豪の謎な「マンゴ・ミステリー」が解けちゃった

big-mangoオーストラリアの不思議なキッチュオな町おこしオブジェ「Big Things」のひとつである重さ10トンに高さ約4メートルのBig Mangoが今週一旦盗まれたり、見つけられたりして、これに関連して最終的にさまざまな出来事がチキンチェーン店のPRスタントであったことが26日付で分かった。
 Big Mangoは、豪北部クィーンズランド州にある同国マンゴ生産一ボエンという町に2002年に地域名物を称えるうえに観光を促進するために設置された。
 設置してから2007年にヒュー・ジャックマンとニコール・キッドマン主演「オーストラリア」のロケ地となった期間を除けば同町が平凡な田舎町としてやってきたが、今週24日となったいきなり有名な町象徴ひとつであるBig Mangoの姿が消えていた。
 同日、監視カメラが撮影した映像では同オブジェをクレーンが運んでる場面が映られている、という発表があった。
 また、翌日、同町内にシートに囲まれている巨大マンゴが見つけられた。
 そして、見つかったと同時に米国ファストフードチェーンであるナンドーズが「ボエンの方々に感謝しています。少しの間あなたたちのマンゴをお借りしております。ちゃんと戻すととも理由などを説明いたします」と豪法人ウェブサイトで声明文を出した。
熱帯雨林地の美味しい宝物のBig Mango
Big Thingsクイーンズランド州編
Where the Cluck is the Bowen Big Mango?
Big Mango tourist attraction stolen from Bowen has been found
‘Stolen’ big mango revealed as a hoax by Nando’s

Cop A Gander At These Rippers Too...

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     オーストラリア観光産業はこの10年間成長が後退している。豪公共機関「豪州観光研究所」によれば、その理由は物価が高い上にサービスも悪く、オーストラリアは観光地としての魅力が下がったからだと、シドニー・モーニング・ヘラルドが27日に伝えている。

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    芸術が盛んな田園町飲屋屋上「偉大死んだ魚」

     ある意味ではオーストラリアの「Big Things」すべてが国民性と言われてもいいほど盛んである自嘲なユーモアの表れだと思う。 しかし、その中ではビクトリア州の人口数百人しかない田園風な町フィッシュ・クリークでは特に自嘲的なユーモアが溢れている「Big Things」がある。 それはBig Dead Fish(そうだよ、、、大きな死んだ魚という意味)だ。  町の中心となるフィッシュ・クリーク・ホテルの屋上に巨大なボラの死体オブジェが設置してある。  フィッシュ・クリーク在住のアーティストが多く、町の名前にかけている作品がたくさん披露されている。町にあるビル全部が何らかの形で魚関係の物を飾っているらしい。 大きな地図で見る

  • Tjukurrpa, Terra Australis, New Zealand, EendrachtslandそしてAustraliaへ

    「オーストラリア」は、ラテン語で「南の大きな大陸」という意味だ。 日本と同じようにオーストラリアも歴代国名も多数ある。 数万年前から今でいうオーストラリアに住んだ先住民たちは「国」というコンセプトさえなかったので、何百もあった部族に暮らし国全体を理解することはなかった。 その変わり、「夢期(ドリーミング)」ということがあった。その「夢期」は、世・存在やすべての物を含めて人それぞれ独自で解釈するすごく抽象的な意味があるが、その中「土」ようは「住む所」などの意味も含めた。その延長で「夢期」と「国」は、ある意味でイコールである。だとしたら、国名と「夢期」が同じであれば無理がない(まあ、あるけどさ、、、言いたいことがわかるよね)。言語も部族によって異なったため何百個もあったので当然言葉が違うが大きな部族の「夢期」の言葉はアレンテ族のTjukurrpa「ジュカーパ」が最もよく使われている例として挙げているじゃないかな? ヨーロッパ人が今のオーストラリアと接するようになるのは1606年のことだった。古代ローマ時代から地球の南に大きな大陸があるだろうと思われて「Terra Australis(南の土地)」と噂したが確実にその所があったかどうか検証できなかった。 しかし、1606年にオランダ人探検家であるWillem Janszoonが今ウェイパというクイーンズランド州の都市であり、ヨーク岬半島に位置し、カーペンタリア湾に面する。乗務員10人が殺されたり、土地があまり良くなくすぐ去ってオランダ領東インドに戻ったが、探検した国をオランダのゼーラント州にちなんで「ニウ・ゼーラント」と名づけた。しかし、その名前が浸透しなかった(後になってオーストラリアの隣国であるニュー・ジーランドで使えるようになったが)。でも、数年間オーストラリアがニュー・ジーランドと呼ばれたのが事実だ。 数年後の1612年10月。同じオランダ人Dirk Hartogが今のオーストラリア北西部にある世界遺産であるシャーク湾周辺に着陸し、3日間探検して初めて同国の一部の地図を作った。その上、別の名前を名づけた。それが自分の船をちなんで、「Eendrachtsland(Eendrachtsの国という意味)」だった。 17世紀前半ではTerra AustralisあるいはEendrachtslandと呼ばれたが、ヨーロッパ人が行くことがほとんどなかった。17世紀後半になると多くのオランダ人探検家がオーストラリアと接し、同国が「ニュー・ホランド(新オランダ)」と呼ばれるようになった。 以降、「ニュー・ホランド」またはTerra Australisと呼ばれた。1770のキャプテン・クック探検及び1788年イギリスが植民地化した後口語では「ボタニー・ベイ(Botany Bay)」と呼ばれることもあったが19世紀に入るとやっと国名を、ラテン語の英語化である「オーストラリア(Australia)」にした。 1824年当時事実上オーストラリアを統治したイギリス海岸が正式国名を「オーストラリア」と認めた。当時、「オーストラリア」は、現在のニュー・ジーランドを含めたの意味だったが1901年オーストラリアの独立・ニュージーランド抜きの連邦化に伴い現在の使用となった。

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    ハーバーブリッジ80周年

    シドニー、いや、オーストラリア全体の象徴ひとつであるは、今週開通80周年を迎えた。  ハーバー・ブリッジの建設は約10年かかって、開会式ではニューサウスウェルズ州知事ジャック・ラングの先に右翼団体のメンバーがリボンを来て馬で逃げたという事件から歴史がちょっと暗いスタートで始まったが、以降ハーバー・ブリッジがオーストラリアの誇りとなり、今でもシドニーの人々にとって大きな存在感を持つ。  建設当時から1967年までシドニーも最も高い建物であった上に今でも同市の最長建物である。  交通・環状道路などだけじゃなく、観光スポットとして有名であり、2000年のシドニー五輪の顔をはじめ、ハーバーブリッジ・クライム(よじ登る)及花火の打ち上げなどでも世界中に幅広く評価されている。 Sydney Harbor Bridge (English) 豪キャブラリー:Coathanger Happy Birthday Harbour Bridge