Oz Rock Legend Malcolm Young Dies  豪ロック伝説的な人マルコム・ヤング氏が死去

Rock legend Malcolm Young, co-founder of Australia’s biggest ever band AC/DC, has died. He was 64.
 オーストラリア最大ロックバンドであるAC/DCの伝説的な共同創立者のマルコム・ヤング氏が死去した。64歳だった。
Young formed AC/DC in 1973 with his younger brother, Angus, who remains the only original member of the band still playing.
 1973年にヤング氏は弟であり現在バンドの唯一オリジナルメンバーとして現役のアンガスと共にAC/DCを結成した。
Young played rhythm guitar for AC/DC until he left the band in 2014 to receive treatment for dementia.
 2014年に認知症の治療を受けるためバンドを退会するまでヤング氏がAC/DCのリズム・ギターを担当した。
He had overcome lung cancer, heart problems and alcoholism.
 肺癌、心臓病やアルコール依存症を克服していた。
Young was described as the driving force behind AC/DC, which has sold about 200 million albums, making it among the best-selling artists of all time.
 売れた音楽家の一つとしてAC/DCが約2億枚もアルバムを売上げ、ヤング氏のバンドの原動力と言われた。
AC/DC toured Japan early in the Brian Johnson era, visiting in 1981 and again the following year. However, the band didn’t tour again until 2001. Acca Dacca last played Japan in 2010, Malcolm Young’s final tour with the band.
 AC/DCはブライアン・ジョンソン氏時代初期頃に来日がした。1981年、そして翌年82年にも来日ツアーが行ったものの次にツアーしたのは2001年となった。最後に来日したのはマルコム氏のバンド最後のツアーでもあった2010年だった。
The Youngs’ elder brother, George, died last month. He had produced the early AC/DC albums and been a member of The Easybeats, one of Australia’s first rock bands to achieve global success.
 ヤング兄弟の兄であったジョージ氏も先月死去した。同氏はAC/DC初期頃のアルバムをプロデューサーだったし、それ以前に最初に世界の舞台で成功したオーストラリアのバンドの一つであったジ・イージービーツのメンバーでもあった。
1981 Japan Tour

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    オージー英語が革命を逃した時代

     1970年代前半オーストラリアは、画期的な時代だった。社会的な変化が多い時代であって今のオーストラリアに大きな影響与えている時期でもあった。その激しく変わる時代の中であまり知られていない変化のひとつはあのストライン、要するにオージー英語だった。  1972年に革新派のゴフ・ホイットラム氏を首相としてオーストラリア労働党が23年ぶり政権となった。独立した1901年以降ほとんど保守派の政権下だったオーストラリアは、ようやく1960年代のカウンターカルチャー運動などによって大きく変化を起こした欧米に比べて時代遅れて数多く進歩的な動きが始まった。ホイットラム氏が首相となって数か月以内に先住民族の権利を認め、1960年代半ばから実質的に実施しなかった白豪主義を正式に廃止し、ベトナム戦争の参戦撤去、18歳に投票権を与え、徴兵制を廃止したなど、豪社会の芯まで変えた。移民政策が白人移民を中心よりアジアをはじめ有色人種を積極的に受け入れるようになったなど、ようやくオーストラリアがイギリスを中心にヨーロッパの前哨基地としてでなく、アジア・太平洋地域の一国である認識を持つようになりつつあった。  しかし、あまり知られていない変革も起こそうとした。それはSR1の導入だった。SR1はSpelling Reform 1(綴り変革1)の省略だ。話す言葉に影響がなかったが英語の綴りが話す言葉に近づけるようにした。英語を勉強したことがある誰でも分かるように身に付けるには最も難しいところのひとつが英語の綴りのことだ。スペルの例外が数えきれないほど多くあり、矛盾さが目立ち特に第二言語として学ぼうとしている人たちにとって苦しませることが多数ある。SR1は総合的に英語のスペルをもっと合理的にしようとした。必要ないEを廃止するやf音をするphをなくすなどしようとした。他のスペル変革の例はこのようだった。 are→ar, were→wer, give→giv, have→hav, large→larg, some→som, because→becaus, gauze→gauz, leave→leav, freeze→freez, valley→vally, achieve→achiev, examine→examin, practise→practis, opposite→opposit, involve→involv, serve→serv, heart→hart.  雄弁で評価されているホイットラム氏は英語の変革にも熱心だったので、SR1の密な支持者でもあった。そこでホイットラム政権が豪政府の正式用語としてSR1を導入した。たとえば、当時の健康省がHealth MinistryからHelth Ministryとなった。  このように英語のスペルがだいぶ分かりやすくなった。同時メートル法の導入をして大成功に終わった。だが、SR1が正式に採決したとは言え、実質的に使うところがほとんどなかった。役員たちが使ったとは言え一般庶民に馴染みがなく従来のスペルと使い続けた。  ホイットラム政権がスキャンダル連発で1975年に連邦総督ジョン・カー氏によってホイットラム首相を罷免した。同時に政府の正式用語としてSR1使用が終了となった。同年豪州全国教職員組合がSR1を公式語として採決したが一般社会同様実質的に従来通りのスペルを使い続くことしかなく徐々にSR1支持者の数が自然不滅するようになって1980年代まで趣味程度で続ける人しかいなかった。  今でもSR1を支持する人々や団体が存在するがあくまでも超少数派である。ちょっと残念かもしれない。どう見ても英語が母国語じゃない人たちにとって文書が極めて分かりやすくなるがhttp://en.wikipedia.org/wiki/SR1SR1のような変革を現時点豪ホイットラム政権のような公的な認可はまずなく、社会的な支持がさらに現れそうもない。 当時革新派だった豪労働党がキャンペーンに使用された曲の波紋が広がったが英語綴り変革が失敗に終わった SR1の詩 Draw a breth for progress, Tred abrest ahed. Fight agenst old spelling, Better “red” than “read”. Spred the words at brekfast, Mesure them in bed, Dream of welth and tresure, Better “ded” than “dead”.

  • Acca Dacca Back In Oz As Well As Black

    AC/DC、ついにBack In Black もBack Inオーストラリア! Legendary Australian rock band AC/DC returned home on Nov. 12, playing a concert in Australia for the first time in more than a decade. 伝説のロックバンド、AC/DCが11月12日、なんと約10年ぶりに母国オーストラリアでライブを敢行! Angus Young and Brian Johnson dazzled a crowd of more than 80,000 in the outdoor concert at the Melbourne Cricket Ground. 会場はメルボルン・クリケット・グラウンド。屋外に集まった8万人超の観客を、アンガス・ヤングとブライアン・ジョンソンが圧巻のパフォーマンスでぶっ飛ばした。 It was the first time Australia’s most successful band with sales of more than 200 million albums played in its home country since December 2015. Its achievement ranks among the top 10 performing artists of all time. 2000万枚以上のアルバムセールスを誇るオージー史上最強バンドが、地元でステージに立つのは2015年12月以来。世界でもトップ10に入るレジェンドのひとつだ。 Critics raved over the show with incredibly energetic performances by 78-year-old Johnson on vocals and guitar god Young belying his…

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    Striking a Light for Strine 「豪」にいれば「豪語」に従えって?

    Hugh Lunn, one of the most vocal advocates of Strine and arguably its greatest modern protector, is about to release Words Fail Me, a follow-up to his 2006 bestseller Lost for Words, which told the tale of disappearing Australian English, mainly due to American cultural influence on the mass media. ヒュー・ラン氏は、ジャーナリストのヒュー・ラン氏は有数のオージー英語の最大の支持者で、保護者とも言えるであろう。同氏は近年オージー英語をテーマにした著書「Words Fall Me」を発刊した。同書は絶滅しつつあるオージー英語についての話題が中心となった2006年発行の「Lost for Words」の続編である。 Hugh Lunn’s Works on Amazon.co.jp

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    Australia’s ‘Voice’ So Close Yet So Far To Japan

    豪州の“ザ・ヴォイス”、日本ではあと一歩届かず John Farnham is probably the most successful solo male singer Australia has ever produced. Despite decades of Australia producing performers who achieved global superstardom, Farnham never quite joined their ranks. But he came tantalizingly close early in his career with a launchpad from Japan. ジョニー・ファーナムは、おそらくオーストラリアが生んだ最も成功した男性ソロ歌手だと言っていいでしょう。世界的スーパースターを何人も輩出してきたオーストラリアですが、ファーナムはなぜかその仲間入りには至りませんでした。でもキャリア初期、日本がそのきっかけになり得る大舞台を用意してくれていたのです。 Farnham has long been “The Voice” of Australian pop music. The now-retired star is renowned in Australia almost without exception for at least two things: a singing capacity so great he is commonly referred to as “The Voice;” and for being a delightfully warm and friendly person. When prolific Aussie songwriter Brian Cadd penned the powerful “Don’t You Know It’s Magic” and earned entry…

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    メン・アト・ワークのメンバーが死亡

    1980年代全世界で大成功したバンドであるMen at Workは、一定の年齢のほとんどのオージーにとって特別な存在である。考えRoo自身も例外ではない。  メン・アト・ワークの現役時代がそれほど長くなかったが、1982年にオーストラリアで発売した「Down Under」が米国をはじめ世界中に大ヒットした。そして、1983年オーストラリアIIがアメリカズ・カップのヨットレースを優勝し、アメリカの132年間同カップの統治にピリオドを打った時に同曲がオーストラリアでまるで国歌のような存在となり、一気にメン・アト・ワークが国民的な英雄のような存在となった。(優勝した当時のオーストラリア雰囲気を説明すると昨年震災直後なでしこジャパンがサッカー女子ワールド・カップを優勝して全国がまるで一つとなって祝った感じが近い。当時豪首相だったボブ・ホーク氏が優勝に対した「今日、ボスが休ませてくれないとくそたれだ」と発言したのは有名な話。当時、高校生だった考えRooはヨットに全く興味ないにもかかわらず学校行く前に優勝した瞬間をラジオで聞き大喜びで祝った覚えがある。)  しかし、そのメン・アト・ワーク、いやオーストラリア全体にに対して大きなショックが起きたのは今年4月19日のことだった。「Down Under」の最も印象的な所だあろうフルートの部分のフルートを吹いたパーフォーマーであるグレッグ・ハム氏が突然死したとのことだ。現時点、心因が不明だが、アルコール関係だとうわさされている。  実は、メン・アト・ワークの黄金時代後ハム氏が色々苦労したようだ。1980年代で稼いだがその後それほど大きな実績がなく印税で暮らして時々演奏などをしたハム氏。しかし、「Down Under」がでて25年目いきなり「フルートの部分がオーストラリアの児童歌の盗作だ!」と主張するレコード会社が現れ、メン・アト・ワークを訴えた。客観的に見ればどうも似てないにもかかわらず2010年の判決ではメン・アト・ワークが敗訴し、ハム氏にとって金銭的及び評判にとっても大きな打撃を与えたそうだ。二人の父となったハム氏は、印税を失い弁護費を背負うようになったので「家を売れないと金がない」ということをいい、多くの知り合いが判決後のハム氏が「欝」「苦しいだ」という。  ちなみに、「Down Under」のおかげでchunderというストライン(オージー英語)が一時期世界中に有名な言葉となった。  ハム氏は、19日付自宅に訪ねた友人が倒れている姿で見つけたが既に死亡だった。58歳だった。 関連記事 Bugger me, Bob! 豪州元首相の豪俗語が外交的な事件になりかけた頃 豪キャブラリー: Chunder

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    Fuji Rock Festival Unveils A Side Of Australia in Japan This Week

    今週のオーストラリア in JapanはFUJI ROCK FESTIVALからはじまる 24–31 July 2026 Australia’s cultural presence in Japan remains strong this week, with internationally acclaimed sculpture, award-winning theatre, progressive rock at Fuji Rock, and a special exhibition celebrating 50 years of Australia–Japan friendship. THIS WEEKEND! PLINI at FUJI ROCK FESTIVAL ’26 | PLINI フジロック出演 Australian progressive guitarist PLINI makes his long-awaited Fuji Rock debut this weekend. Renowned for his technically brilliant instrumental music, Plini has become one of Australia’s most respected contemporary musicians and tours internationally to sold-out audiences. VenueNaeba Ski Resort, Yuzawa, Niigata Performance26 July 2026 Festival HoursFestival gates generally open from approximately 9:00 (see timetable). TicketsSingle-day and three-day passes available. AccessJR Echigo-Yuzawa Station,…