Unknown Nichigo

Learn more about the lesser-known aspects of the Japan-Australia relationship.
日本とオーストラリアの関係に隠れた、あまり知られていない側面についてもっと知ってみよう

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    Bugger me, Bob! 豪州元首相の豪俗語が外交的な事件になりかけた頃

    オーストラリア元総理大臣であったボッブ・ホーク氏は、最近日本から勲章を受けたが、1980年代初来日したオージー英語によっての時激ヤバ「事件」になりかけたこと、と豪州オンライン・ニュースサイトnews.com.auが今週報道した。 今週勲一等旭日大綬章を受章した同氏は、1983年から1991年の間豪首相であり、その間4回も日本を訪問した。  労働組合出身のホーク氏が1回目来日した時当時有名だったオーストラリアの過激的な組合活動について聞かれた。ホーク氏の返事は「騙されんぞ」だった。しかし、当然日本語ではなくオージー英語でその答えを出した。それは「They won’t play funny buggers」という表現だった。  問題はbuggersという言葉だ。オージー英語及びイギリス英語ではbuggerが「やつ」とか「野郎」などの意味がある。しかし、もう一つの意味は英語圏諸国が中心となるコモンロー下の犯罪buggeryを起こす者の意味もある。Buggery罪は、「肛門性交行為」のことだ。  news.com.auによると、ホーク氏の「They won’t play funny buggers」が日本語に通訳された時にオージー英語訳の「騙されんぞ」や「変な振る舞いをする」ではなく本来米語の意味で「面白い男性同性愛者」と訳されたといい、在日オーストラリア大使館がまいていたという。  この話は本当かどうか分からないが考えRoo.comのようなサイトを見ればこのようなオージー英語かストラインのミスがないだろう。

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    ハーバーブリッジ80周年

    シドニー、いや、オーストラリア全体の象徴ひとつであるは、今週開通80周年を迎えた。  ハーバー・ブリッジの建設は約10年かかって、開会式ではニューサウスウェルズ州知事ジャック・ラングの先に右翼団体のメンバーがリボンを来て馬で逃げたという事件から歴史がちょっと暗いスタートで始まったが、以降ハーバー・ブリッジがオーストラリアの誇りとなり、今でもシドニーの人々にとって大きな存在感を持つ。  建設当時から1967年までシドニーも最も高い建物であった上に今でも同市の最長建物である。  交通・環状道路などだけじゃなく、観光スポットとして有名であり、2000年のシドニー五輪の顔をはじめ、ハーバーブリッジ・クライム(よじ登る)及花火の打ち上げなどでも世界中に幅広く評価されている。 Sydney Harbor Bridge (English) 豪キャブラリー:Coathanger Happy Birthday Harbour Bridge

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    Australia Day賛否両論

    オーストラリア・デーだよ!1月26日は、ちょうど224年前この日にオーストラリアを(刑務用の)植民地とするイギリス人が今のシドニーの東部にあるボタニー・ベイに着いた。今、全国がその日を記念として、オーストラリア全体を祝う一日と位置付けている。まぁ、日本で言えば建国記念日見たいなもんだ。  しかし、みんなが喜ぶ訳でもない。  豪原住民にとってヨーロッパ系の人々がオーストラリアに来たことが自分たち国を失うことの始まりになり、多くの原住民にとってこの日が「侵略日」とする。  また、この日を機に「国家主義」と「愛国心」を区別つかない人がこの10数年増えているような気がする。オーストラリア・デーは当然「旗日」であり、この日に国旗は誇りを持ってはる人が多い。しかし、多くの人にとってこれがマイノリティに対して嫌味を示す機会となっている。これは「国家主義」、要する「俺の国がお前の国より偉いぞ」という意識が働いている現象ではないか?  考えRoo自身にとってこのようなことが心外だ。考えRooはオーストラリアが素晴らしい国だと思い、愛国心溢れている。日経オージーをはじめ、世界中のほとんどの国から渡豪して社会に貢献して豊かな多様性を与えてからこそ立派な国となった訳だ。  しかし、元々誰の国だったのかを忘れちゃいけない。白人由来以降オーストラリアの原住民が恐ろしい体験を数えきれないほどさせられた。元の状態にに戻ることが無理でも、今からうまく共栄共存できるようにすべきだ。 Happy Australia Day!

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    豪政府の完全敗戦だったエミュー大戦争

    オーストラリアが独立した1901年1月1日時点には、南アフリカにてボーア戦争に参戦し、現在に至るまでさまざまな戦争や紛争に戦い、決して「平和的」な国とは言い難い。20世紀に渡って第一次・第二次世界大戦をはじめ朝鮮戦争、マレーシア紛争、インドネシア戦争、ベトナム戦争に参戦した上、21世紀になったらアフガニスタンとイラク戦争にも参戦した。軍事力はそこそこ評価されるが、参戦した戦争の中ではオーストラリア軍がものすごく恥をかかされたのは特に一戦が目立つ。それは1932年のエミュー大戦争だった。おまけ、オーストラリア軍に対して戦勝した相手がエミュー、、、国家鳥だ。  事態は今からちょうど79年さかのぼって世界恐慌下で起きた。戦場が西オーストラリア州マーチソン地区だった。いつもより熱かった夏によりオーストラリア国紋章にある国家鳥エミューの繁殖がさかんとなり、農産物を大量摂取することになった。すでに経済的に苦しんでいる農家を中心に事態に対して連邦政府(国)に対策を実施するようにプレッシャーをかけるようになった。  オーストラリアでは政治的権力が今も昔もある農家を政治家が無視できない。選んだ対策はオーストラリア軍の動員だった。  1932年11月上旬のある朝、王立豪州大砲部隊約50兵がG.メレディス大佐下でおよそ20万羽のエミューと戦う。部隊は、トラックに取り付けられた機関銃で国家鳥と向き合う。  エミュー群は池で水を飲もうとしたところ軍が突然開戦し、機関銃で全開鳥に向かって打つ。  しかし、エミュー群が広げて鳥があっちこっち走り回って、打たれた鳥の数はほんのわずかしかすぎなくて、ほとんどのエミューが見事に逃げた。  同日午後、部隊が再び集合し、もう一回攻撃をしようとした。しかし、機関銃の音でまた鳥が走って逃げて、結果的に何万羽の鳥中、殺されたのが数羽しかなかった。  豪軍部隊が撤退し、エミューが思う存分農産物を餌にし続けた。  約1週間後、メレディス大佐がまた先頭に再び豪軍がエミュー群と向かって機関銃で乱射したが、また効果がほとんどなく、もう1回エミュー群のほとんどが逃げた。2回戦って約2万弾を使用した結果エミュー数百羽しか殺せなかった。  「この鳥のように弾に対しての力があった部隊があれば世界中のどんな国の軍隊に対して争える。機関銃に対して戦車並みの力がある」とメレディス大佐が敗戦を認めた。  これが起きている時、遠いキャンベラの国会ではエミュー大戦争に対して大騒ぎになった。国防相(当時)ゴードン・ピアス氏が豪軍敗戦を認めて、戦場から撤退の命令を下した。それに対してエミューの反応が未だに不明だが、以降数十年同地区では農家の大迷惑をかかったのは間違いない。  敗戦後、農家が1948年まで3回も連邦政府のエミュー対策を要請したが1932年の敗戦を背景に毎回拒否し、エミューの完全勝利となった。  

  • Aussies Exposed to Radiation in Japan After Hiroshima

    Not long after the end of World War II, John Collins would sit and eat sandwiches at Ground Zero in Hiroshima, then sift through the rubble left from the city subjected to the world’s first nuclear attack for items he thought could become historically valuable. 戦後間もなく、ジョン・コリンズ氏は、広島市の原爆中心地に座ってサンドウィッチを食べてがれきの中に歴史的に価値のあるものを探し回ったことがあった。 Collins was then a 19-year-old sapper with the Australian troops making up the bulk of the British Commonwealth Occupation Forces (BCOF) stationed in Japan from February 1946 to April 1952. 当時、コリンズ氏は、1946年2月から1952年4月の間で英国連邦進駐軍(BCOF)の約9割で構成したオーストラリア軍の一人だった。19歳だった。

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    「ラスト豪先住民言語スピーカー」は日本人だった

    国立国語研究所学者角田太作氏は、日豪関係に対して長年に渡ってとてもユニークな貢献をしてきている。  同氏は、オーストラリア先住民であるウォロンゴ族が使っていたウォロンゴ語が話せる世界中で唯一の人である。幸いに、同氏は言語学者であり、ウォロンゴ語の辞書を作り、ウォロンゴ族の人々にその言葉を必死に教えようとしている。  最近、オーストラリア全国及びアジア・太平洋地域に向けて放送しているラジオ局ラジオ・オーストラリアが角田氏をインタービューし、ウォロンゴ語の例も話し中に出ている。  角田氏に脱帽します。 Japanese linguist helps revive an Aboriginal language (English) 角田氏のインタービュー(英語)

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    先住民がカカドゥ国立公園をさらに安全化

    大、大、大好きの編集者である都築響一のフェースブック・ページから得た情報だが、オーストラリア北部ノーザン・テリトリーにあり、世界遺産であるカカドゥ国立公園内クーンガラ地区がが世界遺産指定エリアに入り永遠に守れるようになる。  日本発信旅行ブログOnTimeによるとカカドゥは、ウランが大量にあり、オーストラリア経済に有力ある鉱業がどうしても掘り出したがっているが、先住民のジェフリー・リー氏がずーとクーンガラを守って行こうとした。  詳しくはOnTimeへ(日本語)

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    日本語が大きく影響を与えた豪州言語

    オーストラリアでは、数少ないながら日本人・日系人の影響が昔からあった。19世紀からでも、日本人を中心に西オーストラリア州のブルーム市では、多くの日本人が真珠取りに活躍したのがある程度知られているが、そこで生まれた言語の貢献についてはそれほど知られていないかもしれない。

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    Lest We Forget Japan’s Role in Creating the ANZAC legend

    ANZAC Day, April 25, has become an almost holy day on the Australian calendar in the early 21st century as the country celebrates the efforts and sacrifices of its military personnel since it first went to war as a nation at Gallipoli in 1915, but few remember Japan was an ally that played a vital role in creating the ANZAC legend.  21世紀初期現在、ANZAC Day(4月25日)がオーストラリアでは、1915年に国として初めて戦争を体験したガリポリをはじめ復員兵などの努力や犠牲を称える聖なる日のような存在となっているが、そのANZAC伝説づくりに味方としての日本の大きな貢献がほとんど知られていないのだ。