Cop A Gander At These Rippers Too...

  • Strine Gives Two Chances: Buckley’s And None

    Buckley’s chance (or hope) is Strine for almost no chance. It means very unlikely or hopeless. Usually, Buckley’s alone is enough to convey the message. 日本語の意味 Buckley’s chance は「ほぼ可能性ゼロ」という意味です。 Explanation It comes from Australian history and folklore. It emphasizes extreme improbability. 日本語での解説 非常に低い確率を表す表現です。歴史由来の言い回しです。 Example “You’ve got Buckley’s chance of winning.”「勝てる可能性はほぼないよ。」 Strine Culcha Strine uses historical names for expressive exaggeration. The origin of Buckley’s as a saying is obscure. Some say it derived from the amazing story of William Buckley, a convict who went missing and was declared dead in the early 18th century only to emerge decades later having lived with indigenous peoples. Or it could have been Buckley &…

  • An Aussie Touch to a Landmark Japanese TV Show

    Australia provided an (admittedly unacknowledged) touch to Monster Prince (怪獣王子), one of Japan’s most popular TV shows in the late 1960s. Monster Prince told the story of Takeru Ibuki, a boy left stranded on a tropical island while a baby when his family is caught in a volcanic eruption and subsequently raised by dinosaurs living there. Together with his brontosaurus friend, Nessie, Takeru defends the island, and by extension the Earth, from invading aliens. And that’s where the Australian touch comes in…Takeru’s weapon of choice is a boomerang! The show ran for two series and was made by Nihon Tokusatsu Kabukikaisha. The role of Takeru was shared by twins, Yoshinori…

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    豪で最も雨が降る町は巨大ゴールデン・ゴムブーツ賞を(勝手に)受賞

     ゴールデン・ゴムブーツ賞はオーストラリア最北部にあるタリー、イニスフェールとビビンダという三つの小さな町が競争する賞であり、最も多く雨が降る町が受賞される、、、  、、、が、ビビンダが約40年間に渡りほぼ毎年降雨がオーストラリア一にも関わらず、タリーの行動力が良く勝手に雨に関する「Big Things」でありゴールデン・ゴムブーツを2003年に作成し、今同町の立派な観光スポットとなっている。  ゴールデン・ゴムブーツの7.9メートルもある高さは同町の年間降雨記録だった1950年の意味も示す。なお、同地域が絶滅危機にあるイエアメガエルの繁殖地でもあり、その存在をゴールデン・ゴムブーツにも認められている。  毎年、タリーがゴールデン・ゴムブーツフェスティバルも開催する。 View Larger Map

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    How Did Noriko Nishimoto Help Thousands of Japanese Discover Australia?

    西本典子さんは、どのように何千人もの日本人とオーストラリアを結び付けたのか? Long before influencers and travel bloggers, one Japanese woman was quietly introducing Australia to generations of Japanese visitors. Through warmth, knowledge and tireless community work, Noriko Nishimoto became one of the unsung builders of Australia–Japan friendship. SNSも旅行インフルエンサーも存在しなかった時代、一人の日本人女性が静かにオーストラリアの魅力を日本へ伝えていました。西本典子さんは、長年にわたり多くの人々を結び付けた、知られざる日豪交流の立役者です。 A New Home 第二のふるさと Noriko Nishimoto did more than settle in Australia. She made it her mission to help Japanese visitors and residents feel welcome. Whether answering questions, sharing local knowledge or building friendships, she became a trusted bridge between two cultures. 第二のふるさと 西本典子さんは、オーストラリアで暮らすだけではありませんでした。 日本人が安心して生活し、旅を楽しめるよう支え続けました。 情報を伝え、人と人を結び、日豪をつなぐ架け橋となったのです。 Building Communities コミュニティを育てる International friendship rarely happens through official ceremonies. It grows through everyday acts of kindness. By helping newcomers find their feet, Nishimoto strengthened both…

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    The Multi-Function Polis: 日本の新型都市をオーストリアで建設計画

     それほど遠くない昔前、日本が「日本の新型都市」をオーストラリアで建設する計画があったのは知っていた?  その都市はサンフランシスコのジャパン・タウンかロサンゼレスのリットル・トーキョーのような日本人や日本が大きく影響与える町の一部なところではなく、日豪政府が合同で運営する新しい都市を一から作ろうという大きな計画だった。また、その都市は当時の最先端技術を全面的に活用しようという予定だった。これはマルチ・ファンクション・ポリス(MFP)という都市だった。   オーストラリア政府が1980年代の半ば頃日本政府にMFP計画を発案した。当時、白豪主義などでずーと避けようとしたアジアに対して近づこうと豹変したオーストラリア政府の考えだった。日本がプラザ合意直後円高が続き40年間に及ぶ経済成長が絶好調に進みさらに一層景気が発揮するところだった(その「発揮」がバブルだということは後になった分かったが当時は「ジャパニーズ・ミラクル」として見られたのは忘れちゃいけない。)  日本が半導体などの世界的なリーダーであったので最先端技術及びその都市のブレーンなどを供給し、オーストラリアが場所を提供すると両国が合同で資金を出し、合同で運営する都市という計画だった。両国が計画に関する協議などが進み、候補地になるためオーストラリア各地で激しい競争を行い、最終的に南オーストラリアの首都であるアデレード市の郊外で作ろうとした。  しかし、オーストラリア国内での反発が激しかった。当時まだ潜在する反日感情が沸き、表でも与党党首だったアンドルー・ピーコック氏や復員兵が構成するRSL会長のアルフ・ガーランド氏を先頭に「あの都市がアジア人の居留地しかならん」など、反MFP計画勢が計画の反対を示し、なかなか進めなかった。  結局、時間が経つと共にオーストラリア政府の動きが鈍くなる。1980年代後半オーストラリアが深刻な不況に落ち、バブル絶好だった日本がその半日感情を考慮し強い後押しを控えた。最後に、反対の声が強すぎ、バブルが破壊し、計画が元通りで進めなくなって今では忘れられている日豪関係のエピソードのひとつである。  ちなみに、連邦政府がMFP計画を断念したけど、1998年に南オーストラリア州政府が独自で同計画を部分的に使いMFPの候補地でMawson Lakesという新型地域を建設した。でも、もう日豪合同都市という夢が絶望となって、日本でもオーストラリアの連邦(国)政府のいずれも関係なかったけどね、、、 この話しをさらに読みたいなら考えRooが下記のサイトをお勧めします。 マルチ・ファンクション・ポリス(MFP)(English) グローバリゼーション下の国際協力政策 ――MFPの事例――(日本語)