クラシック豪テレビの各種「Stairway to Heaven」が面白い

Rolf Harris and his wobbleboard
Rolf Harris and his wobbleboard
 伝説的なオーストラリア人であるロルフ・ハリス氏が6日再びイギリスで性的虐待容疑で逮捕されたが、多くの人がその83歳になる主に英国で活躍した芸能人がしたとされていることを信じていない。
 オーストラリア・イギリス両国だれでも知っているハリス氏は、1950年代から始まった歌や描きなど子供を中心に行なったパフォーマンスが暖かい思い出となっている。ハリス氏の面白い歌の特徴が「Tie me Kangaroo Down, Sport」のようなオーストラリアがテーマである上、ディジェリドゥやご自身発明のウォッブル・ボードを使うことだった。
 まだ現役パフォーマーとは言え、ハリス氏が最後に大ヒットしたのは1993年発表したレッド・ツェップリン「Stairway to Heaven」を自分風にカバーして英国、豪州、他No.1となった。(その後、ツェップリンのロバート・プラント氏とジミー・ページ氏が恩返し<?>としてハリス氏曲をカバー版出した、、、。)
 実は、ハリス氏がこの曲を作ったのは、「The Money or the Gun」というクラシックオージーテレビ番組のためだった。その番組は1988年から1990年の間に上映され、番組の一コーナーが色々なミュージックのジャンルによって同曲を弾く。ハリス氏の他の例としてビートルズ風かゴスペルやオペラ。以下が各種の「Stairway to Heaven」やその詳細。ツェップリンのファンが見逃せない内容だ!
Rolf Harris – Stairway to Heaven (豪風コメディ版)

Leonard TealeStairway to Heavenドラマ風の詩

Stairway to Heaven (オペラ版)

Stairway to Heaven (フェム・ファテレ版)

Stairway to Heavenドアーズ風版)

Stairway to HeavenB-52s風版)

Stairway to Heavenプレスリー版)

Stairway to Heavenビートルズ風版)

Stairway to Heavenレゲエ版)

Stairway to Heavenスイング版)

Stairway to Heaven (パンク版)

Stairway to Heaven (歌謡曲風版)

Stairway to Heavenラウンジ・ミュージック風版版)

Stairway to Heavenア・カペラ版)

Stairway to Heaven (ワイルドなコメディ版)

Stairway to Heaven (テレビCMのBGM風版)

Stairway to Heaven (ファンク風版)

Stairway to Heavenゴスペル風版)

Stairway to Heavenブロードウェイ・シアター風版)

Stairway to Heaven (オーケストラ風版)

Stairway to Heavenガール・グループ風版)

Stairway to Heaven (サイカデリック風版)

Stairway to Heaven (ブルース風版)

Stairway to Heaven (テクノ・ダンス風版)

Stairway to Heavenヒルビリ・ロック風版)

Cop A Gander At These Rippers Too...

  • | |

    Why Did a Japanese Potter Choose a Tiny Aussie Country Town?

    なぜ日本人陶芸家は小さなオージーの町を選んだのか? When Japanese ceramic artist Tatsuzo Shimaoka visited Australia, he wasn’t looking for fame. Instead, he helped inspire generations of Australian potters through workshops, demonstrations and friendships. His influence can still be found in studios across the country today. 日本を代表する陶芸家・島岡達三は、名声を求めてオーストラリアを訪れたわけではありません。彼は講習会や実演を通じて多くのオージー陶芸家に影響を与え、その足跡は今も各地の工房に残っています。 A Living National Treasure 人間国宝の陶芸家 Tatsuzo Shimaoka (1919–2007) was one of Japan’s most respected ceramic…

  • | |

    豪キャブラリー: Strine

     オージー英語はStrine(ストライン)とも言う。オーストラリア鉛の特徴の一つがしゃべる時に母音を極端に伸ばしてほかの表現を短くすることだ。つきましては、「オーストラリアン」をいう時に鉛に慣れていない人は、「ストライン」や「ストラヤン」に聞こえるらしい。そこで、パロディとして1960年代Afferbeck Lauder氏がストラインという言葉を造語し、今広く使われているようになった。(ちなみに、同氏の名前がalphabetical order < ABC順>のストラインらしい発音でかけているジョークネームである。)

  • |

    豪のクリスマス・ソング:Twelve Days of Christmas Aussie Style

     クリスマス・ソングと言えば恐らくまずこの「クリスマスの12日間」を思い浮かぶ人が多いだろう。  それで、珍しいがオージー版もあるんだ。  曲の流れやメロディが伝統的な曲と同じだが、「梨の木のヤマウズラ」などじゃなくてもらう物がコアラなどオーストラリア独特なものだ。 TWELVE DAYS OF CHRISTMAS AUSSIE STYLE On the 12th day of Christmas My true love sent to me 12 parrots prattling, 11 numbats nagging, 10 lizards leaping, 9 wombats working, 8 dingoes digging, 7 possums playing, 6 brolgas dancing, 5 kangaroos, 4 koalas cuddling, 3 kookaburras laughing, 2 pink galahs, And an…

  • |

    オージー英語が革命を逃した時代

     1970年代前半オーストラリアは、画期的な時代だった。社会的な変化が多い時代であって今のオーストラリアに大きな影響与えている時期でもあった。その激しく変わる時代の中であまり知られていない変化のひとつはあのストライン、要するにオージー英語だった。  1972年に革新派のゴフ・ホイットラム氏を首相としてオーストラリア労働党が23年ぶり政権となった。独立した1901年以降ほとんど保守派の政権下だったオーストラリアは、ようやく1960年代のカウンターカルチャー運動などによって大きく変化を起こした欧米に比べて時代遅れて数多く進歩的な動きが始まった。ホイットラム氏が首相となって数か月以内に先住民族の権利を認め、1960年代半ばから実質的に実施しなかった白豪主義を正式に廃止し、ベトナム戦争の参戦撤去、18歳に投票権を与え、徴兵制を廃止したなど、豪社会の芯まで変えた。移民政策が白人移民を中心よりアジアをはじめ有色人種を積極的に受け入れるようになったなど、ようやくオーストラリアがイギリスを中心にヨーロッパの前哨基地としてでなく、アジア・太平洋地域の一国である認識を持つようになりつつあった。  しかし、あまり知られていない変革も起こそうとした。それはSR1の導入だった。SR1はSpelling Reform 1(綴り変革1)の省略だ。話す言葉に影響がなかったが英語の綴りが話す言葉に近づけるようにした。英語を勉強したことがある誰でも分かるように身に付けるには最も難しいところのひとつが英語の綴りのことだ。スペルの例外が数えきれないほど多くあり、矛盾さが目立ち特に第二言語として学ぼうとしている人たちにとって苦しませることが多数ある。SR1は総合的に英語のスペルをもっと合理的にしようとした。必要ないEを廃止するやf音をするphをなくすなどしようとした。他のスペル変革の例はこのようだった。 are→ar, were→wer, give→giv, have→hav, large→larg, some→som, because→becaus, gauze→gauz, leave→leav, freeze→freez, valley→vally, achieve→achiev, examine→examin, practise→practis, opposite→opposit, involve→involv, serve→serv, heart→hart.  雄弁で評価されているホイットラム氏は英語の変革にも熱心だったので、SR1の密な支持者でもあった。そこでホイットラム政権が豪政府の正式用語としてSR1を導入した。たとえば、当時の健康省がHealth MinistryからHelth Ministryとなった。  このように英語のスペルがだいぶ分かりやすくなった。同時メートル法の導入をして大成功に終わった。だが、SR1が正式に採決したとは言え、実質的に使うところがほとんどなかった。役員たちが使ったとは言え一般庶民に馴染みがなく従来のスペルと使い続けた。  ホイットラム政権がスキャンダル連発で1975年に連邦総督ジョン・カー氏によってホイットラム首相を罷免した。同時に政府の正式用語としてSR1使用が終了となった。同年豪州全国教職員組合がSR1を公式語として採決したが一般社会同様実質的に従来通りのスペルを使い続くことしかなく徐々にSR1支持者の数が自然不滅するようになって1980年代まで趣味程度で続ける人しかいなかった。  今でもSR1を支持する人々や団体が存在するがあくまでも超少数派である。ちょっと残念かもしれない。どう見ても英語が母国語じゃない人たちにとって文書が極めて分かりやすくなるがhttp://en.wikipedia.org/wiki/SR1SR1のような変革を現時点豪ホイットラム政権のような公的な認可はまずなく、社会的な支持がさらに現れそうもない。 当時革新派だった豪労働党がキャンペーンに使用された曲の波紋が広がったが英語綴り変革が失敗に終わった SR1の詩 Draw a breth for progress, Tred abrest ahed. Fight agenst old spelling, Better “red” than “read”. Spred the words at brekfast, Mesure them in…