Why Did Suntory Choose Jacko For Its Ads?

なぜサントリーはマーク・“ジャコ”・ジャクソンを起用したのか?

In the 1980s, one of Australia’s most colourful sporting personalities unexpectedly found himself on Japanese television. AFL star Mark “Jacko” Jackson wasn’t a movie actor or musician, yet Suntory believed he had something special to offer Japanese audiences. Why?

1980年代、オーストラリアを代表する個性派スポーツ選手の一人、マーク・“ジャコ”・ジャクソンが日本のテレビCMに登場しました。俳優でも歌手でもない彼を、なぜサントリーは起用したのでしょうか。


Bigger Than Footy

フットボールを超えた存在

In Australia, Mark “Jacko” Jackson was already famous.

A talented Australian Rules footballer, he became equally well known for his humour, confidence and unmistakable personality.

His catchphrase, “I’m an Individual”, made him one of Australia’s most recognisable media personalities.

フットボールを超えた存在

オーストラリアでは、マーク・“ジャコ”・ジャクソンは人気の高い人物でした。

優れたオーストラリアン・フットボール選手であると同時に、ユーモアあふれる個性的なキャラクターでも知られていました。

「I’m an Individual(俺は俺だ)」という決めぜりふは、多くのオージーに親しまれました。


Japan Was Discovering Australia

日本がオーストラリアに注目していた時代

During the 1980s, Japan’s interest in Australia was growing rapidly.

More Japanese families were travelling overseas, Australian wine was attracting attention, and television increasingly portrayed Australia as open, adventurous and welcoming.

Jacko’s personality fitted that image perfectly.

日本がオーストラリアに注目していた時代

1980年代、日本ではオーストラリアへの関心が急速に高まっていました。

海外旅行が広まり、オーストラリア産ワインも注目を集め、テレビでは自然豊かで親しみやすい国として紹介されることが増えていました。

ジャコの明るいキャラクターは、そのイメージにぴったり重なりました。


Selling a Feeling

売っていたのは商品の先にあるもの

Suntory built its reputation on memorable advertising.

Rather than simply promoting products, its campaigns often celebrated lifestyles, emotions and personalities.

Jacko brought something advertising professionals value highly.

Authenticity.

He looked unmistakably Aussie because he was unmistakably himself.

売っていたのは商品の先にあるもの

サントリーは、印象に残る広告づくりで知られています。

商品の性能だけでなく、ライフスタイルや雰囲気、人の魅力を伝えるCMを数多く生み出してきました。

ジャコが持っていた最大の魅力は「本物らしさ」でした。

作られたキャラクターではなく、ありのままのオージーだったのです。


An Unexpected Cultural Ambassador

思いがけない文化大使

Jacko wasn’t representing the Australian Government.

He wasn’t promoting tourism.

Yet millions of Japanese viewers came to associate his energy and humour with Australia itself.

Without intending to, he became an informal ambassador for his country.

思いがけない文化大使

ジャコは政府の親善大使ではありませんでした。

観光大使でもありません。

それでも、多くの日本人は彼の明るさやユーモアを通してオーストラリアという国に親しみを感じるようになりました。

自然体のまま、彼はオーストラリアの顔の一人になったのです。


More Than a Commercial

CM以上の存在

Most television commercials disappear from memory.

Jacko’s did not.

For Australians living in Japan during the 1980s, it was always surprising to see such a familiar face appear on Japanese television.

For Japanese viewers, he represented a country that seemed relaxed, confident and full of characters.

CM以上の存在

多くのCMは時がたてば忘れられてしまいます。

しかし、ジャコのCMは違いました。

当時日本に住んでいたオージーにとって、見慣れた人物が日本のテレビに映ることは驚きでもありました。

日本人にとっては、オーストラリアという国を身近に感じるきっかけになったのです。


An Unknown Nichigo Story

「知られざる日豪交流」の物語

When people think about Australia–Japan friendship, they usually imagine politicians, trade agreements or business leaders.

Few think about an AFL footballer making Japanese television audiences smile.

Yet Mark “Jacko” Jackson helped introduce a generation of Japanese viewers to a cheerful, approachable image of Australia.

Sometimes, friendship begins with laughter.

「知られざる日豪交流」の物語

日豪交流というと、多くの人は政治や経済を思い浮かべます。

しかし、一人のオーストラリアン・フットボール選手が日本のお茶の間に笑顔を届けたことを知る人は多くありません。

マーク・“ジャコ”・ジャクソンは、親しみやすいオーストラリアのイメージを日本に伝えました。

友情は、笑顔から始まることもあるのです。


Did You Know?

Long before the internet connected Australia and Japan, television commercials introduced millions of Japanese viewers to Aussie personalities. Mark “Jacko” Jackson was one of the most unexpected.

豆知識

インターネットが普及する以前、日本人がオージーに親しみを感じるきっかけの一つがテレビCMでした。マーク・“ジャコ”・ジャクソンは、その中でも特に意外な存在でした。


Sources

Cop A Gander At These Rippers Too...

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