‘Single Men Only?’ – Early Japanese Migration to Oz 日本人の豪州への初期移民は「独身男性限定」?

知られざる日豪関係のルーツ What You Didn’t Know about Australia-Japan Relations

A 19th century Japanese pearl diver in Australia

Japanese immigration to Australia in the 19th century differed to other parts of the Japanese diaspora.

19世紀、豪州への日本人移民は他の国での日本人移住と比べて少々違っていた。

More than 90% of Japanese migrants to Australia before 1901 were men, nearly all of who were single. Japanese heading to the Americas were either married there, often to picture brides from Japan in North America, or moved to South America as families.

1901年以前にオーストラリアへ移民した日本人の90パーセントは男性であり、そのほとんどが独身だった。北米への移民では良く行われていた。写真婚による移住や、南米の家族型移民もなかった。

In Australia, though, Japanese men worked in the pearling or sugar cane industries, or harvested turtle, trochus and trepang in Townsville, especially, and Broome. Japan’s first consulate in Australia opened in Townsville in 1896. Nearly all of the few Japanese women in Australia at this time were karayuki, women sent overseas from Japan to act as prostitutes for Japanese laborers.

オーストラリアでは主にタウンズビルブルームという町で、日本人男性移民は真珠取り、農場での砂糖キビ栽培、亀、ニシキウズガイナマコなどの養殖をしていた。1896年にオーストラリアで初めての日本領事館がタウンズビルで開かれた。1896年当時、在豪日本人女性のほとんどはからゆきさんだった。

Australian independence from Britain and enactment of the White Australia Policy in 1901 virtually eliminated Japanese migration. There were about 4,000 Japan-born people in Australia at this time.

1901年にオーストラリアが英国から独立し、移民制限法(白豪主義)を執行した。これにより日本人移民はほぼ排斥された。当時、約4000人の日本生まれの人々がオーストラリアに在住していた。

Rules for Japanese were relaxed slightly through pressure from Britain because of the Anglo-Japanese Alliance formed in 1902. But the Townsville consulate closed in 1908.

1902年に日英同盟が調印され、イギリスの圧力により白豪主義が日本人に対して若干緩された。しかし、1908年タウンズビル領事館が閉鎖された。

Large-scale Japanese immigration to Australia effectively ceased. Several decades passed before it resumed.

オーストラリアへの日本人の大型移民は、この時点で事実上終了した。再開するのは数十年後の事となる。

Incidentally, in contrast to the male-dominated early Japanese migration to Australia in the 19th century, most Japanese moving to Australia in the 21st century are overwhelmingly young women.

ちなみに、日本人のオーストラリアへの移民は19世紀では主に独身男性だったのに対して、現在の21世紀の移住に関しては圧倒的に若い独身女性が占めている。

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Reference
Picture Bride
Trochus Maculatus
Trepang
Trochus
The White Australia Policy
Perceptions of the White Australia Policy
White Australia Policy
白豪主義
Japanese Diaspora
History of Immigration from Japan
からゆきさん
Karayuki-san

Cop A Gander At These Rippers Too...

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    豪キャブラリー: Chook

     チキン(鶏)はオーストラリア特有の鳥ではないが、chookという呼び方は独特なオージー英語だ。ちなみにchookがオージー英語で生むのはgoogy eggだ。また、コミュニティグループなどでよく行なわれるくじ引きを「chook raffle」と呼ぶ。由来はおそらく通常1等の賞品が冷凍チキンだったからだろう。なぜだか分からないが、chookは人のニックネームとしてもよく使われている。

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    Does Australia Celebrate ‘G’dayween’ Instead of Halloween?

     今日は10月31日なので、それが多くの人にとって「ハロウィーン」という意味他ない。  日本では近年ハロウィーンがだんだん大きくなっているようだが、今までどちらかというと子供やよっぽどアメリカに親密感を感じる人など一部を除いてほとんどの人にとってどうでもいいようなイベントだった。  オーストラリアも同様だ。今でもそうかな? 毎年、恒例の「オーストラリアでもハロウィーンがメジャーになりつつあるよ」と小売などを中心に言うが子供また小さな子供を持つ親以外ほとんどの人が気にしないという。   確かに、街中では飾りなどが見えるが、決した社会全体に大きなインパクトを与えるイベントと言い切れない。  ちょっと驚いたのは、今日付けのnews.com.au読者投票ではハロウィーンのお菓子配りである「トリック・オー・トリート」に対して圧倒的に反対派が多い。  ハロウィーン反対派の勢いが主に反米感情から生まれてくるという。  ちなみに、「ハロウィーン」が英・米語の「Hello(ハロー)」と関係ない。由来が「神聖化する」という意味のhallowだ。11月1日がクリスト教が諸聖人の日を称えるので、その前夜祭だった。なので、ハローの代わりに使われているG’dayをとってG’dayweenというのはないのだ!!!!

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    「果実の都」の象徴となるBig Fruit Bowl

     ニューサウスウェールズ州州都シドニーから車でおよそ1時間にあるビルピンは果物農家などが多く「果実の都」と呼ばれてもおかしくない。  それらしく「Big Things」がビルピンのBig Fruit Bowlだ。ちなみに、このフルーツ・バウルが世界最大だそう。  果物を中心にビルピンがちょっとしたB級観光地となっている。世界遺産であるグレーター・ブルー・マウンテンズ地域の中にあり、シドニー中心部からそれほど遠くない。  Big Fruit Bowlは農家前にあり、御土産屋やその他の観光施設もある。ビルピンの多くの農家が「You Pick」制度であり、りんごを中心に様々なフルーツを訪問者が自分たちで狩って買うというしくみとなっている。   大きな地図で見る

  • 豪州受刑者が「ベジマイト食べる権利」求め提訴

    殺人罪で服役中の男が、ビクトリア州の刑務所で「国民食」と言えるぐらいの人気食品ベジマイトの持ち込みを禁じている措置は、「豪州人としての文化を享受する権利」を侵害しているとして、同州司法・地域安全省と刑務所を管轄するコレクションズ・ビクトリアを相手取り訴えを起こした。 訴えているのはアンドレ・マッキーニー受刑者(54)。人権侵害の確認と、「健康維持に十分な食事を提供していない」として矯正法違反を主張しており、裁判は2026年に開かれる予定だ。 マッキーニー氏は、2006年に導入された州内刑務所でのベジマイト禁止措置の撤回も求めている。 コレクションズ・ビクトリア側は、独特の強烈な香りを持つ茶色い発酵食品が「麻薬探知犬の嗅ぎ分けを妨げる」として禁止を正当化。受刑者が違法薬物を隠すため、ベジマイトを包装に塗りつけて臭いを紛らわせるケースがあったという。 また、没収品リストによると、ベジマイトは水や砂糖、別の酵母と組み合わせれば密造酒の材料にもなるとされる。もともとビール酵母の残りから作られる食品だ。 司法・地域安全省とコレクションズは今回の訴えについてコメントしていない。 マッキーニー氏は1994年に殺人罪で有罪となり、現在はフィリップ島の最高警備刑務所「ポートフィリップ刑務所」で服役中。終身刑の最低服役期間を終えた後、自らの意思で十数年前に再び拘置を選んだという異例の経歴を持つ。 同氏は、仮釈放を「勧める」名目で当局が取った対応が威圧的だったとし、複数の訴訟でも豪州当局を相手取って争っている。