Rainbow Over Allah And Putting A Tiger In The Tank

Work slowed down and it was a little easier to enjoy life, which allowed for stopping to smell the roses and capturing such opportunities as a rainbow shining above the Tokyo Mosque and beefing up Bargearse the bike.

Mrs. Kangaeroo and I also got to visit an exhibition by the delightful Kyoichi Tsuzuki, who has been chronicalling Japan’s quirky side for decides.

He was showing displays from hihokan, the now vanishing but once almost ubiquitous sex museums across Japan.

Bargearse, meanwhile, my erstwhile fat bike, got an upgrade with tiger decorations, taking over from a predecessor pedallar that piqued my interesting in pedalling.

Cop A Gander At These Rippers Too...

  • |

    サッカーW杯最終予選:いよいよ日豪ガチンコ対決!

     いよいよ12日オーストラリアのブリスベーン市にてオーストラリア代表と日本代表がサッカー・ワールド・カップ最終予選のガッチンコ対決が行う。  今まで日本とオーストラリアが1968年から始まり18試合のAマッチが行い、いずれも6勝6敗6引き分けとまさにマッチしている相手だ。しかし、点数になると日本が25ゴールを取ったに対してオーストラリアが日豪戦で23回しか相手のネットに入れていない。また、現時点のFIFAランキングでは日本がオーストラリアを抜いてアジア1位となっている。  重要な対決も差がなかなかつけない。2011年アジア・カップ決勝戦では日本がロスタイムで優勝が決まり2007年のアジア・カップ準々決勝でも日本が勝利を収めたが、2006年のワールド・カップはオーストラリアが3-1で日本を破り、1994年のキリン・カップでアウェー・ゴールで豪が日本とフランスを相手に優勝した。(以下のビデオハイライトを参照)  今回の試合ではフォームで見る限り日本が有利としか言えない。香川、永友、本多をはじめ、ヨーロッパの有力チーム選手が多く、平均年齢が30歳を超えるオーストラリアに比べて若さのエネルギーが発揮できるチャンスではないか。  そして、今回の最終予選日本がオマーン・ジョールダン。また、最初の2試合がホームでプレーし、オーストラリアへ行ったら季節が反対にも関わらず熱帯雨林地に近いブリスベーンでは気温や気候が日本とそれほど変わりなく、時差もそれほどではないので最高条件が全部そろっている。  一方、ホームとは言えオーストラリアにとって条件が悪い。先週オマーンでアウェーでの0-0引き分けが約40℃で行い、30歳を超える8人のスターティング・メンバーにとってキツイ。中近東からオーストアリアの東海岸に飛行機を乗らなくては行けないのも厳しく日本代表の上に疲労とも相手にしなければならない。でも、たとえ条件が悪くても日本人選手の質が今回はるかにオーストラリアを越えている。  オーストラリアで試合が行うにしても、考えRooはアウェーの日本が2点差をつけて勝だと予想する。 FIFA Australia vs Japan Head-to-Head Statistics Football Federation Australia Japan Football Association

  • | | |

    How Did A 19th Century Kangaroo Spark Japan-Australia Ties That Now Seem A Perfect Match?

    カンガルーが火をつけた日豪交流 ― まさに“マッチ”した関係の始まり? Long before Australia became one of Japan’s closest partners, Japanese manufacturers had been using kangaroos to promote their products. The earliest documented reference to the commercial use of a kangaroo in Japan came from 1884, when a misemono traveling curiosity show advertised that it would feature a fukuro nezumi, literally a pouch mouse, at the Tenmangu Shrine grounds in Osaka. オーストラリアが日本の最も親しいパートナーの一つとなるはるか以前、日本のメーカーはすでにカンガルーを商品の宣伝に活用していました。 現在確認されている日本におけるカンガルーの最初期の商業利用は、1884年に大阪・天満宮境内で開かれた見世物興行の広告です。そこには、カンガルーが「袋鼠(ふくろねずみ)」として紹介されていました。 A Kangaroo on a Matchbox マッチラベルに描かれたカンガルー Japan first enacted a trademark registration system in June 1885, and Kobe-based match manufacturer Seisuisha registered its first trademark on Oct. 11 of that year. It was a matchbox featuring a lion. The lion was part of a series…

  • Avian Flew

    I got to make a flying visit to the “Bird” exhibition held at the National Museum of Nature and Science. The exhibition traced birds’ roles in ecosystems, dating from their evolution from dinosaurs through to the important roles they play today. There were over 600 bird specimins exhibited, divided into displays based on themes largely decided by avian type. The exibition boasted of providing a new look at birds through a genetic analysis. These were some of the aspects of the exhibition that were good to like. Other areas were not so great. Despite being a weekday and the entrance fee being a fairly pricey 2,100 yen per adult, the…

  • Whatever Happened To Japan’s Emu-chan?

    Emus take pride of place in the Australian Coat of Arms alongside the kangaroos upon which this site has a focus. And Emu-chan played a crucial role in raising spirits in Japan during the darkest days of the Covid-19 pandemic before suddenly and mysteriously disappearing. Sabaku, the pseudonym used by a Japanese woman working in central Tokyo and “living in the mountains about an hour’s drive from the city” according to Bunshun Online, caused a national sensation with her YouTube channel Live Together With Emu up until late 2023. Videos told the tale of Sabaku’s life with Emu-chan, which she had raised from a hatchling, delighting people with footage of…

  • 今月はオーストラリアが日本を駆け抜ける:音楽、アート、そしてトレス海峡

    Bach To The Future And All Sorts Of Other Aussie Yartz In Tokyo And Across Japan 日本で楽しむオーストラリアのYartz:2026年9月18日〜30日 9月後半の日本は、オーストラリア関連イベントがかなり充実しています。オーストラリア人ヴァイオリニストのレイ・チェン、豪州出身ベーシストのマーティ・ホロベック、参加型音楽イベントのPub Choirまで、音楽とスポーツが続々登場。一方、岐阜では国際芸術祭、大阪ではトレス海峡と日本の知られざる歴史を紹介する展覧会が開催中です。 そして10月以降も、The Rubens、Shonen Knife、Bowerbird Collective、アレクサンダー・ガヴリリュクなど、オーストラリアと日本をつなぐイベントが続きます。 レイ・チェンが東京へ オーストラリアを代表するヴァイオリニスト、レイ・チェンが9月19日、すみだトリフォニーホールに登場します。ニュージャパン・フィルハーモニックとの共演で、バッハ、マックス・リヒターによるヴィヴァルディ、サラサーテというプログラム。 現在、A席7,500円に残席があります。ほかの席種は売り切れとなっています。 会場: すみだトリフォニーホール日時: 9月19日(土)15:00開演料金: A席7,500円ほか予約: ジャパン・アーツアクセス: 錦糸町駅から徒歩圏内 Ray Chen, one of Australia’s best-known violinists, comes to Tokyo on September 19. He performs with the New Japan Philharmonic at Sumida Triphony Hall, with a programme ranging from Bach to Max Richter’s recomposed Vivaldi and Sarasate. A tickets are currently available for ¥7,500, while the other listed seat categories are sold out. Venue: Sumida Triphony HallDate: Saturday, September 19, 15:00Tickets: A ¥7,500 and other categoriesBooking: Japan ArtsAccess: Walking distance from Kinshicho Station Ray Chen Play with Ray…

  • | |

    The Multi-Function Polis: 日本の新型都市をオーストリアで建設計画

     それほど遠くない昔前、日本が「日本の新型都市」をオーストラリアで建設する計画があったのは知っていた?  その都市はサンフランシスコのジャパン・タウンかロサンゼレスのリットル・トーキョーのような日本人や日本が大きく影響与える町の一部なところではなく、日豪政府が合同で運営する新しい都市を一から作ろうという大きな計画だった。また、その都市は当時の最先端技術を全面的に活用しようという予定だった。これはマルチ・ファンクション・ポリス(MFP)という都市だった。   オーストラリア政府が1980年代の半ば頃日本政府にMFP計画を発案した。当時、白豪主義などでずーと避けようとしたアジアに対して近づこうと豹変したオーストラリア政府の考えだった。日本がプラザ合意直後円高が続き40年間に及ぶ経済成長が絶好調に進みさらに一層景気が発揮するところだった(その「発揮」がバブルだということは後になった分かったが当時は「ジャパニーズ・ミラクル」として見られたのは忘れちゃいけない。)  日本が半導体などの世界的なリーダーであったので最先端技術及びその都市のブレーンなどを供給し、オーストラリアが場所を提供すると両国が合同で資金を出し、合同で運営する都市という計画だった。両国が計画に関する協議などが進み、候補地になるためオーストラリア各地で激しい競争を行い、最終的に南オーストラリアの首都であるアデレード市の郊外で作ろうとした。  しかし、オーストラリア国内での反発が激しかった。当時まだ潜在する反日感情が沸き、表でも与党党首だったアンドルー・ピーコック氏や復員兵が構成するRSL会長のアルフ・ガーランド氏を先頭に「あの都市がアジア人の居留地しかならん」など、反MFP計画勢が計画の反対を示し、なかなか進めなかった。  結局、時間が経つと共にオーストラリア政府の動きが鈍くなる。1980年代後半オーストラリアが深刻な不況に落ち、バブル絶好だった日本がその半日感情を考慮し強い後押しを控えた。最後に、反対の声が強すぎ、バブルが破壊し、計画が元通りで進めなくなって今では忘れられている日豪関係のエピソードのひとつである。  ちなみに、連邦政府がMFP計画を断念したけど、1998年に南オーストラリア州政府が独自で同計画を部分的に使いMFPの候補地でMawson Lakesという新型地域を建設した。でも、もう日豪合同都市という夢が絶望となって、日本でもオーストラリアの連邦(国)政府のいずれも関係なかったけどね、、、 この話しをさらに読みたいなら考えRooが下記のサイトをお勧めします。 マルチ・ファンクション・ポリス(MFP)(English) グローバリゼーション下の国際協力政策 ――MFPの事例――(日本語)