Where Can You Find Australia’s Japanese War Memorials?

オーストラリアのどこに日本人戦没者慰霊碑があるのか?

In Why Does Australia Have So Many Japanese War Memorials?, we explored why Australia has so many Japanese war memorials and the remarkable spirit of remembrance and reconciliation behind them.

This time, we travel across Australia to discover some of the places where these memorials stand today. Each tells a different story, but together they reflect a friendship that grew from one of history’s most difficult chapters.


第1回では

Why Does Australia Have So Many Japanese War Memorials?」では、なぜオーストラリアに多くの日本人戦没者慰霊碑があるのか、その背景にある追悼と和解の精神について紹介しました。

今回は、オーストラリア各地に残る慰霊碑や墓地を訪ね、それぞれの場所に刻まれた歴史と、それを大切に守り続ける地域の人々の思いを見ていきます。


Cowra, New South Wales

ニューサウスウェールズ州カウラ

Cowra is home to the largest Japanese war cemetery in the Southern Hemisphere.

More than 500 Japanese prisoners of war who died during the Cowra Breakout in August 1944 and in Australian prisoner-of-war camps are buried here. Today, the beautifully maintained cemetery stands alongside the Cowra Japanese Garden and Cultural Centre, symbolising reconciliation rather than conflict.

Every year, Australians and Japanese gather here to remember those who lost their lives and to celebrate the friendship that followed the war.


南半球最大の日本人戦没者墓地があるのがカウラです。

1944年8月のカウラ捕虜収容所脱走事件や、オーストラリア国内の捕虜収容所で亡くなった500人以上の日本人がここに眠っています。

現在では、美しく整備された日本人墓地とカウラ日本庭園が並び、対立ではなく和解の象徴となっています。

毎年、日豪両国の人々がここに集い、亡くなった人々を追悼するとともに、戦後に築かれた友情を確認しています。


Darwin, Northern Territory

ノーザンテリトリー準州ダーウィン

Darwin’s Japanese cemetery tells a different story.

Many of those buried here were not prisoners of war. They were members of the Imperial Japanese Navy and Air Force who died during the bombing of Darwin in 1942, together with others who lost their lives in northern Australian waters.

The cemetery is carefully maintained and remains an important place of remembrance for visiting Japanese families.


ダーウィンの日本人墓地は、また別の歴史を伝えています。

ここには捕虜だけでなく、1942年のダーウィン空襲などで亡くなった日本海軍や陸海軍航空隊の関係者、北部オーストラリア周辺で命を落とした人々が眠っています。

墓地は現在も丁寧に管理され、日本から訪れる遺族にとって大切な追悼の場となっています。


Broome, Western Australia

西オーストラリア州ブルーム

Long before the Second World War, Japanese divers travelled to Broome to work in the town’s famous pearling industry.

Many never returned home.

The Japanese Cemetery at Broome contains hundreds of graves dating from the late nineteenth and early twentieth centuries. It reminds visitors that Australia’s relationship with Japan began long before the war.


ブルームと日本とのつながりは、戦争よりもずっと前から始まっていました。

真珠採取産業で働くため、多くの日本人ダイバーがこの町へ渡りました。

ブルーム日本人墓地には、19世紀末から20世紀初頭に亡くなった人々の墓が数多く残っています。

この場所は、日豪交流の歴史が戦争以前から続いていたことを教えてくれます。


Thursday Island, Queensland

クイーンズランド州サーズデー・アイランド

Thursday Island also preserves an important chapter of Japanese history in Australia.

Many Japanese pearl divers settled in the Torres Strait during the late nineteenth century. Some married locally and became part of the community.

The island’s Japanese memorial reflects both the dangers of the pearling industry and the lasting contribution Japanese migrants made to northern Australia.


サーズデー・アイランドにも、日本人の足跡が今も残っています。

19世紀後半、多くの日本人真珠採取ダイバーがトレス海峡へ渡り、地域社会の一員として暮らしました。

慰霊碑は、危険な仕事に命を落とした人々を追悼するとともに、日本人移民が北部オーストラリアの発展に果たした役割を伝えています。


More Than Places of Remembrance

慰霊の場を超えて

These memorials are not museums of war. They are places where Australians and Japanese remember the past together. Local volunteers care for many of these sites, while visitors from Japan continue to pay their respects each year. Together, they demonstrate how remembrance can help build understanding between former enemies.


これらの慰霊碑は、戦争を語るためだけの場所ではありません。過去を共に見つめ、未来へ平和をつないでいく場所です。地域のボランティアが墓地を守り続け、日本からも多くの人々が毎年訪れて祈りを捧げています。そこには、追悼を通じて築かれた日豪の信頼関係を見ることができます。


Next Time…

次回予告

The memorials themselves tell only part of the story. In How Did Former Enemies Become Partners in Remembrance?, we’ll discover how Australians and Japanese worked together after the war to restore cemeteries, care for graves and transform places of tragedy into symbols of friendship.


慰霊碑そのものは、物語の一部に過ぎません。

最終回の「敵国だった日豪は、どのように共に慰霊する関係になったのか?」では、戦後、日本人とオーストラリア人がどのように協力して墓地を整備し、悲劇の場所を友好の象徴へと変えていったのかを紹介します。


Sources

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    Tets-J is one of the great unsung heroes promoting Australian culture in Japan, and he’s even more remarkable for advancing indigenous Aussie culture. Tets-J learned about the didgeridoo while staying in Melbourne, taught himself how to play, then returned to Australia’s Arnhem Land and studied under Djalu Gurruwiwi, a master didgeridoo player and member of…

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    サッカーW杯最終予選:いよいよ日豪ガチンコ対決!

     いよいよ12日オーストラリアのブリスベーン市にてオーストラリア代表と日本代表がサッカー・ワールド・カップ最終予選のガッチンコ対決が行う。  今まで日本とオーストラリアが1968年から始まり18試合のAマッチが行い、いずれも6勝6敗6引き分けとまさにマッチしている相手だ。しかし、点数になると日本が25ゴールを取ったに対してオーストラリアが日豪戦で23回しか相手のネットに入れていない。また、現時点のFIFAランキングでは日本がオーストラリアを抜いてアジア1位となっている。  重要な対決も差がなかなかつけない。2011年アジア・カップ決勝戦では日本がロスタイムで優勝が決まり2007年のアジア・カップ準々決勝でも日本が勝利を収めたが、2006年のワールド・カップはオーストラリアが3-1で日本を破り、1994年のキリン・カップでアウェー・ゴールで豪が日本とフランスを相手に優勝した。(以下のビデオハイライトを参照)  今回の試合ではフォームで見る限り日本が有利としか言えない。香川、永友、本多をはじめ、ヨーロッパの有力チーム選手が多く、平均年齢が30歳を超えるオーストラリアに比べて若さのエネルギーが発揮できるチャンスではないか。  そして、今回の最終予選日本がオマーン・ジョールダン。また、最初の2試合がホームでプレーし、オーストラリアへ行ったら季節が反対にも関わらず熱帯雨林地に近いブリスベーンでは気温や気候が日本とそれほど変わりなく、時差もそれほどではないので最高条件が全部そろっている。  一方、ホームとは言えオーストラリアにとって条件が悪い。先週オマーンでアウェーでの0-0引き分けが約40℃で行い、30歳を超える8人のスターティング・メンバーにとってキツイ。中近東からオーストアリアの東海岸に飛行機を乗らなくては行けないのも厳しく日本代表の上に疲労とも相手にしなければならない。でも、たとえ条件が悪くても日本人選手の質が今回はるかにオーストラリアを越えている。  オーストラリアで試合が行うにしても、考えRooはアウェーの日本が2点差をつけて勝だと予想する。 FIFA Australia vs Japan Head-to-Head Statistics Football Federation Australia Japan Football Association

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    くたばれロルフ・ハリス!日本人に任せ!

    50代以下オーストラリア人及びイギリス人であれば、間違いなくロルフ・ハリスという芸能人の存在が分かるはずだ。1950年代後半以降同人物が子供を中心にイギリス在住でありながら出身国であるオーストラリアのことを全身全霊でPRし続けた。イギリス・オーストラリアを中心にものすごく愛され、両国のほとんどの人にとって「大好きなおじさん」のような存在だった。しかし、明るい表向きの顔の裏面は暗く虐待的な性格を隠したようだ。今週、小児虐待罪として5年9か月の実刑判決が下れた。虐待疑惑が浮上した2012年末頃からほぼ誰でも信じられなかったが、徐々にハリス受刑者の行動パターンが明確となり、約30年間に渡り自分の実娘のベスト・フレンドをはじめ数多くの未成年女性を性的に虐待した事実が明らかとなって有罪判決に至った。考えRoo自身をはじめ、ハリス受刑者を愛した何百万の英・豪人がこの事実にショックと痛みで受けた。 今では、ハリス受刑者が日本で知られていないと言っても過言ではないと思う。でも、いつもそうじゃなかった。1960年代前半、ハリス受刑者の多数中の最も大きなヒット曲「Tie Me Kangaroo Down, Sport」が日本でもひそかなファンを集めた。それほどヒットしなかったがザ・ピーナツ及びダニー飯田によって原版のオーストラリア動物の言葉遊びの歌詞をもてない男の話をコミカルに替えてシングルとして発表された。  いずれにせよ、子供大好きなキャラとして売れたハリス受刑者が今84歳。今からイギリスの刑務所で禁固生活が始まる。何とも言えない複雑な感情だが、日本語の替え歌のように悲しい気持ちでいっぱい。が、曲と違って、コミカルな味気がない。

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    Australia Day賛否両論

    オーストラリア・デーだよ!1月26日は、ちょうど224年前この日にオーストラリアを(刑務用の)植民地とするイギリス人が今のシドニーの東部にあるボタニー・ベイに着いた。今、全国がその日を記念として、オーストラリア全体を祝う一日と位置付けている。まぁ、日本で言えば建国記念日見たいなもんだ。  しかし、みんなが喜ぶ訳でもない。  豪原住民にとってヨーロッパ系の人々がオーストラリアに来たことが自分たち国を失うことの始まりになり、多くの原住民にとってこの日が「侵略日」とする。  また、この日を機に「国家主義」と「愛国心」を区別つかない人がこの10数年増えているような気がする。オーストラリア・デーは当然「旗日」であり、この日に国旗は誇りを持ってはる人が多い。しかし、多くの人にとってこれがマイノリティに対して嫌味を示す機会となっている。これは「国家主義」、要する「俺の国がお前の国より偉いぞ」という意識が働いている現象ではないか?  考えRoo自身にとってこのようなことが心外だ。考えRooはオーストラリアが素晴らしい国だと思い、愛国心溢れている。日経オージーをはじめ、世界中のほとんどの国から渡豪して社会に貢献して豊かな多様性を与えてからこそ立派な国となった訳だ。  しかし、元々誰の国だったのかを忘れちゃいけない。白人由来以降オーストラリアの原住民が恐ろしい体験を数えきれないほどさせられた。元の状態にに戻ることが無理でも、今からうまく共栄共存できるようにすべきだ。 Happy Australia Day!