• Strange Strine - ストラインと日本語

    Fleeing Kangas Give Japanese Drivers a Roo-ed Shock

    Four kangaroos escaped from a farm in the Chiba Prefecture town of Tomisato, east of Tokyo, on Friday, hopping wild on the roads for a few hours before being captured unharmed, police said. The kangaroos were being bred by a Tomisato-based trading company. A keeper apparently forgot to lock the roos’ cage on Thursday night and the marsupial marvels decided to take a look around the local surroundings. None of the kangaroos were injured during their brief foray into freedom. The owner of the farm where the kangaroos were being kept apologized. カンガルー4匹逃亡 投稿者 samthavasa

  • Strange Strine - Strine Biz - Strine Why Atorkin/Australian Methods of Speech/豪語の話し方

    ビール・グラス名称だけで嫌になちゃうオージー英語

    オーストラリアではビールがよく飲まれているし、ある人にとって「ビール飲みオーストラリア人」が国民的な象徴まで言っても過言ではない。  なので、ビールを頼むのは簡単だと思うだろう?A glass of beer, pleaseやTwo glasses of beerなどのように言えば良いと思っても当然だと思う。しかし、ちょっと甘い。(頼むときに、オージー英語ではpleaseとthanksがほぼ自由に入れ替わりが出来ることを別において置いて、、、)そのように頼めば確かにビールは出るが場所によってそのビールのサイズが大きく異なる可能性が高い。  なぜかというと、オーストラリアの州によってビールを入れるグラスの名称が違う。時には、その違いが大きい場合もある。「Glass」という名称も使わないところもある。 「熱くなって一杯飲みたいな」と思ったら、ビール・グラス名称を覚えるのは面倒だろうので、下記のテーブルが各州のビール・グラスの大きさと名称を示している。参考になればripper, mate!

  • Strange Strine - Strine - Strine Biz - Unknown Nichigo

    The Multi-Function Polis: 日本の新型都市をオーストリアで建設計画

     それほど遠くない昔前、日本が「日本の新型都市」をオーストラリアで建設する計画があったのは知っていた?  その都市はサンフランシスコのジャパン・タウンかロサンゼレスのリットル・トーキョーのような日本人や日本が大きく影響与える町の一部なところではなく、日豪政府が合同で運営する新しい都市を一から作ろうという大きな計画だった。また、その都市は当時の最先端技術を全面的に活用しようという予定だった。これはマルチ・ファンクション・ポリス(MFP)という都市だった。   オーストラリア政府が1980年代の半ば頃日本政府にMFP計画を発案した。当時、白豪主義などでずーと避けようとしたアジアに対して近づこうと豹変したオーストラリア政府の考えだった。日本がプラザ合意直後円高が続き40年間に及ぶ経済成長が絶好調に進みさらに一層景気が発揮するところだった(その「発揮」がバブルだということは後になった分かったが当時は「ジャパニーズ・ミラクル」として見られたのは忘れちゃいけない。)  日本が半導体などの世界的なリーダーであったので最先端技術及びその都市のブレーンなどを供給し、オーストラリアが場所を提供すると両国が合同で資金を出し、合同で運営する都市という計画だった。両国が計画に関する協議などが進み、候補地になるためオーストラリア各地で激しい競争を行い、最終的に南オーストラリアの首都であるアデレード市の郊外で作ろうとした。  しかし、オーストラリア国内での反発が激しかった。当時まだ潜在する反日感情が沸き、表でも与党党首だったアンドルー・ピーコック氏や復員兵が構成するRSL会長のアルフ・ガーランド氏を先頭に「あの都市がアジア人の居留地しかならん」など、反MFP計画勢が計画の反対を示し、なかなか進めなかった。  結局、時間が経つと共にオーストラリア政府の動きが鈍くなる。1980年代後半オーストラリアが深刻な不況に落ち、バブル絶好だった日本がその半日感情を考慮し強い後押しを控えた。最後に、反対の声が強すぎ、バブルが破壊し、計画が元通りで進めなくなって今では忘れられている日豪関係のエピソードのひとつである。  ちなみに、連邦政府がMFP計画を断念したけど、1998年に南オーストラリア州政府が独自で同計画を部分的に使いMFPの候補地でMawson Lakesという新型地域を建設した。でも、もう日豪合同都市という夢が絶望となって、日本でもオーストラリアの連邦(国)政府のいずれも関係なかったけどね、、、 この話しをさらに読みたいなら考えRooが下記のサイトをお勧めします。 マルチ・ファンクション・ポリス(MFP)(English) グローバリゼーション下の国際協力政策 ――MFPの事例――(日本語)