• Indigenous Strine (Woiwurrung) - Strange Strine - Strine - Strine Biz - Strine Scribes - Strine Why Atorkin/Australian Methods of Speech/豪語の話し方 - Unknown Nichigo - ストラインと日本語

    先住民視野を中心としたCommonwealth of Australia

    考えRooがオーストラリアについてプレゼンをしましたので、その内容が以下の通りとなりました。コメントなどをぜひ送ってください。 今のオーストラリアの概要 * オーストラリアはラテン語で「南大陸」という意味 * 本土に加えてタスマニア島を含め数多くの島々で構成、面積はおよそ770万㎢であり、日本の約25倍ある * GDPが世界19位、一人当たりのGDPは世界9位 * 人口が2500万人弱、日本の約5分の1 * 住民の80%以上がヨーロッパ系の白人であり、その他にアジア人が約12%、先住民などが約2% * ヨーロッパ人在住が1788年から始まり、イギリスの刑務植民地として開拓された * 当時、イギリス法はオーストラリアを「無人」扱いだったが、先住民がそこですでに数万年間住んでいた オーストラリア先住民 * 昔、「アボリジニ 」として呼ばれた * まだ使われているが、「土人」という意味なので「先住民」、「原住民」、「ファースト・ネーションズ」や特定部族名を使うことが主流 * 先住民の定義は、植民地化以前にトレス海峡諸島民を含めてオーストラリア大陸及び周辺諸島に移住した人の子孫 * 現在、援助対象の場合を除き「先住民」認可は基本的に自己申告 * 植民地化当時人口が約300万人とされているが、今の先住民人口は約65万人であり、全体のおよそ2.8% ドリーミング * 先住民の宗教にあたるのは「ドリーミング、夢の時」 * 個人のすべての過去と現在と未来がつながっていると信じる * 各個人のドリーミングが違い、独特なものである * 部族の象徴でも、習慣でもドリーミングになる * 全ての知識が先祖から集まると信じる * 死後、名前を使用することが禁じられている * 死後、再び土と一緒になると信じる  * 宗教同様、多くの神話が部族によって異なった * 共通神話が「虹蛇」 * 虹蛇が創造神話の中心となっている、世界を創ったとされている * 全てのものが土と一緒になるため聖地が多い * 有名な例がウルル(エアーズロック)。聖地であるため、最近、2019年から登山禁止されることが発表 コロボリー * 踊り、音楽、仮装でドリーミングと交流する儀式 * 参加者が体に絵を描く * 原則として誰でも参加できるが女性などが禁止されたコロボリーもあった アボリジナル旗 * アボリジナル旗は先住民族の旗であり、オーストラリアの公式な国旗の一つ * 1971年にハロールド・トーマス(Harold Thomas)によってデザインされた * 黒は、先住民族の黒い肌の色を表す * 赤はオーストラリアの土の色であり、過去も未来を表す * 黄色い丸は生命源である太陽を表す 先住民部族 * 元々先住民は600以上の部族があった * 各部族に特有文化及び言語があった * 先住民言語の多くは絶滅したが、未だに120種類以上が使われている * ほとんどの先住民が英語を母国語としている * オーストラリア・アボリジニ英語が出来た 世界最長継続文化 * 先住民がオーストラリア到来以降狩猟採集社会となった * 未だに狩猟採集社会が北部のアーネム半島を中心に継続している * 継続している文化で世界で最も最長となっている * 最後の未接触部族が1984年にオーストラリア中央部にて発見された * 先住民のほとんどが遊牧民族 * ほんの一部を除けば、入植当時農業がほとんどなかった * 「領土」の感覚がなくて、部族の行動範囲がだいたい決まっても「所有」という感覚がなかった * 部族内戦争が多発したが、目的が主に限られた食資源と部族外女性を取るため…

  • Indigenous Strine (Woiwurrung) - Strine

    元オーストラリアン・オブ・ザ・イヤーが人種差別禁止条項を「豪憲法に」

     豪先住民であり2009年度オーストラリアン・オブ・ザ・イヤーミック・ドッドソン教授は、豪憲法に関する有識者会議の提言を支持し「人種差別禁止条項を豪憲法に取り入れるべきだ」、と12日付のシドニー・モーニング・ヘラルド紙が報道した。  ドッドソン教授は条項が「白豪主義の法的・政策的の死体を永遠に埋められるだろう」という。  今年1月有識者会議は豪政府に「憲法が人種・皮膚の色または種族的出身に基づく差別を禁止すべきだ」と提言した。  豪先住民の最も重要なリーダーの一人であるオーストラリア国立大学法学部教授であるドッドソン教授は初めてその提言を公の場で指示を明らかにした。  ちなみにオーストラリアン・オブ・ザ・イヤーというのは世界中に他の例が見ない賞である。毎年贈られる賞であり、その年オーストラリアに最も貢献した人物一人にに贈られる。独立した委員会が受賞者を決める。受賞者がオーストラリアの建国記念日となる「オーストラリアの日」1月26日に行い、大人気なイベントである。

  • Strine - Unknown Nichigo - ストラインと日本語

    ‘Single Men Only?’ – Early Japanese Migration to Oz 日本人の豪州への初期移民は「独身男性限定」?

    知られざる日豪関係のルーツ What You Didn’t Know about Australia-Japan Relations Japanese immigration to Australia in the 19th century differed to other parts of the Japanese diaspora.  19世紀、豪州への日本人移民は他の国での日本人移住と比べて少々違っていた。

  • Unknown Nichigo

    Acrobatic Start to Relations まさにアクロバティックに始まった日豪関係

    知られざる日豪関係のルーツ What You Didn’t Know about Australia-Japan Relations 日豪関係のルーツは、まさにアクロバティックに始まった。1867年に日本の曲芸団がオーストラリアを訪問した数年後(具体的な日付は不明。1871年という説もあれば、1874年という説もある)、Sakuragawa Rikinosukeという曲芸師がオーストラリア人女性と結婚して、豪州に移住した日本人として初めて記録された。 Japan-Australia relations started off by swinging into action – literally. First contact came in 1867 when a Japanese acrobatic troupe visited Down Under in 1867. A few years later (the exact date is unknown – some say 1871, others 1874), Rikinosuke Sakuragawa, an acrobat touring Melbourne with another troupe, married an Australian woman and they settled in Queensland, where their descendants remain today.