっと残念かもしれない。どう見ても英語が母国語じゃない人たちにとって文書が極めて分かりやすくなるがhttp://en.wikipedia.org/wiki/SR1SR1のような変革を現時点豪ホイットラム政権のような公的な認可はまずなく、社会的な支持がさらに現れそうもない。 当時革新派だった豪労働党がキャンペーンに使用された曲の波紋が広がったが英語綴り変革が失敗に終わった SR1の詩 Draw a breth for progress, Tred abrest ahed. Fight agenst old spelling, Better “red” than “read”. Spred the words at brekfast, Mesure them in bed, Dream of welth and tresure, Better “ded” than “dead”.

  • Offsider/アシスタント

    Offsider Australian English An assistant or a helper. It can also be used to describe a very close friend. 日本語 1) アシスタント。補助員。お手伝いする人。ヘルパー。 2) とても仲がいい友達のこと。 Plain English 1) A helper, assistant. 2) A very close friend. Strine Dictionary

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    豪キャブラリー: Belt up

    Belt upを聞くとまずシートベルトを付けると思うがちだが、オージー英語ではシートベルト及び普通のベルトでもまったく関係ありません!  かえて、安全を守ってくれるシートベルトやズボンなどを落ちないように役立つベルトのようなポジティブな感覚が一切なく、「黙れ」または「人をボコボコにする」という意味になる。この場合の使い方の由来は、恐らく昔ではベルトがよく体罰に使われたからだろう。しかし、なぜ「shut up」の代わりに使えるようになったかが不明だ。

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    豪キャブラリー: Neddies

    Neddiesは、競馬のことだ。あまり知られていないが日本は世界の競馬大国である。世界中の100件のG1レース中46件が日本で行っている。  しかし、オーストラリアでも競馬が栄えているし、毎年11月の第二火曜日がメルボルンカップデーであり、ビクトリア州では以前祭日だった(今は違う)し、レースが始まる午後2時40分になるとオーストラリア全国が止まると言われている。

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    豪キャブラリー: Rage

    Rageはほかの英語圏の国でいうと「怒る」か「おこる」の意味になるがオージー英語では同様の使い方の上に「盛り上がる」という意味にもなる。英語ではステロイド服用の副作用である怒りをroid rageと言い、車などの事故後の激怒はroad rageだけどオージー英語のall night rageは一晩中怒っているという意味じゃなくて、一晩中遊んでいるという意味になる。