オーストラリア・デーだよ!1月26日は、ちょうど224年前この日にオーストラリアを(刑務用の)植民地とするイギリス人が今のシドニーの東部にあるボタニー・ベイに着いた。今、全国がその日を記念として、オーストラリア全体を祝う一日と位置付けている。まぁ、日本で言えば建国記念日見たいなもんだ。 しかし、みんなが喜ぶ訳でもない。 豪原住民にとってヨーロッパ系の人々がオーストラリアに来たことが自分たち国を失うことの始まりになり、多くの原住民にとってこの日が「侵略日」とする。 また、この日を機に「国家主義」と「愛国心」を区別つかない人がこの10数年増えているような気がする。オーストラリア・デーは当然「旗日」であり、この日に国旗は誇りを持ってはる人が多い。しかし、多くの人にとってこれがマイノリティに対して嫌味を示す機会となっている。これは「国家主義」、要する「俺の国がお前の国より偉いぞ」という意識が働いている現象ではないか? 考えRoo自身にとってこのようなことが心外だ。考えRooはオーストラリアが素晴らしい国だと思い、愛国心溢れている。日経オージーをはじめ、世界中のほとんどの国から渡豪して社会に貢献して豊かな多様性を与えてからこそ立派な国となった訳だ。 しかし、元々誰の国だったのかを忘れちゃいけない。白人由来以降オーストラリアの原住民が恐ろしい体験を数えきれないほどさせられた。元の状態にに戻ることが無理でも、今からうまく共栄共存できるようにすべきだ。 Happy Australia Day! Related posts: Aussies Exposed to Radiation in Japan – 65 Years Ago バナナを曲げる人々 People who Bend Bananas 豪キャブラリー:Crikey 豪政府の完全敗戦だったエミュー大戦争 日本人移民、オーストラリアの米産業成功の父となる 我輩は日豪パイオニアである:日本の心を掴んだオージーぼっちゃん 豪少年が被災幼児に「僕の家族になって」 豪キャブラリー:Rellies 豪キャブラリー: Spunk 豪キャブラリー: Chunder Powered by YARPP.
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オーストラリアの野生動物と言えば、まずらくだ、、、と言い難いだろうが、実際に世界最大野生ラクダの数が最も多くの国が豪州であるだ。 元々らくだはオーストラリアにいなかったが19世紀イギリス植民地時代からインドから持ってこれて野生化し、数十年たったら環境問題を起こした。今、オーストラリアで野生ラクダが約100万頭がいると予想されている。豪の野生ラクダ頭数が約9年毎で倍増することも予想されている。 一方、ラクダの自然発祥地である中近東では、1960年代からラクダの数が急速に減り、ラクダ肉やミルクの重要が依然として高い。 オーストラリア産ラクダが昔から競駱駝(???、、、要するにレース用)のラクダの輸出があったが、2009年から肉食用のラクダ輸出が産業化し、急成長している。今年、およそ6000頭のラクダをサウジ・アラビアとアラブ首長国連邦を中心に中近東諸国へ輸出する予定だ。 オーストラリアでの野生ラクダの環境破壊が依然として継続が続くが、輸出により数が大幅に減る上に立派なビジネスチャンスを与えているので不幸中の幸いかもしれない。 参考: Australian Feral Camels Turning a Pest into Profit Related posts: The Strine Why Atorkin: Plain English Aussies Exposed to Radiation in Japan – 65 Years Ago 日本人が知っている豪先住民語 我輩は日豪パイオニアである:日本の心を掴んだオージーぼっちゃん Lest We Forget Japan’s Role in Creating the ANZAC legend Barbie/バーベキュー Ocker/オージー Indigenous Aussies and Strine 先住民と豪語 Striking a Light for Strine 「豪」にいれば「豪語」に従えって? 日本人移民、オーストラリアの米産業成功の父となる Powered by YARPP.
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オーストラリアが独立した1901年1月1日時点には、南アフリカにてボーア戦争に参戦し、現在に至るまでさまざまな戦争や紛争に戦い、決して「平和的」な国とは言い難い。20世紀に渡って第一次・第二次世界大戦をはじめ朝鮮戦争、マレーシア紛争、インドネシア戦争、ベトナム戦争に参戦した上、21世紀になったらアフガニスタンとイラク戦争にも参戦した。軍事力はそこそこ評価されるが、参戦した戦争の中ではオーストラリア軍がものすごく恥をかかされたのは特に一戦が目立つ。それは1932年のエミュー大戦争だった。おまけ、オーストラリア軍に対して戦勝した相手がエミュー、、、国家鳥だ。 事態は今からちょうど79年さかのぼって世界恐慌下で起きた。戦場が西オーストラリア州マーチソン地区だった。いつもより熱かった夏によりオーストラリア国紋章にある国家鳥エミューの繁殖がさかんとなり、農産物を大量摂取することになった。すでに経済的に苦しんでいる農家を中心に事態に対して連邦政府(国)に対策を実施するようにプレッシャーをかけるようになった。 オーストラリアでは政治的権力が今も昔もある農家を政治家が無視できない。選んだ対策はオーストラリア軍の動員だった。 1932年11月上旬のある朝、王立豪州大砲部隊約50兵がG.メレディス大佐下でおよそ20万羽のエミューと戦う。部隊は、トラックに取り付けられた機関銃で国家鳥と向き合う。 エミュー群は池で水を飲もうとしたところ軍が突然開戦し、機関銃で全開鳥に向かって打つ。 しかし、エミュー群が広げて鳥があっちこっち走り回って、打たれた鳥の数はほんのわずかしかすぎなくて、ほとんどのエミューが見事に逃げた。 同日午後、部隊が再び集合し、もう一回攻撃をしようとした。しかし、機関銃の音でまた鳥が走って逃げて、結果的に何万羽の鳥中、殺されたのが数羽しかなかった。 豪軍部隊が撤退し、エミューが思う存分農産物を餌にし続けた。 約1週間後、メレディス大佐がまた先頭に再び豪軍がエミュー群と向かって機関銃で乱射したが、また効果がほとんどなく、もう1回エミュー群のほとんどが逃げた。2回戦って約2万弾を使用した結果エミュー数百羽しか殺せなかった。 「この鳥のように弾に対しての力があった部隊があれば世界中のどんな国の軍隊に対して争える。機関銃に対して戦車並みの力がある」とメレディス大佐が敗戦を認めた。 これが起きている時、遠いキャンベラの国会ではエミュー大戦争に対して大騒ぎになった。国防相(当時)ゴードン・ピアス氏が豪軍敗戦を認めて、戦場から撤退の命令を下した。それに対してエミューの反応が未だに不明だが、以降数十年同地区では農家の大迷惑をかかったのは間違いない。 敗戦後、農家が1948年まで3回も連邦政府のエミュー対策を要請したが1932年の敗戦を背景に毎回拒否し、エミューの完全勝利となった。 Related posts: Aussies Exposed to Radiation in Japan – 65 Years Ago 豪キャブラリー:Dead Horse バナナを曲げる人々 People who Bend Bananas 日本人が知っている豪先住民語 豪キャブラリー:Rellies 豪キャブラリー: XXXX 豪キャブラリー: Esky 豪キャブラリー: Spunk 豪キャブラリー: Belt up 豪ゴルフ場にはサメ要注意 Powered by YARPP.
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1980・90年代で活躍したオーストラリア人ゴルフ選手グレッグ・ノーマン氏のニックネームが「グレート・ホワイト・シャーク」でロゴがサメだが、まさか同氏の生まれ故郷であるブリスベーン市にあるゴルフ場では本物のサメが現れるとは、、、 しかし、同市にあるカールブルックゴルフ場のウォーター・ハザードは水だけじゃない。 同ゴルフ場の14番ホール内の池にはサメがいるのだ! このコースの池に飛ばしたら、ペナルティをとったほうがいいようなきがするね Related posts: Aussies Exposed to Radiation in Japan – 65 Years Ago バナナを曲げる人々 People who Bend Bananas 日本人が知っている豪先住民語 「やばいリンガル」 Thongs 豪キャブラリー:Rellies 豪キャブラリー: XXXX 豪キャブラリー: Esky 豪キャブラリー: Spunk 豪キャブラリー: Thongs 豪キャブラリー:Mongrel Powered by YARPP.
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Not long after the end of World War II, John Collins would sit and eat sandwiches at Ground Zero in Hiroshima, then sift through the rubble left from the city subjected to the world’s first nuclear attack for items he thought could become historically valuable. 戦後間もなく、ジョン・コリンズ氏は、広島市の原爆中心地に座ってサンドウィッチを食べてがれきの中に歴史的に価値のあるものを探し回ったことがあった。 Collins was then a 19-year-old sapper with the Australian troops making up the bulk of the British Commonwealth Occupation Forces (BCOF) stationed in Japan from February 1946 to April 1952. 当時、コリンズ氏は、1946年2月から1952年4月の間で英国連邦進駐軍(BCOF)の約9割で構成したオーストラリア軍の一人だった。19歳だった。 Related posts: Dictionaries and Search Engines/辞書及び検索サイト バナナを曲げる人々 People who Bend Bananas Indigenous Aussies and Strine 先住民と豪語 Strine in Practice – in Japan Lest…
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ええ?オージー英語(豪語)の中では日本語もあるって?信じられない! でも、数少ないながら、本当にある。それに、同一意味や使い方の言葉もある!日本語とオージー英語の共通実例を紹介します。 Related posts: ええ?日本語でオージー英語?What? Strine in Nihongo? Strine Dictionary Shiela/女 The Strine Why Atorkin: Plain English Strine in Practice – in Japan The Strine Why Atorkin: Natchrule Strine The Strine Why Atorkin: 日本語 Indigenous Aussies and Strine 先住民と豪語 Striking a Light for Strine 「豪」にいれば「豪語」に従えって? 豪キャブラリー: Strine Powered by YARPP.
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典型的なオージー英語を一言で言うならG’dayは「これだ!」という感じだ。G’dayほど有名なオージー英語はない。ちなみに、ニュージーランド英語でもG’dayも使う。G’dayはgood dayという古い英語の省略であり、スペルもguddayやgiddayなどさまざまあるが、辞書などで調べるとG’dayが正しいのだ。 Related posts: G’day Croweater/南オーストラリア州出身 Big smoke/都会 Earbashing/口うるさい Fairy floss/綿あめ Shark biscuit (bikkie)/新米のサーファー Wag/サボる 豪キャブラリー: Rednut 豪キャブラリー: Strine どんなオージーでも大好きな「ロリ」 Powered by YARPP.
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オージー英語はStrine(ストライン)とも言う。オーストラリア鉛の特徴の一つがしゃべる時に母音を極端に伸ばしてほかの表現を短くすることだ。つきましては、「オーストラリアン」をいう時に鉛に慣れていない人は、「ストライン」や「ストラヤン」に聞こえるらしい。そこで、パロディとして1960年代Afferbeck Lauder氏がストラインという言葉を造語し、今広く使われているようになった。(ちなみに、同氏の名前がalphabetical order < ABC順>のストラインらしい発音でかけているジョークネームである。) Related posts: The Strine Why Atorkin: Natchrule Strine The Strine Why Atorkin: Plain English Strine in Practice – in Japan An Aussie Chrissie 豪キャブラリー: Rednut Strine Dictionary The Strine Why Atorkin: 日本語 ええ?日本語でオージー英語?What? Strine in Nihongo? Indigenous Aussies and Strine 先住民と豪語 Striking a Light for Strine 「豪」にいれば「豪語」に従えって? Powered by YARPP.
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オーストラリア、パース市の8歳少年が東日本大震災で被災幼児となった男の子に「家族がなくなったと聞いたので、良かったら私の家族の一員となったらどう」という手紙を書き、来日訪問中の豪首相ジューリア・ギラード氏が菅直人首相に手渡した、と豪日刊紙The Australianが報道した。 詳しくはこちら(英語)へ。 Related posts: 日本人移民、オーストラリアの米産業成功の父となる 我輩は日豪パイオニアである:日本の心を掴んだオージーぼっちゃん Powered by YARPP.
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「ファースト・オーストラリアンズ」(英語)は、2008年作のドキュメンタリー。先住民の視野からオーストラリアの歴史を記録する。必見だ! 今日は7作目5部中5部目。 これが「ファースト・オーストラリアンズ」の最後のポスト。ご愛読いただき、ありがとうございました!Ta, mate and hooroo! Related posts: Strine Dictionary ファースト・オーストラリアンズ Episode 1 Part 3/7 ファースト・オーストラリアンズ Episode 1 Part 4/7 ファースト・オーストラリアンズ Episode 1 Part 5/7 ファースト・オーストラリアンズ Episode 1 Part 6/7 ファースト・オーストラリアンズ Episode 1 Part 7/7 ファースト・オーストラリアンズ Episode 2 Part 1/6 ファースト・オーストラリアンズ Episode 2 Part 2/6 ファースト・オーストラリアンズ Episode 2 Part 3/6 ファースト・オーストラリアンズ Episode 7 Part 4/5 Powered by YARPP.