Crafted Kangaroos and Tiger Shoes

I was delighted to discover an arty ceramic kangaroo being sold at a store near the office, but the asking price put it out of my range despite my desire to possess anything marsupial.

I also got to witness the upshot of a drunk driver who rammed into a Shinjuku restaurant, incurring the wrath of another bystander when I took a photo of the carnage (with no human casualties).

And a workmate and I crafted a pair of tiger striped shoes! (She did most of the work, and ALL of it that required any dexterity).

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    豪で日本人アーティストのパイオニアだったSandiiはSunsetzから再びSunrise

    Sandii, responsible for one of Japan’s first (and extremely rare) marks on Australian popular music charts back in the early 1980s, remains active in the Japanese entertainment world, performing live in Tokyo on Aug. 5 during the Ocean Peoples event at Yoyogi Park1980年代前半にオーストラリアでヒットした非常に稀な日本人パフォーマーとしてサンディーは、今でも活躍中であり、8月5日東京代々木公園にて「Ocean Peoples」に関連したライブを行なった。While fronting Sandii and the Sunsetz back in the 1980s, Sandii scored a #11 hit on the Australian pop music charts in 1984 with Sticky Music. A successful tour of Australia accompanied the hit, including a show in the Adelaide suburb of Glenelg as an alcohol-fueled riot that led to 66 arrests broke out.サンディーは、Sandii & the Sunsetzのリードヴォーカルとして1984年にオーストラリアで11位にランクインしたちょっとしたヒット曲「Sticky Music」をリリース、同年に曲と並行したオーストラリア国内ツアーもアデレード市内で暴動が起こしながらライブを続けたことを含めて大成功を収めた。 It was only the second Top 20 hit by…

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    Did You Know A Japanese Cure Turned Out To Be A QR Aussies Use Daily?

    オーストラリアで毎日使われる便利なものが、日本生まれだと知っていましたか? Aussies scan QR codes countless times every day—for café menus, concert tickets, parking and payments. Yet few realise the technology was invented in Japan by one engineer who wanted to make work easier. カフェのメニュー、コンサートのチケット、駐車場の精算やキャッシュレス決済。オーストラリアでも毎日使われるQRコードですが、その技術が日本で、一人の技術者によって生み出されたことはあまり知られていません。 Meet the man behind the square あの四角いコードを生んだ技術者 In 1994, Japanese engineer Masahiro Hara developed the QR code while working for Denso Wave. The company needed a faster way to track vehicle components during manufacturing. Hara’s solution could store far more information than ordinary barcodes while remaining quick to scan. 1994年、日本の技術者・原昌宏(はら まさひろ)さんは、デンソーウェーブで働きながらQRコードを開発しました。自動車部品をより効率よく管理するため、従来のバーコードより多くの情報を記録でき、素早く読み取れる仕組みを考え出したのです。 A gift, not a monopoly 独占ではなく、世界への贈り物 Although Denso Wave patented the technology, it chose not to enforce the patent rights. This allowed QR codes…

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    How Do Japanese Students Help Preserve Aussie Nature?

    日本人留学生はどのようにオーストラリアの自然保護を手伝うのか? Every autumn, groups of Japanese students trade classrooms for gum forests, beaches and wetlands. Their goal isn’t sightseeing. They’re helping protect Australia’s unique environment while discovering a different side of Aussie life. 毎年秋、多くの日本人留学生が教室を離れ、ユーカリの森や海岸、湿地で環境保全活動に参加しています。観光ではなく、オーストラリアの自然を守りながら、地域との新しい交流を育んでいるのです。 Learning Beyond the Classroom 教室の外で学ぶ Many Japanese students come to Australia to improve their English. Some discover that their most valuable lessons happen outdoors. Working alongside local volunteers, they remove weeds, plant native trees and restore wildlife habitat. 教室の外で学ぶ 日本人留学生の多くは英語を学ぶためにオーストラリアへやって来ます。 しかし、本当に印象に残る学びは教室の外で待っていることもあります。 地域の人々と一緒に外来植物を取り除き、在来樹木を植え、野生動物のすみかを守っています。 Friends Through Conservation 自然保護が結ぶ友情 Conservation projects bring together people who might never otherwise meet. Retired Aussies, school children, university students and overseas visitors all work towards the same goal. Conversation comes naturally when everyone…

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    シドニーで旧日本海軍特殊潜航艇周辺をダイビングが可能に

     世界第二次大戦中の1942年に、大日本帝国海軍の3隻の特殊潜航艇がオーストラリア、シドニー湾を攻撃して、その後3隻雷撃で沈没した。  3隻特殊潜航艇のうち2隻がすぐに見つけられたが、3隻目はなかなか表れなかった。そして、ようやく2006年にダイバーがシドニー湾に3隻目の特殊潜航艇 豪政府は沈没した特殊潜航艇周辺が危険性あるとして接近禁止したが、この頃安全を確認し、つい今週になってからダイビングを許可することになった。 現地の報道局ニュース Sydney sub wreck opened to divers(英語)

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    モー、、十分か?牛関係のBig Thingsでもオーストラリアに盛ん

     オーストラリア経済にとって乳製品・肉食関係などがいずれも重要な分野であり、国及び国民のほとんどに欠かせない存在である。  なので、オーストラリアでの生活になんらかな不思議な影響がある「Big Things」も当然牛などと関連するものも多数。  多分、背景が最も面白いのがビクトリア州のバーチップにあるBig Mallee Bull。  Malleeという言葉をオージー英語でたくさん意味があるが、主に地域や木の種類に使われている。  そして、fit as a mallee bullという表現は、独特なオージー英語であり、どんな豪州人でも分かるはずだ。直訳すると「マリー地域の雄牛並みの体が鍛えられている」で、意味が「極めて壮健だ」。  それに因んでビクトリア州のマリー地域にあるバーチップが街のど真ん中に巨大な雄牛を称える。  問題は、実際にmallee bullという牛が元々存在しない。  でも、それを別においておいて、他も見てみよう。  まずは、北部のクイーンズランド州から始まろう。  南回帰線にあることで有名な町ロックハンプトンは元々ビーフ産業が栄えている地域である。  それを称えるため地域の象徴である牛3頭の「Big Things」を町のあっちこっちに設置されたが、一つが朽ち果てたようで現在2頭のBig Bullしか残っていないらしい。  そう遠く離れていないのが同州ヤンディナ。  ロックハンプトン同様、この地域も牛産業が重要であり、牛の「Big Things」が作られた。  もう一つの特徴がしょうが農家が多い。  決してイヤンディナという地域について「しょうがない、な~」と言い難い。  実にしょうがだらけだ。  はい、くだらないギャグをやめよう。  ニューサウスウェールズ州海岸添え北部の町ワーチョープは元々「Big Things」があった町。  だが、そこにあったBig Bullは、老化で約5年前撤去されたようだ。  オープンした当時お土産屋やビーフに関する展示があったようだったが、集客力があまりなかった見たい。  同州南部海岸添えの方へ行くとボダラという町がある。  ボダラは牛が有名というよりチーズをはじめ乳製品が有名だ。  そこで同町に巨大なチーズ像がある。  だが、上記Big Bullと同じようにこれも老朽化し、今一般人がなかなか近づかないようになっているようだ。  しかし、ハイウェイから良く見えるらしいし、写真も撮れる。  そして、他の牛などに関連する「Big Things」は、以前に考えRooで取り上げられているものだ。  今週、話に触れたばかりのBig Cowsがある。  これらが他数件と一緒にビクトリア州の「Big Things」都であるフィリップ島にある。  同島のニューヘーブンという町にある。  (皮肉的にカウズ<牛の複数形>でありながらカウズという町がとなりにあってにもかかわらずそこで立てられなかった。)  そして、ほぼオーストラリア全国に渡って西オーストラリア州へ。  ここにはCow on the Cornerという巨大な牛がある。  このデカイ牛はブランズィック・ジャンクションという町にあってにも関わらず、日本と深い関係がある。  日本で発売されているLady Bordenアイスクリームが元々この地域に作られて1990年代以降輸出された。 Birchip (includes Big Mallee Bull footage)

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    The Multi-Function Polis: 日本の新型都市をオーストリアで建設計画

     それほど遠くない昔前、日本が「日本の新型都市」をオーストラリアで建設する計画があったのは知っていた?  その都市はサンフランシスコのジャパン・タウンかロサンゼレスのリットル・トーキョーのような日本人や日本が大きく影響与える町の一部なところではなく、日豪政府が合同で運営する新しい都市を一から作ろうという大きな計画だった。また、その都市は当時の最先端技術を全面的に活用しようという予定だった。これはマルチ・ファンクション・ポリス(MFP)という都市だった。   オーストラリア政府が1980年代の半ば頃日本政府にMFP計画を発案した。当時、白豪主義などでずーと避けようとしたアジアに対して近づこうと豹変したオーストラリア政府の考えだった。日本がプラザ合意直後円高が続き40年間に及ぶ経済成長が絶好調に進みさらに一層景気が発揮するところだった(その「発揮」がバブルだということは後になった分かったが当時は「ジャパニーズ・ミラクル」として見られたのは忘れちゃいけない。)  日本が半導体などの世界的なリーダーであったので最先端技術及びその都市のブレーンなどを供給し、オーストラリアが場所を提供すると両国が合同で資金を出し、合同で運営する都市という計画だった。両国が計画に関する協議などが進み、候補地になるためオーストラリア各地で激しい競争を行い、最終的に南オーストラリアの首都であるアデレード市の郊外で作ろうとした。  しかし、オーストラリア国内での反発が激しかった。当時まだ潜在する反日感情が沸き、表でも与党党首だったアンドルー・ピーコック氏や復員兵が構成するRSL会長のアルフ・ガーランド氏を先頭に「あの都市がアジア人の居留地しかならん」など、反MFP計画勢が計画の反対を示し、なかなか進めなかった。  結局、時間が経つと共にオーストラリア政府の動きが鈍くなる。1980年代後半オーストラリアが深刻な不況に落ち、バブル絶好だった日本がその半日感情を考慮し強い後押しを控えた。最後に、反対の声が強すぎ、バブルが破壊し、計画が元通りで進めなくなって今では忘れられている日豪関係のエピソードのひとつである。  ちなみに、連邦政府がMFP計画を断念したけど、1998年に南オーストラリア州政府が独自で同計画を部分的に使いMFPの候補地でMawson Lakesという新型地域を建設した。でも、もう日豪合同都市という夢が絶望となって、日本でもオーストラリアの連邦(国)政府のいずれも関係なかったけどね、、、 この話しをさらに読みたいなら考えRooが下記のサイトをお勧めします。 マルチ・ファンクション・ポリス(MFP)(English) グローバリゼーション下の国際協力政策 ――MFPの事例――(日本語)