日本中がコアラフィーバーになったのはなぜ?

Why Did Japan Go Koala Crazy?

When six Australian koalas arrived in Japan on 25 October 1984, they were treated like visiting royalty. More than 100 journalists crowded Narita Airport, their flight had a special koala compartment, and police escorts accompanied them to their new homes.

1984年10月25日、オーストラリアから6頭のコアラが日本にやって来ました。成田空港には100人以上の報道陣が詰めかけ、専用スペースを設けた特別便で到着。動物園までの移動にはパトカーが先導するという、まさにVIP待遇でした。

But the real madness began when the public finally got to see them. At Nagoya’s Higashiyama Zoo, 11,200 people came on opening day. On the first weekend, 38,000 visitors descended on the zoo.

People queued for hours just to catch a glimpse of an animal many had previously known only from pictures.

本当の熱狂は、一般公開が始まってからでした。名古屋の東山動植物園では初日に1万1,200人が来園。最初の週末には、なんと3万8,000人が押し寄せました。それまで写真でしか知らなかった動物をひと目見ようと、何時間も行列に並ぶ人々が続出したのです。

And Japan didn’t stop at looking. A nationwide competition chose the koalas’ names: Tomtom and Tam-tam in Tokyo, Mokumoku and Korokoro in Nagoya, and Hayato and Nemunemu in Kagoshima. Record shops stocked koala songs, shops created special displays, and a bank even launched “Koala Savings”. The craze had escaped the zoo and entered everyday life.

熱狂は動物園の外にも広がりました。全国公募で名前が決まり、東京は「トムトム」と「タムタム」、名古屋は「モクモク」と「コロコロ」、鹿児島は「はやと」と「ネムネム」。レコード店にはコアラの歌が並び、店頭には特設コーナーが登場。銀行まで「コアラ預金」を始めました。コアラは動物園の人気者を超え、暮らしの中に入り込んだのです。

The timing was extraordinary. Lotte had launched Koala’s March in March 1984, inspired by news that koalas were coming to Japan. The biscuits and the real animals arrived in the same year, reinforcing each other’s popularity. Australia had sent six small marsupials; Japan had created a national phenomenon.

このブームを後押ししたのが、ロッテの「コアラのマーチ」です。発売は1984年3月。コアラが日本にやって来るというニュースが、商品名やコンセプトのヒントになりました。本物のコアラとお菓子が同じ年に登場し、人気を高め合ったのです。オーストラリアからやって来たのは小さな有袋類6頭。それが日本中を巻き込む社会現象になりました。

Forty-two years later, the queues have faded, but the connection remains. The koala craze began as entertainment, yet it helped turn a distinctive Australian animal into a familiar part of Japanese life — and a lasting symbol of affection between the two countries.

Incidentally, I live near Tama Zoo and first visited more than 30 years ago. Koalas were still fresh in people’s minds and the zoo heavily promoted the marsupial’s presence. I bought a meat pie at the zoo. It had been the first one I’d had in years (and not overly authentic). There are still decorations around the city dating back to the koalas’ heyday, but now people are far more blase. Few visit the Koala House and it seems a pretty pathetic place for the poor animals to spend their entire lives. They still get the VIP treatment in some ways though, with the zoo maintaining a eucalypt forest just for its koalas and the Kichu Forest Cooperative in Wakayama running a dedicated gum tree operation to feed them.

Report Looking Back At Koala Fever

Koala Fever!

Koalas Arriving At Higashiyama Zoo

Public Domain Footage Of The Koalas Arriving At Tama Zoo

NHK archive report with the same footage.

Report On The Koala House At Tama Zoo

More About…

「Action for KOALA みんなで守ろう!コアラとコアラのくらす森」を開催しました | 東京動物園協会

Cop A Gander At These Rippers Too...

  • | |

    The Multi-Function Polis: 日本の新型都市をオーストリアで建設計画

     それほど遠くない昔前、日本が「日本の新型都市」をオーストラリアで建設する計画があったのは知っていた?  その都市はサンフランシスコのジャパン・タウンかロサンゼレスのリットル・トーキョーのような日本人や日本が大きく影響与える町の一部なところではなく、日豪政府が合同で運営する新しい都市を一から作ろうという大きな計画だった。また、その都市は当時の最先端技術を全面的に活用しようという予定だった。これはマルチ・ファンクション・ポリス(MFP)という都市だった。   オーストラリア政府が1980年代の半ば頃日本政府にMFP計画を発案した。当時、白豪主義などでずーと避けようとしたアジアに対して近づこうと豹変したオーストラリア政府の考えだった。日本がプラザ合意直後円高が続き40年間に及ぶ経済成長が絶好調に進みさらに一層景気が発揮するところだった(その「発揮」がバブルだということは後になった分かったが当時は「ジャパニーズ・ミラクル」として見られたのは忘れちゃいけない。)  日本が半導体などの世界的なリーダーであったので最先端技術及びその都市のブレーンなどを供給し、オーストラリアが場所を提供すると両国が合同で資金を出し、合同で運営する都市という計画だった。両国が計画に関する協議などが進み、候補地になるためオーストラリア各地で激しい競争を行い、最終的に南オーストラリアの首都であるアデレード市の郊外で作ろうとした。  しかし、オーストラリア国内での反発が激しかった。当時まだ潜在する反日感情が沸き、表でも与党党首だったアンドルー・ピーコック氏や復員兵が構成するRSL会長のアルフ・ガーランド氏を先頭に「あの都市がアジア人の居留地しかならん」など、反MFP計画勢が計画の反対を示し、なかなか進めなかった。  結局、時間が経つと共にオーストラリア政府の動きが鈍くなる。1980年代後半オーストラリアが深刻な不況に落ち、バブル絶好だった日本がその半日感情を考慮し強い後押しを控えた。最後に、反対の声が強すぎ、バブルが破壊し、計画が元通りで進めなくなって今では忘れられている日豪関係のエピソードのひとつである。  ちなみに、連邦政府がMFP計画を断念したけど、1998年に南オーストラリア州政府が独自で同計画を部分的に使いMFPの候補地でMawson Lakesという新型地域を建設した。でも、もう日豪合同都市という夢が絶望となって、日本でもオーストラリアの連邦(国)政府のいずれも関係なかったけどね、、、 この話しをさらに読みたいなら考えRooが下記のサイトをお勧めします。 マルチ・ファンクション・ポリス(MFP)(English) グローバリゼーション下の国際協力政策 ――MFPの事例――(日本語)

  • |

    オーストラリアの植物が日本の庭を変える? 沼ノ上農園を訪ねて

    How Australian Plants Found A Home At A Century-Old Japanese Nursery オーストラリア原産の植物「オージープランツ」が、日本のガーデニング愛好家の間で注目を集めています。その魅力を発信している園芸店のひとつが、埼玉県さいたま市南区にある沼ノ上農園です。 先日、浦和PARCOで開催された期間限定ショップを訪問し、花屋のせがれのジュンさんとりょうたさんにお会いしました。そこで改めて感じたのは、オーストラリアの個性的な植物が、日本の園芸文化に新しい可能性をもたらしていることでした。 沼ノ上農園は1912年創業。100年以上にわたり地域の園芸を支えてきた老舗です。季節の花苗や観葉植物に加え、近年はオーストラリア原産の植物にも力を入れています。 代表的なオージープランツには、独特の花姿が印象的なバンクシア、個性的な葉や花を楽しめるグレビレア、そしてカンガルーの前足を思わせる花を咲かせるカンガルーポーなどがあります。 日本でおなじみの草花とはひと味違う姿や質感が魅力です。オーストラリアの多様な自然を、自宅の庭やベランダで楽しめるのも人気の理由でしょう。 オージープランツを日本で育てる オーストラリアの植物は、原産地の環境に適応して進化してきました。そのため、日本で育てるには、それぞれの種類に合った管理方法を知ることが大切です。 例えば、バンクシアやグレビレアの多くはリン酸を過剰に与えることに弱い性質があります。水はけのよい土や適切な肥料選びも重要ですが、必要な条件は種類によって異なります。 沼ノ上農園では、オージープランツを中心としたオンライン販売に加え、植え替えや日常の管理方法も紹介しています。植物を販売するだけでなく、購入後に育てるための知識も提供しているのが特徴です。 こうした取り組みは、日豪交流の身近な一面ともいえます。オーストラリアの植物を日本へ紹介し、日本の気候や栽培環境に合わせて育てる知識を広げていく。園芸を通じた交流には、そんな実践的な価値があります。 YouTubeで広がる植物の楽しみ 沼ノ上農園の公式サイトからは、YouTubeチャンネル「花屋のせがれのジュン」も紹介されています。 ジュンさんが寄せ植えのコツやオージープランツの育て方を解説しており、園芸初心者にも参考になる内容がそろっています。農園に入荷した植物の紹介や、生産者から教わる管理方法なども見どころです。 珍しい植物を見つけても、育て方がわからなければ購入をためらってしまうもの。動画で特徴や管理方法を確認できれば、初めて挑戦する人にとっても心強いでしょう。 100年以上続く園芸店の経験と、オンラインショップや動画による情報発信。その組み合わせが、オーストラリアの植物をより多くの日本の人々に届けています。 植物とアートが描く未来 今回の訪問は、10月10日に始まった浦和PARCOの「ART & CULTURE DAYS」とも重なりました。 会場では「Botanical Ruins(植物の遺構)」をテーマに、オージープランツと廃材を組み合わせたアート作品が展示されました。建築資材や古びた構造物の隙間から植物が再び成長する、数百年後の風景を想像させる作品です。 トラッシュアーティストの草野真也氏による「紡騎(つむぎ)-Suture Steed-」では、再利用した素材で構成された馬の造形に、オージープランツや枝物が取り入れられています。 人間が使い終えたものと、生命力を持つ植物。その組み合わせは、自然の再生や資源の再利用について考えるきっかけを与えてくれます。 沼ノ上農園のポップアップショップは10月10日から12日までの3日間限定でしたが、ART & CULTURE DAYSは10月25日まで開催されています。「紡騎」の展示は10月13日までで、「Botanical Ruins」は会場の指定エリアで引き続き展開されています。 オーストラリアの植物が、単なる装飾ではなく、現代アートの一部として新しい表現を生み出している点も興味深いところです。 植物から始まる日豪交流 日豪関係というと、貿易や外交、観光、スポーツなどを思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、園芸もまた、両国をつなぐ身近な接点のひとつです。 オーストラリアの植物を日本で育てるには、その姿を楽しむだけでなく、植物ごとの性質や栽培環境を理解する必要があります。専門知識を持つ園芸店や生産者の経験が、その橋渡しをしています。 浦和PARCOのポップアップでジュンさん、りょうたさんとお会いし、植物について話をする。オンライン動画で育て方を学ぶ。そして、気に入った植物を自分の庭で育ててみる。 そんな小さな体験の積み重ねも、オーストラリアと日本の文化的なつながりを育てていくのではないでしょうか。 オージープランツが日本の庭に根を張るように、日豪の交流もまた、身近なところから広がっていきます。 オーストラリアの故郷につながる植物、Proteaflora 今回のポップアップショップでもうひとつうれしかったのが、オーストラリアの植物専門業者 Proteaflora(プロテアフローラ) の植物が販売されていたことです。 Proteafloraは1974年に創業し、プロテアをはじめ、バンクシアやワラタなど、ヤマモガシ科を中心とする個性的な植物を扱っています。拠点はビクトリア州のダンデノン丘陵に近い、モンバルクのオールド・エメラルド・ロード204番地です。 エメラルドは、私が育ったベルグレーブからもほど近い場所。そんな身近な地域につながる植物が、遠く離れた埼玉の園芸店で販売されているのを見て、特別な感慨がありました。 植物は国境を越え、育てる人や楽しむ人をつないでくれます。オーストラリアの植物を専門に育てる企業と、日本でその魅力を伝える沼ノ上農園。そのつながりは、日豪交流の意外で身近な一面を感じさせてくれました。 私にとっては、珍しい植物を見つけたというだけではありません。日本で、ふと故郷の近くを思い出させてくれるものに出会えた、うれしい瞬間でした。 詳しくは Proteaflora公式サイト、会社紹介、栽培情報・問い合わせページ をご覧ください。 花屋のせがれのジュン最新作 沼ノ上農園関連

  • |

    日本語が大きく影響を与えた豪州言語

    オーストラリアでは、数少ないながら日本人・日系人の影響が昔からあった。19世紀からでも、日本人を中心に西オーストラリア州のブルーム市では、多くの日本人が真珠取りに活躍したのがある程度知られているが、そこで生まれた言語の貢献についてはそれほど知られていないかもしれない。

  • |

    ‘You’re Not Taking the Kingswood’…But Japan Did for a Little While

    On this day 70 years ago, Australia launched a domestic automaking industry at Fishermen’s Bend in Melbourne to produce Holden cars. Not many outside Australia that the Great Southern Land once produced cars, and perhaps even fewer still are aware that Oz exported some models to Japan. These weren’t cars assembled in Australia and shipped to the world’s then second-largest car market (as would happen in the late 1980s and 1990s, notably with the Subaru Outback). They were cars made with the intent of attracting Japanese consumers. Ironically, one of the cars marketed was the Mazda Roadpacer, a car slightly adapted from an iconic Australian car, the Holden Kingswood. Holden…

  • | |

    Why Hasn’t Australia Produced a Professional Sumo Wrestler?

    なぜオーストラリアから大相撲力士は誕生していないのか? Australia has produced Olympic wrestlers, world champions and elite athletes in almost every sport imaginable. And walking on any Aussie city street, you’d reckon there’s plenty of decent candidates for a sport demanding a massive girth. Yet one Japanese sport has remained out of reach. Why has no Australian ever competed in professional sumo? オーストラリアは、オリンピック選手や世界チャンピオンなど数多くのトップアスリートを輩出してきました。しかし、日本の国技・大相撲だけは例外です。なぜ、オーストラリア出身の大相撲力士はいないのでしょうか。 A Sport Unlike Any Other 特別なスポーツ Professional sumo is much more than a sport. It is a centuries-old way of life, built around strict traditions, communal living and total dedication to a sumo stable. Becoming a professional rikishi means embracing an entirely new culture. 特別なスポーツ 大相撲は単なるスポーツではありません。 何百年も受け継がれてきた伝統や共同生活、厳しい規律の中で成り立っています。 力士になるということは、新しい文化そのものを受け入れることでもあります。 The Door Is Narrow 狭き門 For…

Leave a Reply

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.