Cop A Gander At These Rippers Too...
ファースト・オーストラリアンズ Episode 5 Part 3/5
「ファースト・オーストラリアンズ」(英語)は、2008年作のドキュメンタリー。先住民の視野からオーストラリアの歴史を記録する。必見だ! 今日は5作目5部中3部目。
日系ディガー:知られざる日豪戦友
11月11日。オーストラリアを含めて英国連邦各国では「リメンバランス・デー」として、第1次世界大戦の犠牲者をしのぶ日だ。(ちなみに、オーストラリアでは1975年のこの日に、イギリス国王の代表が選挙で選ばれた総理大臣を突然解任した――なんて出来事もあったけど、それはまた別の話。) 今年のリメンバランス・デー、SNSのタイムラインを眺めていたら、心に残る素敵な話に出会った。 考えRooはオーストラリア人だけど、人生のほとんどを日本で過ごしてきた。だから戦争の話、特に第2次世界大戦になると、立場がちょっと難しい。正直、あまり話題にしたくないテーマでもある。 でも長く日本に住むうちに、オーストラリアと日本の戦争の歴史は、単純に「善と悪」で割り切れるものじゃないと感じるようになった。 そう話すと、どちらの国の人にも嫌な顔をされることがあるけれど、結局思うのは――ただただ、悲しいということ。 本当は、オーストラリアと日本って相性がいいんだ。 お互いの強みが見事にかみ合うのに、歴史の中には悲しみや痛みがたくさんあって、それを一番背負ったのは、普通に生きようとしていた人たちなんだと思う。 ……ちょっと語りすぎたかな。話を戻そう。 今年のリメンバランス・デーに出会った物語は、「マリオ・タカサカ」氏とという一人の男の話だった。 タカサカ氏は日系オーストラリア人で、第2次世界大戦中、オーストラリア軍の兵士として勇敢に戦った人だ。日系ディガーである。 日系の人がオーストラリアのために戦ったという話を聞いたのは、これが初めてだった。 当時のオーストラリアには、少しだけ日系の人がいたけれど、多くは戦争中に収容されてしまった。 アメリカの「第442連隊戦闘団」みたいな有名な部隊も存在しなかった。 けれどタカサカ氏は、自分が正しいと思う道をまっすぐ進んだ。 上官も仲間も、その勇気と誠実さをしっかり認めていた。 「シュライン・オブ・リメンバランス(戦没者追悼館)」の公式サイトには、タカサカ氏の物語と、モトエ・ヒガシダ氏やジョセフ・スズキ氏といった他の日系オーストラリア人のエピソードも紹介されている。 彼らもまた、日豪のあいだに架け橋を築いた人たちだ。 考えRooはオーストラリアも日本も、どちらの国も心から愛している。 いま、こうして強い同盟関係でいられることが本当にうれしい。 そして、これからその絆がもっと深まっていくことを願っている。 だって、考えRooの経験から言わせてもらえば――日本とオーストラリアほど相性のいい国は、そうそうないから。
豪キャブラリー: Chewies
多くの人にとってchewieと言えばスターウォーズに登場する毛深いウッキーが思い浮かぶかもしれないが、オージー英語ではchewieはお口直しとしてよく使われているので、ちょっとびっくりするかもしれない。しかし、驚くことはない。オージー英語らしくまた省略言葉でありchewing gumのことだ。Chewiesは言うまでもなく複数形だ。
ファースト・オーストラリアンズ Episode 6 Part 5/5
「ファースト・オーストラリアンズ」(英語)は、2008年作のドキュメンタリー。先住民の視野からオーストラリアの歴史を記録する。必見だ! 今日は6作目5部中5部目。
豪キャブラリー: Bikie
1970・80年代のオーストラリア製「Mad Max」映画シリーズの影響によって一時外国ではオーストラリアと言えばワイルドなオートバイ・ギャングの印象が深かったと思う。 しかし、本当はかなり違って、映画に出るようなギャングがなく警察の取り締まりが極力に厳しくそもそもバイク乗る人口が車に比べて極めて少ない。 でも、存在するのは違いない。そして、アメリカなどと同じようなバイカーがいるが、独特オージー英語らしくバイカー(biker)と呼ばれるではなくバイキー(bikie)と言う。
Biz | Strine | Unknown NichigoThe Multi-Function Polis: 日本の新型都市をオーストリアで建設計画
それほど遠くない昔前、日本が「日本の新型都市」をオーストラリアで建設する計画があったのは知っていた? その都市はサンフランシスコのジャパン・タウンかロサンゼレスのリットル・トーキョーのような日本人や日本が大きく影響与える町の一部なところではなく、日豪政府が合同で運営する新しい都市を一から作ろうという大きな計画だった。また、その都市は当時の最先端技術を全面的に活用しようという予定だった。これはマルチ・ファンクション・ポリス(MFP)という都市だった。 オーストラリア政府が1980年代の半ば頃日本政府にMFP計画を発案した。当時、白豪主義などでずーと避けようとしたアジアに対して近づこうと豹変したオーストラリア政府の考えだった。日本がプラザ合意直後円高が続き40年間に及ぶ経済成長が絶好調に進みさらに一層景気が発揮するところだった(その「発揮」がバブルだということは後になった分かったが当時は「ジャパニーズ・ミラクル」として見られたのは忘れちゃいけない。) 日本が半導体などの世界的なリーダーであったので最先端技術及びその都市のブレーンなどを供給し、オーストラリアが場所を提供すると両国が合同で資金を出し、合同で運営する都市という計画だった。両国が計画に関する協議などが進み、候補地になるためオーストラリア各地で激しい競争を行い、最終的に南オーストラリアの首都であるアデレード市の郊外で作ろうとした。 しかし、オーストラリア国内での反発が激しかった。当時まだ潜在する反日感情が沸き、表でも与党党首だったアンドルー・ピーコック氏や復員兵が構成するRSL会長のアルフ・ガーランド氏を先頭に「あの都市がアジア人の居留地しかならん」など、反MFP計画勢が計画の反対を示し、なかなか進めなかった。 結局、時間が経つと共にオーストラリア政府の動きが鈍くなる。1980年代後半オーストラリアが深刻な不況に落ち、バブル絶好だった日本がその半日感情を考慮し強い後押しを控えた。最後に、反対の声が強すぎ、バブルが破壊し、計画が元通りで進めなくなって今では忘れられている日豪関係のエピソードのひとつである。 ちなみに、連邦政府がMFP計画を断念したけど、1998年に南オーストラリア州政府が独自で同計画を部分的に使いMFPの候補地でMawson Lakesという新型地域を建設した。でも、もう日豪合同都市という夢が絶望となって、日本でもオーストラリアの連邦(国)政府のいずれも関係なかったけどね、、、 この話しをさらに読みたいなら考えRooが下記のサイトをお勧めします。 マルチ・ファンクション・ポリス(MFP)(English) グローバリゼーション下の国際協力政策 ――MFPの事例――(日本語)

