Cop A Gander At These Rippers Too...
なでしこジャパンvs豪州マティルダズ戦
日本の世界チャンピオンなでしこジャパンが11日東京の国立競技場でオーストラリア代表「マティルダズ」とロンドン五輪壮行試合で対戦する。 試合が午後5時でキックオフする。なでしこジャパンの方が圧倒的に強いなので、オリンピックの練習になるかどうかが疑問だが、日豪サッカー伝統のもうひとつの例となれればいいな。 フジテレビが試合を生中継する。 日本国外にいれば、オーストラリア放送局(ABC)のウェブサイトがストリーミングで中継する(英語解説)。 ちなみに、なでしこジャパンの「なでしこ」は日本の花の一つとして名づけられたが良く知られているが、マティルダズの由来は分かる?マティルダ(matilda)は、英語で「雌カンガルー」を示す言葉だ。(雄はブーマーというが、豪代表サッカーチームはサッカールーズといい、ブーマーが全豪バスケ代表に使われている)。
豪キャブラリー:Bloke
Bloke is as much an icon of Strine as it is of cockney English.
Japan and the ANZACs
Japan is one of the many forgotten contributors to ANZAC Day, a day that has assumed legendary status in Australia and New Zealand. ANZAC Day commemorates the landing of Australian and New Zealand troops at Gallipoli on April 25, 1915. Thousands of young men would be cut down in their prime during the vain campaign that ended in an embarassing defeat at the hands of the Ottomon Empire forces, but Gallipoli has since become a hallowed reminder of people’s willingness to commit their lives for their country. The ANZACs, diggers from the Australia New Zealand Army Corps, are now almost deified in an Australia where nationalism has come into vogue…
Tjukurrpa, Terra Australis, New Zealand, EendrachtslandそしてAustraliaへ
「オーストラリア」は、ラテン語で「南の大きな大陸」という意味だ。 日本と同じようにオーストラリアも歴代国名も多数ある。 数万年前から今でいうオーストラリアに住んだ先住民たちは「国」というコンセプトさえなかったので、何百もあった部族に暮らし国全体を理解することはなかった。 その変わり、「夢期(ドリーミング)」ということがあった。その「夢期」は、世・存在やすべての物を含めて人それぞれ独自で解釈するすごく抽象的な意味があるが、その中「土」ようは「住む所」などの意味も含めた。その延長で「夢期」と「国」は、ある意味でイコールである。だとしたら、国名と「夢期」が同じであれば無理がない(まあ、あるけどさ、、、言いたいことがわかるよね)。言語も部族によって異なったため何百個もあったので当然言葉が違うが大きな部族の「夢期」の言葉はアレンテ族のTjukurrpa「ジュカーパ」が最もよく使われている例として挙げているじゃないかな? ヨーロッパ人が今のオーストラリアと接するようになるのは1606年のことだった。古代ローマ時代から地球の南に大きな大陸があるだろうと思われて「Terra Australis(南の土地)」と噂したが確実にその所があったかどうか検証できなかった。 しかし、1606年にオランダ人探検家であるWillem Janszoonが今ウェイパというクイーンズランド州の都市であり、ヨーク岬半島に位置し、カーペンタリア湾に面する。乗務員10人が殺されたり、土地があまり良くなくすぐ去ってオランダ領東インドに戻ったが、探検した国をオランダのゼーラント州にちなんで「ニウ・ゼーラント」と名づけた。しかし、その名前が浸透しなかった(後になってオーストラリアの隣国であるニュー・ジーランドで使えるようになったが)。でも、数年間オーストラリアがニュー・ジーランドと呼ばれたのが事実だ。 数年後の1612年10月。同じオランダ人Dirk Hartogが今のオーストラリア北西部にある世界遺産であるシャーク湾周辺に着陸し、3日間探検して初めて同国の一部の地図を作った。その上、別の名前を名づけた。それが自分の船をちなんで、「Eendrachtsland(Eendrachtsの国という意味)」だった。 17世紀前半ではTerra AustralisあるいはEendrachtslandと呼ばれたが、ヨーロッパ人が行くことがほとんどなかった。17世紀後半になると多くのオランダ人探検家がオーストラリアと接し、同国が「ニュー・ホランド(新オランダ)」と呼ばれるようになった。 以降、「ニュー・ホランド」またはTerra Australisと呼ばれた。1770のキャプテン・クック探検及び1788年イギリスが植民地化した後口語では「ボタニー・ベイ(Botany Bay)」と呼ばれることもあったが19世紀に入るとやっと国名を、ラテン語の英語化である「オーストラリア(Australia)」にした。 1824年当時事実上オーストラリアを統治したイギリス海岸が正式国名を「オーストラリア」と認めた。当時、「オーストラリア」は、現在のニュー・ジーランドを含めたの意味だったが1901年オーストラリアの独立・ニュージーランド抜きの連邦化に伴い現在の使用となった。
ファースト・オーストラリアンズ Episode 1 Part 4/7
「ファースト・オーストラリアンズ」(英語)は、2008年作のドキュメンタリー。先住民の視野からオーストラリアの歴史を記録する。必見だ! 今日は1作目7部中4部目。

