日豪関係の論文で50万円懸賞

 日豪経済委員会では、設立50周年を記念して、日豪関係をテーマにした懸賞論文の募集をしている。 
 日豪両国関係についての意識を深める機会として、広く学生・社会人の皆様の積極的な応募を呼びかけている。
 日豪経済委員会会長賞は、賞金50万円であり、副賞が日本・シドニー往復航空券+3泊宿泊代。また、審査委員長賞は、賞金20万円で副賞が日本・シドニー往復航空券+3泊宿泊代。
 日本語で1万字・英語4,000ワードまでの論文を募集中。締切は5月31日。
 詳細は日豪経済委員会50周年懸賞論文のお知らせまで。

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    豪史上最低映画から俄ヒットへ

     今は、豪史上最低映画とされた「サー・レズ・パターソンが世界を救う!」25周年記念を向かった。  同映画は1987年公開した当時オーストラリア最大のスターたち勢揃いとなり、あの1980年代当初大ヒットした映画「スノイ・リバーからやってきた男」創作者ジョージ・ミラー氏が監督となってあの頃なかなか考えられない高予算が約800万豪ドル(現在約30億円)だったが、興行成績が僅か約60万豪ドルに止まり大きくコケタ。  同映画の動力となったのがコメディアンバリー・ハンフリーズ氏だった。同氏は、当時既に英語圏を中心に世界中に有名となっていて、その主な理由がメルボルン市の「ドはでな主婦」キャラであるデイム・エドナ・エバレッジや下品なノンベと典型的なクズ閣僚兼外交官キャラサー・レズ・パターソンだった。  この映画のあらすじは、サー・レズ・パターソンの強烈にくさいオナラが中近東とある国の政治化の死因となり、その見返りとしてトイレット・シートから感染する病気をなくするようにサー・レズ・パターソンとデイム・エドナ・エバレッジが戦う。(こける理由がなんとなく想像がつくよね、、、)  その後オーストラリア総理大臣となったポール・キーティング氏が映画公開当時財政大臣だった。当時、映画製作にあたり、国から助成金の対象となったいたが、キーティング氏が試写会に出席し、映画のひどさにあまりにも怒っていたので映画の助成金制度を廃止することにしたとうわさされた。  しかし、今では、広く愛されているハンフリーズ氏が引退に向けているということもあり、同映が見直されつつあり、公開25周年にも関わらずちょっとした俄ヒットとなっている。 公開した当時のニュース報道  

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    How Did A 19th Century Kangaroo Spark Japan-Australia Ties That Now Seem A Perfect Match?

    カンガルーが火をつけた日豪交流 ― まさに“マッチ”した関係の始まり? Long before Australia became one of Japan’s closest partners, Japanese manufacturers had been using kangaroos to promote their products. The earliest documented reference to the commercial use of a kangaroo in Japan came from 1884, when a misemono traveling curiosity show advertised that it would feature a fukuro nezumi, literally a pouch mouse, at the Tenmangu Shrine grounds in Osaka. オーストラリアが日本の最も親しいパートナーの一つとなるはるか以前、日本のメーカーはすでにカンガルーを商品の宣伝に活用していました。 現在確認されている日本におけるカンガルーの最初期の商業利用は、1884年に大阪・天満宮境内で開かれた見世物興行の広告です。そこには、カンガルーが「袋鼠(ふくろねずみ)」として紹介されていました。 A Kangaroo on a Matchbox マッチラベルに描かれたカンガルー Japan first enacted a trademark registration system in June 1885, and Kobe-based match manufacturer Seisuisha registered its first trademark on Oct. 11 of that year. It was a matchbox featuring a lion. The lion was part of a series…