Author: Kangaeroo

  • |

    オージー英語が革命を逃した時代

     1970年代前半オーストラリアは、画期的な時代だった。社会的な変化が多い時代であって今のオーストラリアに大きな影響与えている時期でもあった。その激しく変わる時代の中であまり知られていない変化のひとつはあのストライン、要するにオージー英語だった。  1972年に革新派のゴフ・ホイットラム氏を首相としてオーストラリア労働党が23年ぶり政権となった。独立した1901年以降ほとんど保守派の政権下だったオーストラリアは、ようやく1960年代のカウンターカルチャー運動などによって大きく変化を起こした欧米に比べて時代遅れて数多く進歩的な動きが始まった。ホイットラム氏が首相となって数か月以内に先住民族の権利を認め、1960年代半ばから実質的に実施しなかった白豪主義を正式に廃止し、ベトナム戦争の参戦撤去、18歳に投票権を与え、徴兵制を廃止したなど、豪社会の芯まで変えた。移民政策が白人移民を中心よりアジアをはじめ有色人種を積極的に受け入れるようになったなど、ようやくオーストラリアがイギリスを中心にヨーロッパの前哨基地としてでなく、アジア・太平洋地域の一国である認識を持つようになりつつあった。  しかし、あまり知られていない変革も起こそうとした。それはSR1の導入だった。SR1はSpelling Reform 1(綴り変革1)の省略だ。話す言葉に影響がなかったが英語の綴りが話す言葉に近づけるようにした。英語を勉強したことがある誰でも分かるように身に付けるには最も難しいところのひとつが英語の綴りのことだ。スペルの例外が数えきれないほど多くあり、矛盾さが目立ち特に第二言語として学ぼうとしている人たちにとって苦しませることが多数ある。SR1は総合的に英語のスペルをもっと合理的にしようとした。必要ないEを廃止するやf音をするphをなくすなどしようとした。他のスペル変革の例はこのようだった。 are→ar, were→wer, give→giv, have→hav, large→larg, some→som, because→becaus, gauze→gauz, leave→leav, freeze→freez, valley→vally, achieve→achiev, examine→examin, practise→practis, opposite→opposit, involve→involv, serve→serv, heart→hart.  雄弁で評価されているホイットラム氏は英語の変革にも熱心だったので、SR1の密な支持者でもあった。そこでホイットラム政権が豪政府の正式用語としてSR1を導入した。たとえば、当時の健康省がHealth MinistryからHelth Ministryとなった。  このように英語のスペルがだいぶ分かりやすくなった。同時メートル法の導入をして大成功に終わった。だが、SR1が正式に採決したとは言え、実質的に使うところがほとんどなかった。役員たちが使ったとは言え一般庶民に馴染みがなく従来のスペルと使い続けた。  ホイットラム政権がスキャンダル連発で1975年に連邦総督ジョン・カー氏によってホイットラム首相を罷免した。同時に政府の正式用語としてSR1使用が終了となった。同年豪州全国教職員組合がSR1を公式語として採決したが一般社会同様実質的に従来通りのスペルを使い続くことしかなく徐々にSR1支持者の数が自然不滅するようになって1980年代まで趣味程度で続ける人しかいなかった。  今でもSR1を支持する人々や団体が存在するがあくまでも超少数派である。ちょっと残念かもしれない。どう見ても英語が母国語じゃない人たちにとって文書が極めて分かりやすくなるがhttp://en.wikipedia.org/wiki/SR1SR1のような変革を現時点豪ホイットラム政権のような公的な認可はまずなく、社会的な支持がさらに現れそうもない。 当時革新派だった豪労働党がキャンペーンに使用された曲の波紋が広がったが英語綴り変革が失敗に終わった SR1の詩 Draw a breth for progress, Tred abrest ahed. Fight agenst old spelling, Better “red” than “read”. Spred the words at brekfast, Mesure them in bed, Dream of welth and tresure, Better “ded” than “dead”.

  • |

    Big Yabbyがヤバイッ!

     南オーストラリア州クレイトン・ベイという町にBig Yabbyという「Big Things」がある。  高さ2メートルのオブジェがヤビー「オーストラリア版ザリガニ」を称えた上にレストランの広告塔でもあった。しかし、レストラン経営者が変わりBig Yabbyの撤去が課題となっている。  クレイトン・ベイは約年前までに「クレイトン」だったが、隣のビクトリア州にも同名の町があるから町が名前を変えた。Big Yabbyの行方がまだ不明だ。クレイトン・ベイはオーストラリアの最も長い川マレー川に面しているので、そこでたくさんヤビーを取得できるところだ。  Big Yabbyがあまり豪華じゃない方の「Big Things」だが、同類にBig Prawnがある。 大きな地図で見る

  • 豪米農家(本当のイングランド国王位継承権者)が死亡

     イングランドの本当の国王マイケル・アブニー・ヘースティングズ氏は、豪ニューサウスウェールズ州ジェリルデリーで先週末亡くなった。69才だった。  豪米農家、フォークリフト・ドライバーや町議会議員などを豊富なキャリアを果たした故アブニー・ヘースティングズ氏は14世紀のイングランド国王エドワード3世の継承権者であった。現イギリス女王エリザベス2世はエドワード4世の継承権者でるが、2004年に英国チャネル4放送局番組の調査によるとエドワード4世が間違いなく非婚出子であったため違法統治者としてイングランド国王位継承権がなかった。  故アブニー・ヘースティングズ氏は、英国生まれだが1960年オーストラリアに移民した。本物のイングランド国王と言われたら「エリザベス女王に対して要求がないけど、宮殿住まい500年間の家賃を僕に払うべきだろうな」と笑いながら言った。  皮肉的に故アブニー・ヘースティングズ氏はオーストラリア共和国支持者であり、現英国国王が同時にオーストラリア国家元首である制度に対して反対だった。同氏の継続者となるのは長男だ。長男サイモン・アブニー・ヘースティングズ氏は、豪ビクトリア州ワンガラッタにて織物会社勤めのサラリーマンだ。 ‘Rightful’ King of England dies in NSW ‘Rightful king of England’ dies: Aussie forklift truck driver’s ancestors were ‘cheated out of crown’

  • | |

    Strine-speaking, Sydney-born star made Japan’s queen of natto fermented beans

    Strine-speaking Shiori Kutsuna has been declared the 2012 Natto Queen, an award handed out to celebrities who promote fermented soybeans, or natto, as they’re known in Japanese. Kutsuna, a 19-year-old Sydney-born actress, was presented with her award at a ceremony in Tokyo earlier this week. Natto are a popular dish, particularly in eastern Japan, and are highly valued for their nutritional content and health benefits. Less widely praised are the gooey, sticky texture of the fermented beans. Kutsuna was born in Sydney and spent her formative years in Australia’s biggest city, learning how to speak fluent Strine. She is a dual Australian-Japanese citizen. As Japan’s Natto Queen, an award bestowed…

  • |

    豪一厳しい経営者日本人が「客の悪マナー」を理由にレストランを閉店

    オーストラリアで「最も厳しいレストラン」とされているシドニーのWafuは、経営者であるイチカワ・ユカコ氏(42)の判断で閉店することになっている、と5日付のシドニー・モーニング・ヘラルド紙が報道した。  イチカワ氏によると「客がドッギー・バッグを持参しない、ファースト・フッドを食いすぎ、食事を完全に食べない」などを理由に閉店に乗り出した。  イチカワ氏が書く店のブログによると経営に問題がないが、閉店に当たって世界経済低迷も影響もあったという。  Wafuは、シドニーで大人気だった。会員制で1回目そこで食事する前に必ず講座を受けなければならないことが絶対条件だった。その他のルールも大変厳しかった。 店の外に看板で書かれているWafuのルールは以下の通り。 * 食事マナーが消化のために大切にすること * 許可なしで座らないこと * きちんと座って、リラックスすること * 食事を共に食べること * 食べたら、お箸をおいておいてよく噛むこと * お食事が出ましたら「いただきます」を言うこと * 食器などをいじらないこと * 必要以上の醤油を使わないこと * 醤油及び米を無駄にしないこと * 食べ物を無駄にしないこと * 食べなければわさびかしょうがを頼まないこと * 電話でうるさく喋れないこと * 食べ物を無駄にしないこと * 物などを壊したら、弁償を申し出ること イチカワ氏筆Wafuブログにての閉店メッセージ (英語) Surry Hills restaurateur with notorious rules lashes Sydney’s ‘greedy’ diners as she announces closure with online rant(英語) This real iron chef will make you pay(英語)

  • | |

    The Big Redback: 豪文化象徴である「便座の背赤グモ」のBig Things版

    一昔前まで下水道がまだ通っていなくて屋外トイレがオーストラリア都市部を含めて多くのところでは主流だった。暗くて、臭くて夜になると本当に怖い思いを持ち、用を足すのは覚悟の上で行ったようなことだった。特に子供たちにとって。  その「恐怖感」からオーストラリアの文化の象徴が生まれてきただ。それは「屋外トイレの便座にある背悪グモ」の伝説だ。  オーストラリアでは毒グモがたくさんあり、その中で最も有名な例があの日本でも侵略的外来種として指定されている「背赤グモ」だ。実際にさされるケースが稀だが、暗いところが好き同クモは、何でか分からないけど屋外トイレと関連するように見えた。その伝説を称えるカントリー・シンガーであるスリム・ニュートン氏が1972年に「便座の背赤グモ」という曲を発表し、もう早ランキング1位となり、今でも知らないオーストラリア人がいない。もう一つの効果がその「屋外トイレの便座にある背赤グモ」の伝説を維持することだった。  そして、その伝説を称える「Big Things」もある。  クィーンズランド州ブリスベーン市郊外にあるBig Redbackだ。その高さ3メートル、長さ3メートルの背赤グモが屋外トイレを登っているように1996年に製作された。  ちなみに、屋外トイレがあまりにもオーストラリア文化に溶け込んでいたので、独特なオージー英語であるdunnyと呼ばれるようになった。 The Redback on the Toilet Seat(歌詞の和訳は下記) 便座にあった背赤グモ 夕べトイレ行ったとこ背赤グモが便座にあった、 暗くて見えなかったが刺されたことを間違いなく感じた。 空へ高く飛び込んで、着陸したらあの賢い背赤クモはどこにも見つからなかった。 家内のとこに走り込んでどこで刺されたを教えると、家内が『理髪屋で使うような』髭剃りを取り出したら、僕が激怒した。 『やろうとすることをおいておいて医者を呼んでください。』 『恐らく、君が考えている治療法が毒より危険だろう、という気がする。』 夕べトイレ行ったとこ背赤グモが便座にあった、 暗くて見えなかったが刺されたことを間違いなく感じた。 そして、今入院中だよ、とても淋しくてかわいいそう、夕べ便座にあった背赤グモに罵った。 横になれず、座り込めず、どうすればいいのか分からない。看護婦たち皆が大喜びが俺自身の視野が違う。 『恥ずかしいだ』と言うのは最も前向きな言いかたにしておこう。 俺は食べられないほど気持ちが悪くなったのに、あのグモが多いに御馳走した。 退院して家に帰ったら、こうしておこうと思う。 そして、あのグモが今僕が感じている痛みが少し分かるだろう。 あまりにも多く注射それたのでまるでふるいに見えるようになった。 あの背赤グモの生き残る生命期間が短いぞ、とここで約束するよ。 夕べトイレ行ったとこ背赤グモが便座にあった、 暗くて見えなかったが刺されたことを間違いなく感じた。 そして、今入院中だよ、とても淋しくてかわいいそう、夕べ便座にあった背赤グモに罵った。 大きな地図で見る

  • |

    海で下水を流すことに抗議するために制作されたBig Poo

    オーストラリアの数多く「Big Things」の中では実際に利用されているものや観光振興以外の意味あるものがほとんど無いがニューサウスウェールズ州にあるキアマにあるBig Pooがかなり違う。  発泡スチロール製のBig Pooは長さ約5メートル高さ約1メートルの「うんち」オブジェだ。シドニー水道局が下水再利用しないことに対して抗議するためにつくられた。  元々約10年前同州州議会議員イアン・コーエン氏の委託で作られて観光町であるキアマの入り口に設置した。作られた理由は同局が下水を再利用できるなのに、再利用しないで下水を海に流すだけだ、とコーエン氏がいう。未だに同局が下水再利用が進んでいないといい、再利用主張するように呼びかけているキャンペーン拠点で設置している。しかし、発泡スチロールで作られているため軽くあっちこっちで動かしているらしい。  「Big Pooは発泡スチロールで作られている理由は処理されていない下水と同じように浮かべるからだ」とコーエン氏が言う。同氏は、海が綺麗で評判されているキアマに下水を再利用しない限り大きなうんちをそこで流れていることと同じだ。 大きな地図で見る

  • |

    豪の野生児、カンガルーと共に暮らす「ナラボー・ニンフ」

     今からおよそ40年前西オーストラリア州にある人口86人しかいないユークラという小さな砂漠町が一時的に一世風靡を起こし、世界中に有名になった。  その理由は、そこでカンガルーと共に暮らす野生児の少女がそこで発見された、という報道があった訳だ。同町が砂漠の中にあるナラボー平野にあるため、マスコミがすぐにその少女を「ナラボー・ニンフ」(ナラボーの美少女)と名づけた。  「ナラボー・ニンフ」が1971年暮にうわされ始まり、いつの間にか毛を巻きながらカンガルーの群れと一緒にいる少女の写真が現れた。そして、その直後、映りが悪いが同少女の映像が撮られて、いつの間にか世界中に報道され、TIME紙やBBCなど各国のマスコミ報道陣がユークラにやってきて野生児の「ナラボー・ニンフ」を必至に探すようになった。   しかし、記者などが話しの背景を調査しはじまるとちょっとくさくなる。それで、1972年のある日、ユークラ住民一人ロリー・スコット氏が新聞記者に「ナラボー・ニンフ」の話しがユークラの町おこしのための出ち上げだと言った。スコット氏と仲間数人がある日ビールを飲みながら「どうやってユークラをPRすればいいのか」を話「ナラボー・ニンフ」の野生児のづくリ話というアイディアを思い浮かんだ。知人女性を写真にポーズしてもらって、偽造映像にはプロのモデルを起用した。砂漠の間中の小さな町であるユークラが世界の注目を浴びた瞬間が終了となった。  が、「ナラボー・ニンフ」の伝説が未だに人々を魅了する。「発見」以降、舞台、彫刻か本や博士号論文の題材ともなった。そして、2012年3月に「ナラボー・ニンフ」がモキュメンタリー(疑似ドキュメンタリー)の主体となった。そのモキュメンタリーが超B級映画でありながら学生などの間でかなり評価されているらしい。モキュメンタリーは、「ナラボー・ニンフ」が主体となっているが、実際の「ナラボー・ニンフ」事件と全く関係ない。 ナラボー・ニンフの背景についてラジオ・番組(English) ナラボーニンフに関するニュース・リポート(English) 「ナラボー・ニンフ」モキュメンタリーの公式予告編(English)

  • |

    砂漠のド真中にあるビール大好きなクジラ

     西オーストラリア州最も東方町であるユークラは、人口86人しかいないにも関わらず結構面白い過去を誇る町でありながら、かなりユニークな「Big Things」の所在地でもある。  ユークラは、ナラボー平野にあり、砂漠のド真ん中にある。しかし、同町の「Big Things」が長さ10メートル、高さ3メートルのクジラであるユークラ・ホエールだ。皮肉的にBig Whaleが実際称えるものより小さいのが事実だ。厳密に言えばBig WhaleがSmall Whaleと言うべきかもしれない。 しかし、砂漠とは言え、海岸添えの町なので、それほど不思議ではない。そして、同町でホエール・ウォッチングが優れているため、少人数しか済んでいないド田舎町でも、場外れでもないかもしれない。しかし、ホエールは、ビール看板の下に置かれている、近くに水が無くてもボートがあり、そもそも意味不明な「Big Things」の上に不思議さをさらに増加するんだ。  ユークラと言えば、電報拠点として19世紀半ば頃に設立して、一時期人口数百人程度まで成長した。しかし、1921年にウサギによって町が破壊されて、以降現在と同じぐらいの人口・大きさのままだ。「ウサギに破壊された」ってちょっと信じられない話しだろうが、本当だった。当時、ウサギが大発生した。ユークラは、元々砂丘に置かれたが周りの植物が大量に増加されたウサギに食べられて、ビルなどの基礎をはじめ、町全体の基盤が崩れた。大発生を解決した後町全体を数百メートル動かして、新たに町を作った。  また、1971年に同町が「ナラボー・ニンフ」と言う話しで一世風靡をし、世界的に有名となったことがあった。しかし、「ナラボー・ニンフ」の話しを別の機会にしよう。 大きな地図で見る

  • |

    ウィンブルドン選手権優勝にぴったりのBig Tennis Racquet

     只今、錦織圭選手が3回戦進出を決めて大活躍中のウィンブルドン選手権は、驚くことにオーストラリアの「Big Things」と(ちょっと微妙な、、、)つながりがある。  かつてオーストラリアは「テニス大国」と言われるぐらいで、今でも全豪オープンが4大大会のひとつであるが、それは「Big Things」と何の関係だろう?  実は、ニューサウスウェールズ州東南部にあるバレリンという町に初めて豪州先住民としてウィンブルドン選手権優勝者であるイボンヌ・グーラゴング氏の生まれ故郷である。  ウィンブルドン、全豪を含めて4大大会シングルズ優勝計7勝を果たしたグーラゴング氏を称えるため、同町が2009年なんと高さ13メートルのテニス・ラケットとテニス・ボールを作って、町の名所と共に「Big Things」の一つとなった。グーラゴング氏自身が開会式に出席し、Big Tennis Racquetの除幕式を行なった。  このラケットが使えれば、なかなか負けそうもないよね。(しかし、コンクリート製なので、運ぶのはちょっときついかもしれない、、、)。 大きな地図で見る