日豪の絆、投資で次の50年へ!経済安全保障で新連携

日豪初の戦略金融協力覚書

オーストラリアと日本が、戦略的投資と経済安全保障で連携を深める新たな一歩を踏み出した。両国政府は、初となる共同戦略金融協力覚書に署名し、重要分野への投資を後押しする枠組みを設けた。

Australia and Japan have taken a new step towards closer economic cooperation. Their governments have signed their first joint strategic financing memorandum, creating a framework for investment and economic security.

エネルギーから重要鉱物まで

この覚書に基づく初の取り組みとして、東京のオーストラリア大使館で日豪戦略的投資ネットワーク・フォーラムが開催された。両国の政策、金融、貿易・投資促進に関わる19機関が参加し、エネルギー安全保障、重要鉱物、戦略インフラなどで協力を進める方法を話し合った。

The Australian Embassy in Tokyo hosted the first Strategic Investment Networking Forum under the new agreement. Representatives from 19 organisations discussed cooperation on energy security, critical minerals and strategic infrastructure.

日豪の強みを組み合わせる

オーストラリアの資源、日本の技術や産業基盤、両国の金融力を組み合わせれば、供給網の強化や多様化につながる。協力の対象は両国内にとどまらず、インド太平洋地域の第三国への投資にも広がる可能性がある。

Australia’s natural resources and Japan’s technology and industrial strengths offer complementary advantages. Joint investment could diversify supply chains and support projects across both countries and the wider Indo-Pacific.

考えRoo の考え

日豪関係といえば、資源や貿易、エネルギーがまず思い浮かぶ。今回の覚書は、両国が資金や専門知識を持ち寄り、共通の課題に取り組む関係へと進んでいることを示している。大切なのは、覚書や会議を実際の投資と成果につなげることだ。

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    本州面積の半分以上ある射撃場で豪が世界宇宙開発の先がけを

     宇宙開発に先がけた国でいえばオーストラリアを思い浮かぶ人がいないだろう。  初NASA所属日本人宇宙飛行士毛利衛氏が豪大学で博士号を取得したにも関わらず日本では、オーストラリアが宇宙開発に先がけた国だった意識が極めて少ない。実は、オーストラリアでもこのことがほとんど知られていない。でも、事実のだ!  旧ソ連、米国、フランスに次ぐオーストラリアが世界で4番目の宇宙開発用の打ち上げ地となった。  1967年11月29日米国が豪に与えたスパルタ・ロケットを南オーストラリア州にあるウーメラ試験場で打ち上げ、見事にオーストラリア初の人工衛星であるWRESAT(Weapons Research Establishment Satellite)を軌道に乗せた。  約4年後、同試験場が再びロケット打ち上げに関われ、今度はイギリスと共同で英国唯一人工衛星Prosperoがブラック・アローによってウーメラから打ち上げた。Prosperoが今でも起動に乗っている(けど、運用していない)。  以降、ウーメラ試験場でロケットの打ち上げがないものの宇宙開発関連業務が継続的に行っている。1980年まで射撃場として使用されたが閉鎖となった。  また、1990年に再開し、民間や商業的な非軍事の試験プログラムにも使われる。  1996年、宇宙開発事業団(NASDA)と航空宇宙技術研究所(NAL)(現在は両者統合して宇宙航空研究開発機構 (JAXA)) が、小型自動着陸実験機(ALFLEX) の飛行実験を行っている。さらにJAXAは、2002年(当時NAL)と2005年に小型超音速実験機(NEXST-1)の飛行実験を行っている。  2010年6月13日には、小惑星イトカワのサンプルを採取したJAXAの小惑星探査機「はやぶさ」(MUSES-C)のカプセル着陸地点としても使われた。  また、日本の大学も参加しているガンマ線天体物理学のための国際協力実験であるCANGAROO(Collaboration of Australia and Nippon for a GAmma Ray Observatory in the Outback)プロジェクトの望遠鏡が設置され、観測が継続されている。  ウーメラ試験場の面積は12.7万平方キロで、日本の本州(22.8万平方キロ)の半分より少し大きいほどの面積である。世界で最も広い陸上射撃場である。ウーメラ立入制限区域に隣接施設。ウーメラのネーミングは、オーストラリア先住民が槍を投げる時に使った補助道具が由来だ。 ウーメラ試験場公式ウェブサイト(英語) Introduction to the CANGAROO Project(日本語) 日豪共同宇宙開発事業CANGAROOサイト CANGAROOII CANGAROOIII

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    Japan’s Mobs Of Macropod Motifs Missing Marsupials In Masterpieces

    Something strikes me about kangaroos in Japan, where companies like Seino and Nikko Kanko have made the marsupials highly visible. Kangaroos are possibly even higher profile than their native Australia, where Qantas uses the national symbol in its logo, but the macropod is a somewhat uncommon sight elsewhere in the corporate sector. I wouldn’t go so far as to say kangaroos are a ubiquitous presence in the Japanese retail or corporate sector, but it would be no exaggeration to claim they are a daily presence. Far more so, actually, than they are in Australia. That got me to thinking about the presence of kangaroos in the Japanese art world, which…

  • Acrobatic Start to Relations まさにアクロバティックに始まった日豪関係

    知られざる日豪関係のルーツ What You Didn’t Know about Australia-Japan Relations 日豪関係のルーツは、まさにアクロバティックに始まった。1867年に日本の曲芸団がオーストラリアを訪問した数年後(具体的な日付は不明。1871年という説もあれば、1874年という説もある)、Sakuragawa Rikinosukeという曲芸師がオーストラリア人女性と結婚して、豪州に移住した日本人として初めて記録された。 Japan-Australia relations started off by swinging into action – literally. First contact came in 1867 when a Japanese acrobatic troupe visited Down Under in 1867. A few years later (the exact date is unknown – some say 1871, others 1874), Rikinosuke Sakuragawa, an acrobat touring Melbourne with another troupe, married an Australian woman and they settled in Queensland, where their descendants remain today.

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    Go Go Australia Festival In Matsudo Stems Out Of A Friendship Grown From Seeds

    A letter, a eucalyptus tree and 55 years of Australia–Japan connections 1通の手紙から始まった55年 A schoolgirl asking for eucalyptus seeds might seem an unlikely beginning for an international relationship. ユーカリの種が欲しい。そんな一人の女子生徒からの手紙が、国際交流の始まりになるとは、当時は誰も想像しなかったかもしれません。1958年、松戸市立第五中学校の女子生徒が、オーストラリア大使館にユーカリの種を求める手紙を送りました。その手紙をきっかけに、松戸市と現在のメルボルンのホワイトホース市との交流は少しずつ広がり、1971年に正式な姉妹都市提携へと発展した。 In 1958, a student at Matsudo Municipal Daigo Junior High School wrote to the Australian Embassy asking for eucalyptus seeds. The request was answered, and the relationship between Matsudo and what is now the City of Whitehorse in Melbourne gradually developed. In 1971, the two cities formally became sister cities. In 2026, Matsudo and Whitehorse are celebrating 55 years of their sister-city relationship. This year also marks the 50th anniversary of the signing of the Japan–Australia Basic Treaty of Friendship and Cooperation….

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    豪政府の完全敗戦だったエミュー大戦争

    オーストラリアが独立した1901年1月1日時点には、南アフリカにてボーア戦争に参戦し、現在に至るまでさまざまな戦争や紛争に戦い、決して「平和的」な国とは言い難い。20世紀に渡って第一次・第二次世界大戦をはじめ朝鮮戦争、マレーシア紛争、インドネシア戦争、ベトナム戦争に参戦した上、21世紀になったらアフガニスタンとイラク戦争にも参戦した。軍事力はそこそこ評価されるが、参戦した戦争の中ではオーストラリア軍がものすごく恥をかかされたのは特に一戦が目立つ。それは1932年のエミュー大戦争だった。おまけ、オーストラリア軍に対して戦勝した相手がエミュー、、、国家鳥だ。  事態は今からちょうど79年さかのぼって世界恐慌下で起きた。戦場が西オーストラリア州マーチソン地区だった。いつもより熱かった夏によりオーストラリア国紋章にある国家鳥エミューの繁殖がさかんとなり、農産物を大量摂取することになった。すでに経済的に苦しんでいる農家を中心に事態に対して連邦政府(国)に対策を実施するようにプレッシャーをかけるようになった。  オーストラリアでは政治的権力が今も昔もある農家を政治家が無視できない。選んだ対策はオーストラリア軍の動員だった。  1932年11月上旬のある朝、王立豪州大砲部隊約50兵がG.メレディス大佐下でおよそ20万羽のエミューと戦う。部隊は、トラックに取り付けられた機関銃で国家鳥と向き合う。  エミュー群は池で水を飲もうとしたところ軍が突然開戦し、機関銃で全開鳥に向かって打つ。  しかし、エミュー群が広げて鳥があっちこっち走り回って、打たれた鳥の数はほんのわずかしかすぎなくて、ほとんどのエミューが見事に逃げた。  同日午後、部隊が再び集合し、もう一回攻撃をしようとした。しかし、機関銃の音でまた鳥が走って逃げて、結果的に何万羽の鳥中、殺されたのが数羽しかなかった。  豪軍部隊が撤退し、エミューが思う存分農産物を餌にし続けた。  約1週間後、メレディス大佐がまた先頭に再び豪軍がエミュー群と向かって機関銃で乱射したが、また効果がほとんどなく、もう1回エミュー群のほとんどが逃げた。2回戦って約2万弾を使用した結果エミュー数百羽しか殺せなかった。  「この鳥のように弾に対しての力があった部隊があれば世界中のどんな国の軍隊に対して争える。機関銃に対して戦車並みの力がある」とメレディス大佐が敗戦を認めた。  これが起きている時、遠いキャンベラの国会ではエミュー大戦争に対して大騒ぎになった。国防相(当時)ゴードン・ピアス氏が豪軍敗戦を認めて、戦場から撤退の命令を下した。それに対してエミューの反応が未だに不明だが、以降数十年同地区では農家の大迷惑をかかったのは間違いない。  敗戦後、農家が1948年まで3回も連邦政府のエミュー対策を要請したが1932年の敗戦を背景に毎回拒否し、エミューの完全勝利となった。