オリンピック開会後、これから豪英スポーツ相対決

Australian Sports Minister Kate Lundy (left) and British Sports Minister Hugh Robertson.
 2012年ロンドン五輪開会式が27日行って世界を魅了して、これからオーストラリアとイギリスの伝統的なオリンピック対決が始まる。
 帝国と元植民地というライバル意識から生まれた好意的な対決は直接選手同士で行うということより豪ケート・ランディ氏と英ヒュー・ロバートソン氏各国のスポーツ大臣同士の対決だ。どちらの国のメダル数が多い方が勝ちだということだ。伝統的にスポーツ大国オーストラリアが勝場合が多かったが前回2008年北京五輪のメダル争いでは、英国が4位でオーストラリアは6位だった。しかし、その後、英国連邦に属する国や地域が参加して4年ごとに開催される総合競技大会であるコモンウェルス・ゲームズの2010年インド大会では1位のオーストラリアが3位のイギリスの総メダル数が約倍だった。
 今回の豪英メダル争いは、負けるスポーツ相が罰ゲームがある。メダル数でイギリスが少なければロバートソン氏が豪ホッケーチームのシャツを着て、ロンドン中心部でドリブルしなければならないという。逆にオーストラリアが負ければ、ランディ氏が英デザイナー、ステラ・マッカートニーのユニオンジャックTシャツを着て、五輪のカヌー競技会場でボートをこぐという。
 さて、どっちが勝つだろう?オリンピックが続く8月12日まで結果がお楽しみに。

Cop A Gander At These Rippers Too...

  • バナナを曲げる人々 People who Bend Bananas

    Australian English accents don’t really have regional differences. Somebody in Perth in the far southwest will sound reasonably similar to someone from Townsville in the far northeast, over 6,000 kilometers away. Considering the area involved – Australia is 26 times bigger than Japan – it’s amazing.  オージー英語は、地方によっての訛りの違いがあまりみられない。オーストラリアの西南部にあるパースの人も、そこから約6000キロも離れている東北部にあるタウンズビルの人も、訛りにたいした違いはない。広さのことを考えてみれば、驚くべき事だ。(だってオーストラリアの面積は日本の26倍もあるんだから!)

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    豪首都の(ちょっとがっかりする、、、)巨大キノコ

    オーストラリアの首都でありながら、キャンベラが行政を中心となっている人工都市であり、人口が30万人強で決して大都会と言い難い。  他の州などに比べてキャンベラが置かれているオーストラリア首都特別地域(ACT)でも小さく、人口密度も低いから比較的にオージーらしい「Big Things」が少ない、、、というか、一つしかない。それはキャンベラのBig Mushroomである!  じゃ、量より質という観点から見れば首都を代表する「Big Things」は間違いなく立派なものだろう、、、とも言い難いね。  あの、実はビッグ・マッシュルームが8メートルの幅があり、高さ5メートルもあるので、大きいと言えば大きいだが、キノコの下に子供の遊び場となっているので、ちょっと圧迫感を与えるかもしれないので、他の「Big Things」ほど目立たない。でも、キャンベラの一角の買い物楽園であるベルコネン・フレッシュ・フード・まーケーツの象徴となっているし、1998年開設した当時ACT知事が公式に開設したということである意味魅力あると言える。 Belconnen Fresh Food Markets View Larger Map

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    豪キャブラリー: Boardies

    オーストラリアは、サーフィンの文化が根強く社会に浸透している。サーフィン文化の影響の最も分かりやすい例がおそらく服装にあるのではないか?夏になるとTシャツとboardiesが国民服のようなものとなる。 オージー英語らしくboardiesはboard shortsの省略だ。ちなみに、board shortsのboardは、サーフボードのボードが由来だ。  

  • Aussies Exposed to Radiation in Japan After Hiroshima

    Not long after the end of World War II, John Collins would sit and eat sandwiches at Ground Zero in Hiroshima, then sift through the rubble left from the city subjected to the world’s first nuclear attack for items he thought could become historically valuable. 戦後間もなく、ジョン・コリンズ氏は、広島市の原爆中心地に座ってサンドウィッチを食べてがれきの中に歴史的に価値のあるものを探し回ったことがあった。 Collins was then a 19-year-old sapper with the Australian troops making up the bulk of the British Commonwealth Occupation Forces (BCOF) stationed in Japan from February 1946 to April 1952. 当時、コリンズ氏は、1946年2月から1952年4月の間で英国連邦進駐軍(BCOF)の約9割で構成したオーストラリア軍の一人だった。19歳だった。