チョコで作られたガーデンがメルボルンに出来た

Kirsten Tibballs in the Chocolate Garden at Savor Chocolate School in Melbourne.
 花、蝶々、草、土、木なども全部チョコレートで創られた「ガーデン」がメルボルンで21日付に出来たとエイジ紙が報道した。
 メルボルン市にあるセーバー・チョコレートとペストリー・スクール校長カーストン・ティッバルズ氏が600キロのチョコレートを使って3ヶ月かけてチョコガーデンを作った。
 費用が莫大だったので「言いたくない」と同氏が笑いながら言う。 
 同校は、世界中多くのケーキ大会に出場したり、「ケーキ彫刻」や「ケーキ・アート」に熱心。

Chocoholics set to demolish edible garden
同校ワールド・チョコレート・マースターズ出場風景(2011年日本人が世界2位に選ばれた)

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    Why Have Thousands Of Young Aussies JET-ted Off To Live And Work In Japan?

    なぜ何千人ものオージーが日本で暮らき、働く道を選んだのでしょうか? Since 1987, the JET Programme has brought thousands of young Australians to Japan as assistant language teachers and international coordinators. Many arrived expecting a one-year adventure, but found lifelong friendships and careers instead. 1987年に始まったJETプログラムは、何千人ものオーストラリアの若者を外国語指導助手(ALT)や国際交流員として日本へ迎えてきました。1年間の経験のつもりが、一生の友情や仕事につながった人も少なくありません。 An idea with a big vision 大きな夢から始まった交流事業 The Japan Exchange and Teaching (JET) Programme was launched in 1987 by the Japanese Government to promote international understanding at the local level. Australia became one of the first participating countries and remains one of the programme’s largest partners. JETプログラムは1987年、日本政府が地域レベルで国際交流を深めることを目的に始めました。オーストラリアは開始当初から参加しており、現在も主要な参加国の一つとなっています。 Far more than teaching English 英語を教えるだけではない Australian participants teach English in schools, but they also introduce students to Australian culture, sport and everyday life. In return, they learn…

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    How Did A 19th Century Kangaroo Spark Japan-Australia Ties That Now Seem A Perfect Match?

    カンガルーが火をつけた日豪交流 ― まさに“マッチ”した関係の始まり? Long before Australia became one of Japan’s closest partners, Japanese manufacturers had been using kangaroos to promote their products. The earliest documented reference to the commercial use of a kangaroo in Japan came from 1884, when a misemono traveling curiosity show advertised that it would feature a fukuro nezumi, literally a pouch mouse, at the Tenmangu Shrine grounds in Osaka. オーストラリアが日本の最も親しいパートナーの一つとなるはるか以前、日本のメーカーはすでにカンガルーを商品の宣伝に活用していました。 現在確認されている日本におけるカンガルーの最初期の商業利用は、1884年に大阪・天満宮境内で開かれた見世物興行の広告です。そこには、カンガルーが「袋鼠(ふくろねずみ)」として紹介されていました。 A Kangaroo on a Matchbox マッチラベルに描かれたカンガルー Japan first enacted a trademark registration system in June 1885, and Kobe-based match manufacturer Seisuisha registered its first trademark on Oct. 11 of that year. It was a matchbox featuring a lion. The lion was part of a series…

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    日本マクドナルドのAussie Deliバーガーが豪Maccasらしくない!

     現在日本マクドナルドが全国で「世界の★★★マック」キャンペーンを実施中で8月下旬からオーストラリア風のAussie Deliバーガーを発売することになっているが、そのオージー・デリがオージーらしくない上にオーストラリアのマクドナルドで販売されたことがない。  「Deli」バーガー類が2004年から2010年の間マクドナルド・オーストラリアのメニュにあったが、今回販売されるAussie Deliとそっくりな物はなかった。現在のメニュでも、マクドナルド・オーストラリアでは似ているものがない。あると言えば、ブレークファーストメニュのボストン及びニューヨーク風ベーグルしかない。  日本マクドナルドの「世界の★★★マック」キャンペーンでは、Aussie Deliがこのように説明されている『「オージーデリ」は、ふっくらとしたスチームバンズに、オージービーフを使用したパストラミビーフをたっぷりとサンドしました。イエローマスタードソースと香味野菜のソースがビーフの旨みを最大限に引き出した、オーストラリア生まれのおいしさです。』  「オーストラリア生まれのおいしさ」というが、豪生れのはオージービーフとAussie Deliというネーミング以外、中身が少しでもオーストラリアらしくない。Aussie Deliの中心素材であるパストラミビーフはもともとヨーロッパなどで食べられて北米で人気になったが、オーストラリアで決して広く食べられていると言いえない。オーストラリアでは絶対にサンドイッチやバーガーの主流材料ではない。  なので、名前がAussie Deliとは言え、オージーの中身が使われているビーフにしか過ぎない。  だが、Aussie Deliが全くオージーらしくないことを別にしておいて、今昔オージーらしいバーガーがオーストラリア・マクドナルドが実際に販売している。  それがかつて販売したMcOzというハンバーガーだった。  そのハンバーガーの中身にはオーストラリアらしいハンバーガーに欠かせない素材であるパイナップルかビーツやタマゴにBBQソースがあった。  典型的なオージー・バーガー風味だ。  このバーガーの復活版と言って良いほど似ているものが今、ロンドンオリンピックに伴っているキャンペーンメニュに含めている。そのキャンペーンメニュの目玉がSydney Stackというハンバーガーがあり、McOzと同じようにオージーバーガーっぽい上記の素材は全部入っている。これらのバーガーこそが本格的なオージーマック味だ。  マクドナルドが本格的なオージー食を日本に提供しようとしていないかもしれないが、それにも関わらずオージー英語に興味ある方にとって面白いことかもしれないのがストライン(オージー英語)を取り入れている例が見える。それはブレークファーストメニュのAussie Brekkie Wrapだ。  実は、マクドナルドがオージー英語だけでなく、英語全体に影響を与えている。もともとマクドナルド社がカフェがマックカフェなどと呼ばれているように自社ブランドの商品名などに「マック」をつけることがあった。そこから「マックワード」が出来た。一つの例として、大手の建築会社がハンバーガーのように量産された大型の分譲住宅がマックマンションと呼ばれている。  また、低賃金、待遇劣悪、マニュアルに沿うだけの単調で将来性のない仕事がマックジョブと呼ばれてる。  言語に与えた影響がマクドナルド名にまで影響が及んだ。オーストラリア英語ではマクドナルドが一般にMaccasと呼ばれている。マクドかマックで日本語で場所によってマクドナルドの呼び名とが違うということは英語圏をはじめ世界中で見られる面白い現象だ。  下記の表では、世界ヵ国のマクドナルドの呼び名を掲載している

  • オーストラリアでの花見をお楽しむのが9月!

    南半球にあるオーストラリアの季節は日本と正反対であり、桜が咲いて「お花見」するのが4月頃でなく、9月辺りにやるんだ。 オーストラリアで「お花見」という習慣は元々ない。 だが、各地でさくらんぼが栽培され、チェリー農園が多いし、桜を見ないわけでもない。 そこで、在豪日本人コミュニティや親日家を中心に南半球の春にあたる9月にお花見をやることがあるだそうだ。 今年はまさにそうだ。  9月23日(日)にはメルボルンからおよそ40キロ東の方へオリンダという町がある。そこに多数の桜の木もある「豪国立ツツジガーデン」がある。毎年、そこで「お花見」するそうだ。日本と違って、お祭りモードになったり、お騒ぎすることがないが、本当にお花を楽しむ。また、オーストラリアでは暴れる人が多いため多くの公の場が禁酒しているので、このガーデンもそうだから、お酒なしの花見となる。 日本のお花見と同じように出来ると思えば、がっかりするだろうが、その代わりに周辺にたくさん魅了的なものがある。 ガーデン自体がかなり美しい。 ガーデンのとなりにだれでもプレーできるゴルフ場があるが、一方神秘的なウィリアム・リッケッツ・サンクチュアリーがある。そこで綺麗な森の中に自然と一緒になっている彫刻が多数ある。山の上にもあるので、景色が良くて、メルボルン市内全部丸見える。 それでも足りなければ、ワイン産地であるヤラ・バレーも車で30分以内にいける。 Hanami Cherry Blossom Festival

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    Worst Aussie Songs Ever! 豪史上最低曲ワースト10!

    オーストラリア歌謡曲ワースト10は1980年代・1990年代が中心となっており、2000年シドニー・オリンピック開会式主人公だったニッキ―・ウェブスター氏の「Strawberry Kisses」と最低となり事実上同氏のキャリアにピリオドにうった効果と言っても過言ではない。  同リストが音楽会関係者数人が匿名を条件として、今年決めたものだ。  1980年代活躍したオージーボール選手2人や一発屋などが中心となっているけど、世界的にヒットしたPseudo Echoや1970年代オージー・ロックを象徴とするSkyhooksといって素晴らしい実績を残してるバンドの曲も入っている。中には、オーストラリア史上最高売り上げ数の「Shaddap You Face」も仲間入りしている。  このバンドは日本であまり馴染みがないが日本で1970年から1989年の間に開催された世界歌謡祭記念大会でPseudo Echoが1987年と1989年唯一2回もオーストラリア代表として出演し、前方では「Take On The World」という曲で見事に同大会を優勝した。 No. 1 – Nikki Webster – Strawberry Kisses No. 2 – Mark ‘Jacko’ Jackson – I’m An Individual No. 3 – Colette– Ring My Bell No. 4 – Craig McLachlan – Mona No. 5 – Joe Dolce – Shaddap You Face No. 6 – Pseudo Echo – Funky Town No. 7 – Nolene Donaher – No Regrets No. 8 – Warwick Capper – I’ll Only Take What’s Mine No. 9 – Jason Donovan – Too Many Broken Hearts No. 10 – Skyhooks – Jukebox in Siberia 参考記事(英語) Australia’s Worst Songs Ever

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    Why Did Aussies Fall in Love with Japan’s Akiya?

    なぜオージーは日本の空き家に魅了されたのか? Lots of Aussies first discovered Japan through “Japow!,” its powdered snow. Now, many are discovering something even more unexpected—its empty country homes. From Niseko to Hakuba and beyond, Aussies are helping breathe new life into communities facing population decline. 多くなオージーが最初に夢中になったのは日本の雪でした。しかし今、彼らを引きつけているのは、地方に残る空き家です。ニセコや白馬をはじめ、日本各地でオーストラリア人が地域に新しい息吹をもたらしています。 Real Estate Romance Started with the Snow すべては雪から始まった The real estate romance relationship began in the 1990s when Aussie skiers discovered the deep powder snow of Hokkaido. Niseko soon became Australia’s favourite overseas ski destination. Many visitors returned year after year, eventually deciding to invest, settle or establish businesses in the region. すべては雪から始まった 1990年代、オーストラリア人スキーヤーが北海道の極上のパウダースノーを発見したことが始まりでした。 ニセコは瞬く間に人気のスキーリゾートとなり、何度も訪れるうちに、移住や投資、事業を始める人が現れました。 From Niseko to Hakuba ニセコから白馬へ After helping transform Niseko into an international resort, Australian…