Cop A Gander At These Rippers Too...
ボーガンの“影”の部分
ここまでボーガン文化の面白さや魅力を見てきたけれど、 ロマンチックに語りすぎるのは危険でもある。 「ボーガン」という言葉は、 ときに 強烈な階級差別(classism) を含む。つまり、もっと丁寧に言うと、、、 “上から目線の侮辱を、上品っぽく包んだ言い方” として使われることがある。たとえば、こんな人たちをまとめて貶めるために使われることがある。 そして、ボーガン文化に結びつけられるステレオタイプには、 こんな“暗い側面”も含まれる。 もちろん、 これらが「ボーガンと呼ばれるすべての人」に当てはまるわけではない。むしろ、ここがボーガンという言葉の“厄介さ”であり“面白さ”。 「ボーガン」は“スリッパリー(滑りやすい)”な言葉 ある学術研究では、 「ボーガン」は “sticky sign(粘着する記号)” と呼ばれている。理由はこうだ。同じ言葉が、同時に、、、 を引き寄せるから。 つまり、 ボーガンは侮辱にもなり、誇りにもなり、ジョークにもなり、社会分析にもなる。この“多層性”こそが、 ボーガン文化を単なる俗語ではなく、 オーストラリア文化の深い鏡にしている。
日本でありえない、、、豪の通勤電車でいきなりダンス・パーティー!
化粧していると猛烈に怒りを買ったり、基本的に食べたり・飲んだりが嫌がれている日本の通勤電車では絶対ありえない(携帯電話使用が禁じていることを平気で無視されても)! この頃、オーストラリアパース市に走る電車にいきなりスーツ姿の若い男性が表れ、「良かったら社内にダンス・パーティーやりましょう」と他の通勤者に声をかけた。その男はピーター・シャープ氏という。同氏が音楽をかけて、いきなり社内で踊りだした。そして、続々と他の乗客も踊りだし、いつの間にか社内全員が踊っていた。 アーティストであるシャープ氏の動機は、「人々の間に会話があるように呼びかけたい。その簡単にみんなが一緒に踊れるなら、会話がどんなに簡単に始まれるのか」とコメントした。 しんとする日本の電車ではこの行為があれば恐らく誰かが警察を呼ぶだろう。 是非、日本でもこのような陽気な通勤雰囲気を作っていけば良いなぁ~。
我輩は日豪パイオニアである:日本の心を掴んだオージーぼっちゃん
教師でもあり歴史家でもあるジェームス・マードック氏は、その生涯の多くの時間を日本とオーストラリアで過ごした。 ヴェルサイユ条約(パリ講和会議)に於いては、白豪主義真っ只中の豪州国内で、日本が提案した議題、人種的差別撤廃の数少ない支持者であったが、結果的には同条項は採択されなかった。 James Murdoch, a teacher and historian who spent much of his life in Japan and Australia, fought an ultimately losing battle as one of the few supporters in White Australia of Japan’s proposed equality clause in the Treaty of Versailles.
豪キャブラリー: Skint
残念ながら今日の言葉「skint」は考えRoo.comの現状そのままを示す言葉だ。全くお金がない状態に使う。厳密に言えばオージー英語の独特な言葉ではなく、英語圏内ではよく使われているけど、特にこのご時世なので、オージー英語でもよく使われている言葉なのだ。嫌だよね。早くskintな人がその状態を早期に脱出できるように考えRoo.comも祈っています。
How Did A Japanese Kid Who Spoke No English Fundamentally Change Aussie Culinary Culture?
一人の若い日本人シェフは、どうやってオーストラリアの食文化を変えたのでしょうか? When Tetsuya Wakuda arrived in Australia, he spoke little English and had no reputation. Today he is recognised as one of Australia’s greatest chefs, proving that friendship between nations can sometimes begin in a kitchen. ほとんど英語を話せないままオーストラリアへ渡った一人の日本人青年。後に和久田哲也さんは、オーストラリアを代表するシェフの一人となり、料理を通じて日豪の交流を深める存在となりました。 A new life in Australia オーストラリアで始まった新しい人生 Wakuda was born in Hamamatsu, Shizuoka Prefecture, in 1959. At the age of 22 he moved to Sydney, seeking new opportunities. With little English but a determination to learn, he began working in restaurant kitchens, where his talent quickly became clear. 和久田さんは1959年、静岡県浜松市に生まれました。22歳でシドニーへ渡り、新しい人生を歩み始めます。英語はほとんど話せませんでしたが、料理への情熱と努力で、その才能はすぐに高く評価されました。 Japanese precision meets Australian ingredients 日本の技とオーストラリアの食材が出会う Rather than simply cooking traditional Japanese food, Wakuda combined Japanese techniques with Australia’s exceptional seafood, meat and fresh produce….
豪キャブラリー: Slab
日本語でも「スラブ」という言葉をよく使うだが、コンクリートなどの四角い塊しか思い浮かばないだろう。英語でも全く同じ意味でslabも使うがslabも同様な形が由来の独特なオージー英語のslabもある。それがビールのslabなのだ。一ケースを示し、写真を見ればだいたい納得するだろう。

