「やばいリンガル」 Ace (エース)

 オージー英語って、多くの言葉がオーストラリア独特な使い方があってほかの国で話す英語と言葉が同じでも意味がまったく違うことがたまにある。ここでは、その例を数多く紹介します。、
Strine has some particular uses for words that aren’t always used the way they are in other English-speaking languages…and misusing these can sometimes cause trouble – or strife as it is in Strine – either while Down Under or elsewhere.

Ace
エース
日本語
Japanese
最高の。一流の。
Saiko no; Ichiryu no.
米語/英国英語
Meaning in U.S./British English
prime, first
だけど豪語では
But the Meaning in Strine is....
素晴らしいことの表現となっている。例えば、このような会話がある。
Spectacular! Wonderful! Tremendous!
文例
Usage Example
”I just got a promotion.” (「”昇進したんだ」)
“Ace, mate. Good stuff.”(「エース!よくやったよ!」)

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    史上最高カンガルー・ケーキは日本人女性が作った!

     オーストラリア政府観光局であるTourism Australiaは、先週フェースブックで300万人の「いいね」を記念として世界最高(考えRoo主観的な意見、、、)なカンガルー・ケーキ製作をシドニーのPlanet Cake社に委託し、実際にそのデザイン・作成などを行ったのは日本人女性だった。  Naoko Iikura氏は同社のシニア・ケーキ・デコレーたーであり、巨大なカンガルー・ケーキを作成を担当した。  このケーキはなんと等身大より大きく、高さ2メートルもあり、ものすごく細かく作られて、遠くから見られたら本物そっくりだ。  同社ウェブサイトによるとNaoko Iikura氏は約8年前日本からオーストラリアに渡って約3年前にヘッドハンティングされた。Naoko Iikura氏の仕事が速くて細かいと、好評だ。創作を見れば、その理由が一目見れば分かる。  偏見はあることを認めるが、この信じられないほど素晴らしいカンガルー・ケーキはNaoko Iikura氏が天才的だと言っても過言ではない。 Planet Cake Kangaroo Gallery

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    豪キャブラリー:Dill

    Dillは当然ピックルズの一種であるが、オージー英語では「お馬鹿さん」みたいなちょっとかわいがりながら人を貶す言い方の意味もある。  米語の普及が広がってことなど、社会意識も変わり、dillはほぼ死語に近い存在となっているが、あまりきつくないということもあり復活という選択があり得なくもない。  また、日本語では「バカ」とか「アホ」がきつい言い方になる場合が多いけど、英語の直訳である「silly」か「stupid」や「fool」は軽蔑用語にならないぐらい柔らかい言い方なのだ。ショックを与えるつもりでネイティブにこれらの言葉を使ってみたら全く効き目がないということを頭の中に入れておいたほうがいいかもしれない。

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    日本語が大きく影響を与えた豪州言語

    オーストラリアでは、数少ないながら日本人・日系人の影響が昔からあった。19世紀からでも、日本人を中心に西オーストラリア州のブルーム市では、多くの日本人が真珠取りに活躍したのがある程度知られているが、そこで生まれた言語の貢献についてはそれほど知られていないかもしれない。

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    Tets-J Doing a Dinkum Bewdy of a Job Spreading Indigenous Aussie Culture in Japan

    Tets-J is one of the great unsung heroes promoting Australian culture in Japan, and he’s even more remarkable for advancing indigenous Aussie culture. Tets-J learned about the didgeridoo while staying in Melbourne, taught himself how to play, then returned to Australia’s Arnhem Land and studied under Djalu Gurruwiwi, a master didgeridoo player and member of the Yolngu people. He has devoted his life to spreading indigenous Australian culture throughout Japan, which he does through his performances, his store, Dinkum Japan, classes, lectures, workshops and live performances he gives across the country, as he is currently doing on weekends in Tokyo. Aboriginal Cultural Week Vol. 2, the collection of lectures, workshops…

  • カンガルー変装で大脱走

    英国帝国の植民地時代オーストラリア(1788-1901)はイギリスの流刑植民地だった。シドニーで初めて囚人を拘束したが、その後最も管理しづらい囚人たちをタスマニア島にあるポート・アーサーというところに禁固した。  当時、イギリス人が定住したところ全部が軍法下で暮らして、食糧不足などがあり決して楽な生活ではなかったが、ポート・アーサーでの状況がさらに厳しく囚人たちの間恐怖的な存在となったという。  ポート・アーサーが流刑植民地となった理由の一つがその孤立している立地だ。当時のタスマニア島ではホバートという町(今、タスマニア州の首都)が約60キロぐらい離れてあったが、他は何もなかった。タスマニア島そのものもオーストラリア本土からも遠く離れている。囚人が逃げようとしても逃げるところがなかった。  それでも、脱走しそうな人が現れた。そして、逃げ方も半端じゃなかった!  1842年のことだった。  ジョージ・ビリー・ハントという囚人はカンガルーに変装してポート・アーサーから逃亡しようとした。カンガルーの動きを真似して海を近づいた。うまくいきそうだった。   しかし、その時、お腹をすかせた看守が、夕食にカンガルーの肉を食べようとして彼を撃った。  その時変装を脱ぎ捨てたハントは、追手に囲まれて捕らえられた。  幸いに無事に拘束され、当然食べられなかった(しかし、ポート・アーサーが舞台となった共食い事件が実際に起きたので冗談半分でしかそのことをいえない)。が、逃亡未遂したため、150回の鞭打ちの刑に処されました。 ちなみに、今でもポート・アーサーでは当時の建物などが残り、タスマニア島の最も有名な観光地となっている。