Did You Know A Japanese Cure Turned Out To Be A QR Aussies Use Daily?

オーストラリアで毎日使われる便利なものが、日本生まれだと知っていましたか?

Aussies scan QR codes countless times every day—for café menus, concert tickets, parking and payments. Yet few realise the technology was invented in Japan by one engineer who wanted to make work easier.

カフェのメニュー、コンサートのチケット、駐車場の精算やキャッシュレス決済。オーストラリアでも毎日使われるQRコードですが、その技術が日本で、一人の技術者によって生み出されたことはあまり知られていません。


Meet the man behind the square

あの四角いコードを生んだ技術者

In 1994, Japanese engineer Masahiro Hara developed the QR code while working for Denso Wave. The company needed a faster way to track vehicle components during manufacturing. Hara’s solution could store far more information than ordinary barcodes while remaining quick to scan.

1994年、日本の技術者・原昌宏(はら まさひろ)さんは、デンソーウェーブで働きながらQRコードを開発しました。自動車部品をより効率よく管理するため、従来のバーコードより多くの情報を記録でき、素早く読み取れる仕組みを考え出したのです。


A gift, not a monopoly

独占ではなく、世界への贈り物

Although Denso Wave patented the technology, it chose not to enforce the patent rights. This allowed QR codes to spread rapidly around the world and encouraged businesses everywhere to adopt the technology without paying licence fees.

デンソーウェーブは特許を取得しましたが、権利を積極的に行使しない方針を取りました。その結果、QRコードは世界中へ急速に広がり、多くの企業や開発者が自由に活用できるようになりました。


Australia quickly embraced QR codes

オーストラリアにも急速に広まる

Aussies first encountered QR codes in advertising and product packaging. During the COVID-19 pandemic they became part of everyday life, with millions of people scanning codes to check into venues. Today they are used for restaurant menus, transport, parking, payments, banking and sporting events.

オーストラリアでは、広告や商品パッケージなどでQRコードが使われ始めました。新型コロナウイルス流行時には入店記録のため全国で利用され、一気に生活に浸透しました。現在では、飲食店のメニュー、公共交通、駐車場、決済、銀行サービス、スポーツ観戦など、さまざまな場面で活躍しています。


Designed to be reliable

壊れても読み取れる工夫

One reason QR codes became so successful is their built-in error correction. Even if part of the code is dirty or damaged, scanners can often recover the missing information. That reliability has helped make QR codes one of Japan’s most successful technological exports.

QRコードが世界中で普及した理由の一つは、高い復元性能です。一部が汚れたり欠けたりしていても、多くの場合は情報を正しく読み取れます。この優れた仕組みが、日本を代表する技術の一つとして世界に広まる大きな理由となりました。


More than just a clever invention

便利な発明を超えた日豪のつながり

Aussies now scan QR codes almost without thinking. Yet behind every scan is the work of a Japanese engineer whose practical idea changed the way the world shares information. It is another quiet reminder that many Australia–Japan connections are found in everyday life.

オーストラリアでもQRコードを使うことは、今や当たり前になりました。その一回一回の読み取りの背景には、日本人技術者の発想があります。私たちの日常には、気づかないうちに日本とオーストラリアを結ぶ技術やアイデアが息づいているのです。


Original Sources

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    豪名作が記録的な額で買収され

     オーストラリアの最も有名なアーティスト一人の最も有名な作品シリーズの1作品が豪州芸術作品として記録的な値段と買収されたことがメルボルンのシドニー・モーニング・ヘラルド紙28日付報道によって分かった。  売られたのは『ケリー追跡大作戦』シリーズの1作品First Class Marksman(1等射撃者)であり、約540万豪ドル(約4億6千円)で買収された。  恐らく故シドニー・ノーラン氏がオーストラリア最大20世紀の画家だった。  長いキャリアに渡って数多く作品を制作したが、その中で最も有名な作品が間違いなくこの『ケリー追跡大作戦』シリーズ。  このシリーズは、1800年代オーストラリアで山賊・盗賊だったブッシュレンジャーの伝説的な一人だったネッド・ケリーの一連の事件を描いたものだ。小学校低学年の子供を含めてほとんどどんなオーストラリア人でもノーラン氏のネッド・ケリー作品を知り、オーストラリア名作を称える記念切手にもなったことがある。  ノーラン氏の『ケリー追跡大作戦』シリーズが1946年に描かれたと言われているが、同紙の報道によると実際にノーラン氏が二つのケリー関係シリーズを制作した。最も有名な1946年の作品の上にあまり知られていない1955年制作のものもあるという。シリーズのほとんどが主にキャンベラにあるオーストラリア国立美術館(NGA)に収納されている。  記録的な値段で買収されたFirst Class Marksmanが1946年シリーズのものだったが、この一連の作品ほとんど公のギャラリーなどで買い取られたりしていいるのでオークションなどに出回ることが極めて稀なことだ。買収されたのは2010年であって、その実態がようやく今となって公表された。  しかし、1955年シリーズの物が数年おきにオークションなどに現れえるという。 『ケリー追跡大作戦』シリーズ  NGAノーラン・コレクションについて Record $5.4m for Nolan 「強盗殺人」なのにBig Thingsを含めて豪がNed Kellyを称える理由は何だ?

  • 第33回日豪合同セミナー実行委員会が6月に開催

    第33回日豪合同セミナー実行委員会が6月16日(土)~17日(日)東京八王子市にて開催することになっている。  開催者である日豪合同セミナーによると、次の趣旨で議論等が行う。 日米豪が太平洋の防衛ラインを強化すれば、中国はロシアと青島沖で軍事演習を実施。日本がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加を検討すれば、中国は日本、韓国とのFTA交渉を打ち出し、東アジア広域自由貿易構想にも前向きな姿勢を示す。  外交、貿易、安全保障などでどこと組むか?21世紀の枠組みを巡って微妙な交渉が繰り広げられている。今年のセミナーは日豪関係をカギにして、揺れ動く国際関係を考えたい。  第33回日豪合同セミナーについて詳しいことはウェブサイトまで。

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    Kanagawa Lifeguards Finish Gold Coast Stint

    A group of eight lifeguards from Kanagawa Prefecture recently completed a successful stint working with counterparts on the Gold Coast as part of an exchange program. Gold Coast City Council Acting Community and Cultural Development Chair, Cr Margaret Grummitt, said the exchange was a great opportunity to share safety information and skills. “This exchange has been running for 12 years and promotes good relations with our Japanese counterparts. The visit helps share ideas and techniques to improve beach safety and is a great way to boost our cultural links with Japan,” she told mygc.com.au. It was the first time Japanese lifeguards had traveled to Queensland for two years, with the…

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    There’s Something Fishy About豪州の魚介類Big Things!

     一昔前まで魚をはじめ魚介類は一般オーストラリア人の食生活にそれほど馴染めなかった。  が、今ではお寿司(質のことを別に置いておいて)が昼食必需品などで決してそれはもう言えない。  なので、オーストラリアの国のシンボルのひとつと言えるかもしれない「Big Things」に入っているのが不思議ではないだろう。  完璧な例がビクトリア州とニューサウスウェルズ州の州境界となっているマレー川(オーストラリア最長川でもある)に存在するマレー・コッド像が観光町スワン・ヒルにある。 (駅そばに設置している魚像がちっと違和感を感じさせるかもしれないが、、、)。 Giant Murray Cod in Australia ちなみに、同町も19世紀で外輪船で有名だった上に、20世紀初期にオーストラリア初の米栽培が日本人が周辺で栽培した。 そこからさらに東方へ行って海岸に向かうとスノイ山脈がある。 そこにはニューサウスウェルズ州の小さな町アダミナビがある。 同町の主な産業が観光だ。 しかし、ちょっと面白い過去がある。 1950年代を中心に水力発電スノイ川ダム計画の一部としてアダミナビをはじめ四つの町が町ごと動かされた。  オーストラリア唯一ノーベル文学書受賞者パットリック・ホワイト氏の初小説の舞台ともなった。  が、これは余談。同町に「Big Things」がある!観光名所の理由ひとつが魚釣りだ。 そして、同地域のマスが「ますます」美味しいという評判だ。 なので、それを称えるのがBig Troutだ。ちなみ、この巨大マスのモデルとなったのは冷凍食品だったそうだ。 1973年制作、高さ10メートル重さ3トンで見事な魚。  同州をさらに北部へ向かうともう一つのBig Troutもある。これがオベロンという町にあり、アダミナビ同様マス釣りが有名な町だ。  そして、さらに北は飛んでいくとオーストラリア最北部にあるファーノースクィーンズランドがある。 同地域の最も大きな都市ケアンズにBig Marlinがある。 グレート・バリア・リーフやデイントリー地域などで有名なケアンズはカジキ類の聖地とも言えるので、そこで世界最大級なカジキが釣られた。 そのことを象徴として同市がBig Marlinという高さ約8メートルのカジキ像を建てた。   今までも考えRooの「Big Things」連載で他の魚や魚介類関係のオブジェを紹介した。 それはThe Big PrawnかファーノースクィーンズランドのBig Barramundi、南オーストラリアのBig LobsterとBig Oysterやビクトリア州のBig Yabby、Big AbaloneとBig Dead Fish。  こんなに魚や魚介類がオーストラリア人の日常・非日常生活の中に溶け込んでれば海事大国といっても過言ではない。 

  • What Did Ya Aussie Garden In Tokyo Look Like Before?

    都内のオージープランツ庭はもともとどうだった? Well, we’ve gotta go back a bit. But this is what our garden looked like when it started. I removed everything I could, made the plot as flat as possible, removed all the weeds and then waited for instructions from Alex Endo. ちょっと昔にさかのぼる必要があるんだけど、庭づくりを始めた頃はこんな感じだったんだ。できる限り全部取り除いて、区画をできるだけ平らにして、雑草も全部抜いてから、遠藤アレックスの指示を待った。 And before this, it was even more of an eyesore.