Ringo’s Ring-in, Awesome Aussie Anime Highlight the Fab Four’s Oz Oddities

Beatles DidjeridooJust as the Beatles created an iconic scene with their 1966 arrival in Tokyo wearing traditional Japanese happi coats, so too did the Fab Four make waves when they toured Australia two years earlier at the height of Beatlemania and establishing a quirky relationship with Down Under at the same time.
 羽田空港にてハッピー姿で飛行機から降りたビートルズが日本で1996年講演の代表的な場面となった同様、その2年前オーストラリアに訪ねた時も「豪州らしい」イメージがあると同時に同バンドがオーストラリアとの一味違う関係を築いた。
Australia’s archetypical Beatles image features the Fab Four standing around while holding didjeridoos, an indigenous Australian instrument that Ringo Starr on the far left of the picture appears to be tackling with greater fervour than bandmates Paul McCartney, John Lennon and George Harrison.
 その典型的な「オージーっぽい」場面は、1964年6月に撮られた4人が豪州先住民の楽器であるディジェリドゥを吹いている写真だ。立派な写真だが、問題が一つあった。
It’s a great pic, but the only problem is that Ringo’s involvement in the Beatles’ June 1964 antipodean jaunt had been curtailed by illness and his place at the drums was taken by a ring-in called Jimmie Nicol, whose 11-day stint with the band appears to have created lifelong upheaval. Ringo fell ill on June 3, 1964, just days before the Beatles were due to play concerts in Australia as part of the band’s first world tour. Nicol was quickly roped in to take over and played eight gigs in Ringo’s place until the mop-topped regular could return. His figurative 15-minute stay finished, Nicol returned to obscurity, but not before taking part in the only five-member Beatles news conference ever given, which took place in Melbourne on June 14, 1964, upon Ringo Starr’s recovery and arrival in Oz.

The Beatles with Jimmie Nicol (center) arrive in Sydney in June 1964.
The Beatles with Jimmie Nicol (center) arrive in Sydney in June 1964.
 写されているリンゴ・スターがビートルズの一員でありながら、オーストラリア講演初期頃リンゴがいなかった。病気で出演不可能だったリンゴの代わりに、急にジミー・ニコール氏という人がビートルズのドラマーとなった。後は苦い想いとなったらしいが、同年6月3日からリンゴがメルボルンに着く14日の間ニコール氏がビートルマニア絶好期真っ最中に同バンドのメンバーだった。リンゴがビートルズに戻った14日以降ニコール氏がイギリスに帰り、以降無名な人となった。が、1964年メルボルンで行ったビートルズ5人体制の唯一に参加した。
Nicol’s presence was a quirk of fate that started a somewhat left-field relationship with Australia, which surprisingly made the land Down Under an anime superpower then surpassing Japan despite Osamu Tezuka having made inroads into the world’s important markets with his cartoons. And this could be attributed to the Beatles.
 ニコール氏のツアー参加がビートルズとオーストラリアのちょっとした変わった関係の始まりだったかもしれない。その思わず成果の一つが、当時手塚治虫などが各国で日本のアニメが人気を越えてオーストラリアを世界的なアニメ大国にしたことだった。その今想像がつかない現象は、ビートルズのおかげだった。
Almost unknown in Japan despite running here possibly from as early as 1968, The Beatles cartoon series ran from 1965 to 1969 and was an enormous ratings hit in every country in which it showed. And nearly all of the 39 episodes in the series were produced in Sydney’s Artransa Studios, momentarily making Australian animation production a global leader.
Beatles Cartoon 上映したが今ほとんど知られていないカートゥーンが「ザ・ビートルズ」が1960年代後半世界中に大ヒットした。そして、全39編カートゥーンのほとんどがなんと、シドニーにあるアートランサ・スタジオで制作された。上映した1965年から1969年の間。視聴率が圧倒的に高かったカートゥーンのおかげでオーストラリアが制作のメンではアニメのグローバル・リーダーと言っても過言ではない。
Despite the enormous success of the Beatles’ 1964 tour of Australia, the band never played there again despite coming close in the 1966 ill-fated Far East tour fondly remembered in Japan for the happi coats, but also the scene of right-wing fanaticism that was ultimately instrumental in the Beatles deciding later that year to give up touring for good.
 1964年豪ツアーの大成功にも関わらずに度と同国でバンドとして講演することはなかった。来日した1966年の極東ツアーにもオーストラリアを取り入れる話もあったが結局あのハッピー姿の場面とフィリピンしか行かなかった。また、日本で右翼の猛反対などがあったからツアー自体を辞める決意に大きく影響を与えた。

The Only 5-Member Beatles News Conference (Melbourne, 1964)

The Beatles on YouTube

The Beatles in Australia

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    「やばいリンガル」Shout(叫ぶ)

     Shoutは、他の英語圏の国ではストレス解消法のひとつかもしれないが、オージー英語でのShoutは、お金に執着する人々にとってはストレスの素になる場合がある。でも、典型的なオージー英語の言葉の一つである。 A shout can be a stress reliever in other English-speaking countries, but a source of stress when used in Strine, particularly for the parsimonious. But a shout is also an archetypal Strine term.

  • Big smoke/都会

    big smoke Australian English A big city, especially Sydney or Melbourne, Australia’s two most populous cities. 日本語 都会。特にオーストラリアの最も人口が多い都市のシドニーとメルボルンに対して使われている。直訳すると「大きな煙」という意味。 Plain English A large city. Strine Dictionary

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    豪キャブラリー: Whacker

    Whackerは死語に近いオージー英語だが、あまりきつくない言い方として高齢者を中心にまだ使う場合はたまにある。Whackerは「あほ」や「お馬鹿さん」見たいな可愛いがりながら貶す言い方を示す。  ちなみに、whackは「叩く」という意味があり、「叩く人」がwhackerとも言える。大田舎(bush)へ行って車やオートバイなどをふざけて走り回ったりする人々がbushwhackerと呼ばれることがある(このような人たちはbushbasher=大田舎をボコボコにする人、という言い方もある。)  日本語の「バカ」か「アホ」と呼ばれたことと意味が同じでありながら、オージー英語ではWhackerと言われたら怒ったり、嫌がったりする人はいないと言っていいほど軽い気持ちを込めた言葉である。

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    豪産肉輸出成長は、、、らくだ!

    オーストラリアの野生動物と言えば、まずらくだ、、、と言い難いだろうが、実際に世界最大野生ラクダの数が最も多くの国が豪州であるだ。  元々らくだはオーストラリアにいなかったが19世紀イギリス植民地時代からインドから持ってこれて野生化し、数十年たったら環境問題を起こした。今、オーストラリアで野生ラクダが約100万頭がいると予想されている。豪の野生ラクダ頭数が約9年毎で倍増することも予想されている。  一方、ラクダの自然発祥地である中近東では、1960年代からラクダの数が急速に減り、ラクダ肉やミルクの重要が依然として高い。  オーストラリア産ラクダが昔から競駱駝(???、、、要するにレース用)のラクダの輸出があったが、2009年から肉食用のラクダ輸出が産業化し、急成長している。今年、およそ6000頭のラクダをサウジ・アラビアとアラブ首長国連邦を中心に中近東諸国へ輸出する予定だ。  オーストラリアでの野生ラクダの環境破壊が依然として継続が続くが、輸出により数が大幅に減る上に立派なビジネスチャンスを与えているので不幸中の幸いかもしれない。 参考: Australian Feral Camels Turning a Pest into Profit

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    メン・アト・ワークのメンバーが死亡

    1980年代全世界で大成功したバンドであるMen at Workは、一定の年齢のほとんどのオージーにとって特別な存在である。考えRoo自身も例外ではない。  メン・アト・ワークの現役時代がそれほど長くなかったが、1982年にオーストラリアで発売した「Down Under」が米国をはじめ世界中に大ヒットした。そして、1983年オーストラリアIIがアメリカズ・カップのヨットレースを優勝し、アメリカの132年間同カップの統治にピリオドを打った時に同曲がオーストラリアでまるで国歌のような存在となり、一気にメン・アト・ワークが国民的な英雄のような存在となった。(優勝した当時のオーストラリア雰囲気を説明すると昨年震災直後なでしこジャパンがサッカー女子ワールド・カップを優勝して全国がまるで一つとなって祝った感じが近い。当時豪首相だったボブ・ホーク氏が優勝に対した「今日、ボスが休ませてくれないとくそたれだ」と発言したのは有名な話。当時、高校生だった考えRooはヨットに全く興味ないにもかかわらず学校行く前に優勝した瞬間をラジオで聞き大喜びで祝った覚えがある。)  しかし、そのメン・アト・ワーク、いやオーストラリア全体にに対して大きなショックが起きたのは今年4月19日のことだった。「Down Under」の最も印象的な所だあろうフルートの部分のフルートを吹いたパーフォーマーであるグレッグ・ハム氏が突然死したとのことだ。現時点、心因が不明だが、アルコール関係だとうわさされている。  実は、メン・アト・ワークの黄金時代後ハム氏が色々苦労したようだ。1980年代で稼いだがその後それほど大きな実績がなく印税で暮らして時々演奏などをしたハム氏。しかし、「Down Under」がでて25年目いきなり「フルートの部分がオーストラリアの児童歌の盗作だ!」と主張するレコード会社が現れ、メン・アト・ワークを訴えた。客観的に見ればどうも似てないにもかかわらず2010年の判決ではメン・アト・ワークが敗訴し、ハム氏にとって金銭的及び評判にとっても大きな打撃を与えたそうだ。二人の父となったハム氏は、印税を失い弁護費を背負うようになったので「家を売れないと金がない」ということをいい、多くの知り合いが判決後のハム氏が「欝」「苦しいだ」という。  ちなみに、「Down Under」のおかげでchunderというストライン(オージー英語)が一時期世界中に有名な言葉となった。  ハム氏は、19日付自宅に訪ねた友人が倒れている姿で見つけたが既に死亡だった。58歳だった。 関連記事 Bugger me, Bob! 豪州元首相の豪俗語が外交的な事件になりかけた頃 豪キャブラリー: Chunder

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    シドニーの有名なビーチが真っ赤になり、、、

     シドニー市の有名な観光名所一つボンダイビーチを含めて同市内いくつかの海辺が27日紅藻類の分散により真っ赤となり、位置的に立ち入り禁止とされたことが地元News.com.auが報道した。  紅藻類が見たのは同日午前中の報告がはじめて、安全策として市内各自治体が海辺を閉鎖し、有害がどうかを緊急にテストが行なったようだ。  「ちょっと魚くさくて、ある人にとって発疹を起せるらしい」とボンダイ・ビーチライフセーバーブルース・ホップキンズ氏がいう。  同氏によるとボンダイ・ビーチの水が赤くなることははじめてではないが、極めて稀なこと。  ボンダイ・ビーチは、恐らくオーストラリアの最も有名なビーチだ。 Bondi and Clovelly beaches close as red algae moves in