豪のクリスマス・ソング:Twelve Days of Christmas Aussie Style

BeachSanta クリスマス・ソングと言えば恐らくまずこの「クリスマスの12日間」を思い浮かぶ人が多いだろう。
 それで、珍しいがオージー版もあるんだ。
 曲の流れやメロディが伝統的な曲と同じだが、「梨の木のヤマウズラ」などじゃなくてもらう物がコアラなどオーストラリア独特なものだ。

TWELVE DAYS OF CHRISTMAS AUSSIE STYLE
On the 12th day of Christmas
My true love sent to me
12 parrots prattling,
11 numbats nagging,
10 lizards leaping,
9 wombats working,
8 dingoes digging,
7 possums playing,
6 brolgas dancing,
5 kangaroos,
4 koalas cuddling,
3 kookaburras laughing,
2 pink galahs,
And an emu up a gum tree

An Aussie Chrissie (オーストラリア独特な英語によって物語れている物語)
Strine Dictionary

Cop A Gander At These Rippers Too...

  • 豪キャブラリー:Paddo

    Definition Paddo is an Australian nickname for the Sydney suburb of Paddington. 日本語の意味 Paddo はシドニーの有名な地区 Paddington の愛称です。 Explanation Australians love shortening words. Paddington becomes Paddo in everyday speech, just as afternoon becomes arvo and service station becomes servo. 日本語での解説 オーストラリア人は言葉を短くするのが大好きです。Paddington が Paddo になるのも、その代表的な例です。 Example “We spent the afternoon shopping in Paddo.” 日本語訳 「午後はパディントンで買い物をして過ごした。」 Strine Culcha The shortening of words is one of the defining features of Australian English. 文化メモ 単語を短縮して使う文化は、オーストラリア英語の大きな特徴の一つです。 Related Terms

  • Kangaroos Played a Part in Germans Being Big in South America BEFORE World War II

    Postwar South America became somewhat notorious as a haven for Germans fleeing the defeat of the Third Reich in World War II, but some Teutonic types had already made it big in Argentina before the Nazis…and kangaroos had something to do with it, albeit an extremely minor role. Kangaroos served as an advertising figure for Sarrasani, a world-famous German circus between the wars. Sarrasani was formed in the German city of Dresden in 1901 by Hans Stosch, a clown with the stage name Giovanni Sarrasani. The circus was best-known for its elephants, but also employed lots of “exotic” peoples such as Japanese, Javanese and Sioux Native Americans, as well as…

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    豪政府の完全敗戦だったエミュー大戦争

    オーストラリアが独立した1901年1月1日時点には、南アフリカにてボーア戦争に参戦し、現在に至るまでさまざまな戦争や紛争に戦い、決して「平和的」な国とは言い難い。20世紀に渡って第一次・第二次世界大戦をはじめ朝鮮戦争、マレーシア紛争、インドネシア戦争、ベトナム戦争に参戦した上、21世紀になったらアフガニスタンとイラク戦争にも参戦した。軍事力はそこそこ評価されるが、参戦した戦争の中ではオーストラリア軍がものすごく恥をかかされたのは特に一戦が目立つ。それは1932年のエミュー大戦争だった。おまけ、オーストラリア軍に対して戦勝した相手がエミュー、、、国家鳥だ。  事態は今からちょうど79年さかのぼって世界恐慌下で起きた。戦場が西オーストラリア州マーチソン地区だった。いつもより熱かった夏によりオーストラリア国紋章にある国家鳥エミューの繁殖がさかんとなり、農産物を大量摂取することになった。すでに経済的に苦しんでいる農家を中心に事態に対して連邦政府(国)に対策を実施するようにプレッシャーをかけるようになった。  オーストラリアでは政治的権力が今も昔もある農家を政治家が無視できない。選んだ対策はオーストラリア軍の動員だった。  1932年11月上旬のある朝、王立豪州大砲部隊約50兵がG.メレディス大佐下でおよそ20万羽のエミューと戦う。部隊は、トラックに取り付けられた機関銃で国家鳥と向き合う。  エミュー群は池で水を飲もうとしたところ軍が突然開戦し、機関銃で全開鳥に向かって打つ。  しかし、エミュー群が広げて鳥があっちこっち走り回って、打たれた鳥の数はほんのわずかしかすぎなくて、ほとんどのエミューが見事に逃げた。  同日午後、部隊が再び集合し、もう一回攻撃をしようとした。しかし、機関銃の音でまた鳥が走って逃げて、結果的に何万羽の鳥中、殺されたのが数羽しかなかった。  豪軍部隊が撤退し、エミューが思う存分農産物を餌にし続けた。  約1週間後、メレディス大佐がまた先頭に再び豪軍がエミュー群と向かって機関銃で乱射したが、また効果がほとんどなく、もう1回エミュー群のほとんどが逃げた。2回戦って約2万弾を使用した結果エミュー数百羽しか殺せなかった。  「この鳥のように弾に対しての力があった部隊があれば世界中のどんな国の軍隊に対して争える。機関銃に対して戦車並みの力がある」とメレディス大佐が敗戦を認めた。  これが起きている時、遠いキャンベラの国会ではエミュー大戦争に対して大騒ぎになった。国防相(当時)ゴードン・ピアス氏が豪軍敗戦を認めて、戦場から撤退の命令を下した。それに対してエミューの反応が未だに不明だが、以降数十年同地区では農家の大迷惑をかかったのは間違いない。  敗戦後、農家が1948年まで3回も連邦政府のエミュー対策を要請したが1932年の敗戦を背景に毎回拒否し、エミューの完全勝利となった。