豪州10月「お花見」人気過剰となり中止に追われた

Olindahanami オーストラリアメルボルン市にあるオリンダ豪国立シャクナゲ園内恒例イベントである「お花見」の人気があり過ぎて、地域のインフラに過剰な負担を理由に2014年版、とビクトリア公園局発表した。
季節が日本と反対南半球では今春がやってきた所であり、毎年この時期になると同園がビクトリア州豪日協会により「お花見」を行う。
 しかし、昨年、一日だけ行う「お花見デー」が驚くほど人気であって、小さな町の一角にある同園にいきなり約1万7千人がやってきたのでインフラがパンク状態になったという。
 そこで、今年の「お花見」イベントを中止することにした。残念だね。しかし、これもオーストラリアでも日本人気が上昇していると受け取っても良いと思う。
オーストラリアでの花見をお楽しむのが9月!

Cop A Gander At These Rippers Too...

  • | | |

    豪で日本人アーティストのパイオニアだったSandiiはSunsetzから再びSunrise

    Sandii, responsible for one of Japan’s first (and extremely rare) marks on Australian popular music charts back in the early 1980s, remains active in the Japanese entertainment world, performing live in Tokyo on Aug. 5 during the Ocean Peoples event at Yoyogi Park1980年代前半にオーストラリアでヒットした非常に稀な日本人パフォーマーとしてサンディーは、今でも活躍中であり、8月5日東京代々木公園にて「Ocean Peoples」に関連したライブを行なった。While fronting Sandii and the Sunsetz back in the 1980s, Sandii scored…

  • | |

    The Big Redback: 豪文化象徴である「便座の背赤グモ」のBig Things版

    一昔前まで下水道がまだ通っていなくて屋外トイレがオーストラリア都市部を含めて多くのところでは主流だった。暗くて、臭くて夜になると本当に怖い思いを持ち、用を足すのは覚悟の上で行ったようなことだった。特に子供たちにとって。  その「恐怖感」からオーストラリアの文化の象徴が生まれてきただ。それは「屋外トイレの便座にある背悪グモ」の伝説だ。  オーストラリアでは毒グモがたくさんあり、その中で最も有名な例があの日本でも侵略的外来種として指定されている「背赤グモ」だ。実際にさされるケースが稀だが、暗いところが好き同クモは、何でか分からないけど屋外トイレと関連するように見えた。その伝説を称えるカントリー・シンガーであるスリム・ニュートン氏が1972年に「便座の背赤グモ」という曲を発表し、もう早ランキング1位となり、今でも知らないオーストラリア人がいない。もう一つの効果がその「屋外トイレの便座にある背赤グモ」の伝説を維持することだった。  そして、その伝説を称える「Big Things」もある。  クィーンズランド州ブリスベーン市郊外にあるBig Redbackだ。その高さ3メートル、長さ3メートルの背赤グモが屋外トイレを登っているように1996年に製作された。  ちなみに、屋外トイレがあまりにもオーストラリア文化に溶け込んでいたので、独特なオージー英語であるdunnyと呼ばれるようになった。 The Redback on the Toilet Seat(歌詞の和訳は下記) 便座にあった背赤グモ 夕べトイレ行ったとこ背赤グモが便座にあった、 暗くて見えなかったが刺されたことを間違いなく感じた。 空へ高く飛び込んで、着陸したらあの賢い背赤クモはどこにも見つからなかった。 家内のとこに走り込んでどこで刺されたを教えると、家内が『理髪屋で使うような』髭剃りを取り出したら、僕が激怒した。 『やろうとすることをおいておいて医者を呼んでください。』 『恐らく、君が考えている治療法が毒より危険だろう、という気がする。』 夕べトイレ行ったとこ背赤グモが便座にあった、 暗くて見えなかったが刺されたことを間違いなく感じた。 そして、今入院中だよ、とても淋しくてかわいいそう、夕べ便座にあった背赤グモに罵った。 横になれず、座り込めず、どうすればいいのか分からない。看護婦たち皆が大喜びが俺自身の視野が違う。 『恥ずかしいだ』と言うのは最も前向きな言いかたにしておこう。 俺は食べられないほど気持ちが悪くなったのに、あのグモが多いに御馳走した。 退院して家に帰ったら、こうしておこうと思う。 そして、あのグモが今僕が感じている痛みが少し分かるだろう。 あまりにも多く注射それたのでまるでふるいに見えるようになった。 あの背赤グモの生き残る生命期間が短いぞ、とここで約束するよ。 夕べトイレ行ったとこ背赤グモが便座にあった、 暗くて見えなかったが刺されたことを間違いなく感じた。 そして、今入院中だよ、とても淋しくてかわいいそう、夕べ便座にあった背赤グモに罵った。 大きな地図で見る

  • |

    豪首都の(ちょっとがっかりする、、、)巨大キノコ

    オーストラリアの首都でありながら、キャンベラが行政を中心となっている人工都市であり、人口が30万人強で決して大都会と言い難い。  他の州などに比べてキャンベラが置かれているオーストラリア首都特別地域(ACT)でも小さく、人口密度も低いから比較的にオージーらしい「Big Things」が少ない、、、というか、一つしかない。それはキャンベラのBig Mushroomである!  じゃ、量より質という観点から見れば首都を代表する「Big Things」は間違いなく立派なものだろう、、、とも言い難いね。  あの、実はビッグ・マッシュルームが8メートルの幅があり、高さ5メートルもあるので、大きいと言えば大きいだが、キノコの下に子供の遊び場となっているので、ちょっと圧迫感を与えるかもしれないので、他の「Big Things」ほど目立たない。でも、キャンベラの一角の買い物楽園であるベルコネン・フレッシュ・フード・まーケーツの象徴となっているし、1998年開設した当時ACT知事が公式に開設したということである意味魅力あると言える。 Belconnen Fresh Food Markets View Larger Map

  • |

    メン・アト・ワークのメンバーが死亡

    1980年代全世界で大成功したバンドであるMen at Workは、一定の年齢のほとんどのオージーにとって特別な存在である。考えRoo自身も例外ではない。  メン・アト・ワークの現役時代がそれほど長くなかったが、1982年にオーストラリアで発売した「Down Under」が米国をはじめ世界中に大ヒットした。そして、1983年オーストラリアIIがアメリカズ・カップのヨットレースを優勝し、アメリカの132年間同カップの統治にピリオドを打った時に同曲がオーストラリアでまるで国歌のような存在となり、一気にメン・アト・ワークが国民的な英雄のような存在となった。(優勝した当時のオーストラリア雰囲気を説明すると昨年震災直後なでしこジャパンがサッカー女子ワールド・カップを優勝して全国がまるで一つとなって祝った感じが近い。当時豪首相だったボブ・ホーク氏が優勝に対した「今日、ボスが休ませてくれないとくそたれだ」と発言したのは有名な話。当時、高校生だった考えRooはヨットに全く興味ないにもかかわらず学校行く前に優勝した瞬間をラジオで聞き大喜びで祝った覚えがある。)  しかし、そのメン・アト・ワーク、いやオーストラリア全体にに対して大きなショックが起きたのは今年4月19日のことだった。「Down Under」の最も印象的な所だあろうフルートの部分のフルートを吹いたパーフォーマーであるグレッグ・ハム氏が突然死したとのことだ。現時点、心因が不明だが、アルコール関係だとうわさされている。  実は、メン・アト・ワークの黄金時代後ハム氏が色々苦労したようだ。1980年代で稼いだがその後それほど大きな実績がなく印税で暮らして時々演奏などをしたハム氏。しかし、「Down Under」がでて25年目いきなり「フルートの部分がオーストラリアの児童歌の盗作だ!」と主張するレコード会社が現れ、メン・アト・ワークを訴えた。客観的に見ればどうも似てないにもかかわらず2010年の判決ではメン・アト・ワークが敗訴し、ハム氏にとって金銭的及び評判にとっても大きな打撃を与えたそうだ。二人の父となったハム氏は、印税を失い弁護費を背負うようになったので「家を売れないと金がない」ということをいい、多くの知り合いが判決後のハム氏が「欝」「苦しいだ」という。  ちなみに、「Down Under」のおかげでchunderというストライン(オージー英語)が一時期世界中に有名な言葉となった。  ハム氏は、19日付自宅に訪ねた友人が倒れている姿で見つけたが既に死亡だった。58歳だった。 関連記事 Bugger me, Bob! 豪州元首相の豪俗語が外交的な事件になりかけた頃 豪キャブラリー: Chunder

  • | |

    若かりしジョニー・デップの珍しい豪訪問

     今月また来日するハリウッド大スタージョニー・デップ氏がちょこちょこ日本に来ることにも関わらず、オーストラリアとあまり縁がない。 Hollywood heartthrob Johnny Depp is a regular visitor to Japan, and is due to return again later this month, but he hasn’t shown his face so often in Australia.  初回オーストラリアに訪問したのが1988年「21ジャンプ・ストリート」出演する時の同番組PR訪問。 His first visit Down Under was way back in 1988, when he made a whirlwind trip to promote 21 Jump Street, the show he…