Chance encounter caused by Melbourne rain makes Indigenous Australian art Big in Japan – and Oz art’s greatest-ever solo success

Aboriginal Art Exhibition in Kanazawa poster.
Fancy guessing the most successful solo exhibition ever given by an Australian artist? Maybe, Sidney Nolan in New York? Tom Roberts in London, perhaps? What about Brett Whiteley in Paris? Nah. Here’s a hint: the artist was indigenous. Ah, well, in that case, it’d have to be Albert Namatjira, right? Nope. Wrong again.
In fact, the late Emily Kame Kngwarreye holds the honor with wildly successful exhibitions in Tokyo and Osaka back in 2008. Over 120,000 visited the exhibtion, which featured over 200 works valued at more than $50 million.
Crucial in the success of those exhibitions, as well as prior and subsequent triumphs by contemporary Indigenous Australian artists in Japan, was Mayumi Uchida, a Melbourne-based Aboriginal Art Coordinator.
Uchida came into contact with Indigenous Australian art purely by coincidence back in the 1990s while taking shelter from the rain in Melbourne in a gallery where she was immediately offered a job and introduced to Aboriginal art in the process. She has since become deeply enmeshed in Indigenous Australian culture and art, penning a book in Japanese on her experiences mainly with the community at Utopia, known for its brilliant collection of artists (many of whom didn’t start painting until they were already middle-aged or, as with Emily Kame Kngwarreye, elderly).
Uchida will be running an Indigenous Australian Art Exhibition and Workshop in Kanazawa from next weekend. Accompanying her, and taking part in the workshops will be Barbara Weir, effectively a foster daughter of Emily Kame Kngwarreye and a proficient and accomplished artist in her own right.
Mayumi Uchida website Art Space Land of Dreams (Japanese)

Painting Together with an Aboriginal Artist
Shiinoki Geikinhan
2-1-1 Hirosaka, Kanazawa
Ishikawa Prefecture
Aug. 18, 19, 25 and 26
2 p.m. to 3:30 p.m.
Tel. (in Japanese): 076-261-1111

Reference Stories
Emily in Japan
(Emily’s) exhibition in Japan

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    シドニーで旧日本海軍特殊潜航艇周辺をダイビングが可能に

     世界第二次大戦中の1942年に、大日本帝国海軍の3隻の特殊潜航艇がオーストラリア、シドニー湾を攻撃して、その後3隻雷撃で沈没した。  3隻特殊潜航艇のうち2隻がすぐに見つけられたが、3隻目はなかなか表れなかった。そして、ようやく2006年にダイバーがシドニー湾に3隻目の特殊潜航艇 豪政府は沈没した特殊潜航艇周辺が危険性あるとして接近禁止したが、この頃安全を確認し、つい今週になってからダイビングを許可することになった。 現地の報道局ニュース Sydney sub wreck opened to divers(英語)

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     オーストラリア経済にとって乳製品・肉食関係などがいずれも重要な分野であり、国及び国民のほとんどに欠かせない存在である。  なので、オーストラリアでの生活になんらかな不思議な影響がある「Big Things」も当然牛などと関連するものも多数。  多分、背景が最も面白いのがビクトリア州のバーチップにあるBig Mallee Bull。  Malleeという言葉をオージー英語でたくさん意味があるが、主に地域や木の種類に使われている。  そして、fit as a mallee bullという表現は、独特なオージー英語であり、どんな豪州人でも分かるはずだ。直訳すると「マリー地域の雄牛並みの体が鍛えられている」で、意味が「極めて壮健だ」。  それに因んでビクトリア州のマリー地域にあるバーチップが街のど真ん中に巨大な雄牛を称える。  問題は、実際にmallee bullという牛が元々存在しない。  でも、それを別においておいて、他も見てみよう。  まずは、北部のクイーンズランド州から始まろう。  南回帰線にあることで有名な町ロックハンプトンは元々ビーフ産業が栄えている地域である。  それを称えるため地域の象徴である牛3頭の「Big Things」を町のあっちこっちに設置されたが、一つが朽ち果てたようで現在2頭のBig Bullしか残っていないらしい。  そう遠く離れていないのが同州ヤンディナ。  ロックハンプトン同様、この地域も牛産業が重要であり、牛の「Big Things」が作られた。  もう一つの特徴がしょうが農家が多い。  決してイヤンディナという地域について「しょうがない、な~」と言い難い。  実にしょうがだらけだ。  はい、くだらないギャグをやめよう。  ニューサウスウェールズ州海岸添え北部の町ワーチョープは元々「Big Things」があった町。  だが、そこにあったBig Bullは、老化で約5年前撤去されたようだ。  オープンした当時お土産屋やビーフに関する展示があったようだったが、集客力があまりなかった見たい。  同州南部海岸添えの方へ行くとボダラという町がある。  ボダラは牛が有名というよりチーズをはじめ乳製品が有名だ。  そこで同町に巨大なチーズ像がある。  だが、上記Big Bullと同じようにこれも老朽化し、今一般人がなかなか近づかないようになっているようだ。  しかし、ハイウェイから良く見えるらしいし、写真も撮れる。  そして、他の牛などに関連する「Big Things」は、以前に考えRooで取り上げられているものだ。  今週、話に触れたばかりのBig Cowsがある。  これらが他数件と一緒にビクトリア州の「Big Things」都であるフィリップ島にある。  同島のニューヘーブンという町にある。  (皮肉的にカウズ<牛の複数形>でありながらカウズという町がとなりにあってにもかかわらずそこで立てられなかった。)  そして、ほぼオーストラリア全国に渡って西オーストラリア州へ。  ここにはCow on the Cornerという巨大な牛がある。  このデカイ牛はブランズィック・ジャンクションという町にあってにも関わらず、日本と深い関係がある。  日本で発売されているLady Bordenアイスクリームが元々この地域に作られて1990年代以降輸出された。 Birchip (includes Big Mallee Bull footage)

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    Reminiscing: The First Time Australia Mattered in Kangaeroo’s Japan

    Kangaeroo has lived in Japan since the late ’80s, just as the Showa Era (reign of Emperor Hirohito from 1926-1989) drew to a close. Japan back then had possibly an even stronger fascination with English than it does even today, especially as it was far less accessible in a slower, less connected world. But English and overseas meant America and Japan had an obsession for the United States. Occasionally, news would filter through from other powers, such as then recently reunited Germany, France, Italy, Britain and the crumbling Soviet Union and Russia. It was rare, pretty close to unheard of, really, for Australia to attract much attention in a Japan…

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     現在日本マクドナルドが全国で「世界の★★★マック」キャンペーンを実施中で8月下旬からオーストラリア風のAussie Deliバーガーを発売することになっているが、そのオージー・デリがオージーらしくない上にオーストラリアのマクドナルドで販売されたことがない。  「Deli」バーガー類が2004年から2010年の間マクドナルド・オーストラリアのメニュにあったが、今回販売されるAussie Deliとそっくりな物はなかった。現在のメニュでも、マクドナルド・オーストラリアでは似ているものがない。あると言えば、ブレークファーストメニュのボストン及びニューヨーク風ベーグルしかない。  日本マクドナルドの「世界の★★★マック」キャンペーンでは、Aussie Deliがこのように説明されている『「オージーデリ」は、ふっくらとしたスチームバンズに、オージービーフを使用したパストラミビーフをたっぷりとサンドしました。イエローマスタードソースと香味野菜のソースがビーフの旨みを最大限に引き出した、オーストラリア生まれのおいしさです。』  「オーストラリア生まれのおいしさ」というが、豪生れのはオージービーフとAussie Deliというネーミング以外、中身が少しでもオーストラリアらしくない。Aussie Deliの中心素材であるパストラミビーフはもともとヨーロッパなどで食べられて北米で人気になったが、オーストラリアで決して広く食べられていると言いえない。オーストラリアでは絶対にサンドイッチやバーガーの主流材料ではない。  なので、名前がAussie Deliとは言え、オージーの中身が使われているビーフにしか過ぎない。  だが、Aussie Deliが全くオージーらしくないことを別にしておいて、今昔オージーらしいバーガーがオーストラリア・マクドナルドが実際に販売している。  それがかつて販売したMcOzというハンバーガーだった。  そのハンバーガーの中身にはオーストラリアらしいハンバーガーに欠かせない素材であるパイナップルかビーツやタマゴにBBQソースがあった。  典型的なオージー・バーガー風味だ。  このバーガーの復活版と言って良いほど似ているものが今、ロンドンオリンピックに伴っているキャンペーンメニュに含めている。そのキャンペーンメニュの目玉がSydney Stackというハンバーガーがあり、McOzと同じようにオージーバーガーっぽい上記の素材は全部入っている。これらのバーガーこそが本格的なオージーマック味だ。  マクドナルドが本格的なオージー食を日本に提供しようとしていないかもしれないが、それにも関わらずオージー英語に興味ある方にとって面白いことかもしれないのがストライン(オージー英語)を取り入れている例が見える。それはブレークファーストメニュのAussie Brekkie Wrapだ。  実は、マクドナルドがオージー英語だけでなく、英語全体に影響を与えている。もともとマクドナルド社がカフェがマックカフェなどと呼ばれているように自社ブランドの商品名などに「マック」をつけることがあった。そこから「マックワード」が出来た。一つの例として、大手の建築会社がハンバーガーのように量産された大型の分譲住宅がマックマンションと呼ばれている。  また、低賃金、待遇劣悪、マニュアルに沿うだけの単調で将来性のない仕事がマックジョブと呼ばれてる。  言語に与えた影響がマクドナルド名にまで影響が及んだ。オーストラリア英語ではマクドナルドが一般にMaccasと呼ばれている。マクドかマックで日本語で場所によってマクドナルドの呼び名とが違うということは英語圏をはじめ世界中で見られる面白い現象だ。  下記の表では、世界ヵ国のマクドナルドの呼び名を掲載している

  • 巨大カモノハシ「ゴジラ・プラッタプス」が豪で発見

     現代の倍以の大きさだった「ゴジラ・プラッタプス」5百万から1億1500万年の間前に巨大な歯付カモノハシが豪などに生存した、と豪古生物学者が11月発表した。  オーストラリアの数多く独特な動物の中では、カモノハシが最も変わっているかもしれない。  ビーバーの尻尾にモグラの胴体と鴨の鼻・口だけでなく、哺乳類のように母乳を与えながら子供が爬虫類や鳥類など同様に赤ちゃんを卵で産む「単孔目(たんこうもく)」動物である。  この目は、カモノハシとオーストラリアのハリネズミであるechidnaしかないです。  今のカモノハシは歯がなく餌等を圧力で殺して食べるが、「ゴジラ・カモノハシ」は、歯があって、小さな動物や虫類などを噛んで食べた、と同学者がいう。  新しく発見した「ゴジラ・カモノハシ」の本当の名前がObdurodon tharalkooschildだ。身長が約1メートルまで伸ばされ、現代カモノハシの約倍。この大きさの差によって学者たちが「ゴジラ」という名前を冗談で付けた。 Giant toothed platypus roamed Australia